第19号
創世記17章1節~14節
9月11日に起ったアメリカ同時多発テロの衝撃は、多くの人にこれからの世界が今までと違ったものになっていくのではないかという不安を抱かせました。その後に続いたアフガニスタンへの報復攻撃により、それが現実になっていくのを実感させられます。今回の多発テロは理由がどのようなものであれ、決して許せるものではありません。しかし、その背後には南北問題(貧富の格差)やアメリカの一極支配(政治、経済、軍事、文化、価値観など)や、アメリカがこの地域や中東でして来た事、特にイスラム諸国からイスラエルの後ろ盾となっていると批判を受けているパレスチナ問題などがあります。私たちキリスト者もこの世界の現実に目を背けて生きる事は出来ません。世界で起っている事をどのように考え、受け止めて生きるかは私たちの信仰の問題でもあります。そして、今日の箇所はこのような世界をどのように捉えたらよいのか、その示唆をも与えます。
アメリカと戦う人たちは、自分たちは正しいと信じ、その為には罪のない人が巻き添えになっても仕方がないと考えるのでしょう。この考えはアメリカの報復戦争にも見られます。テロの撲滅こそ今回犠牲となった人たちに報い、そして二度と悲惨な犠牲者を出させない道であるとその正当性を主張します。しかし、それにより新たな難民が生まれ、罪のない多くの市民も死ぬ事になるでしょう。その結果、民衆の怒りは広がり、新たなテロが起るのではないかと案じられます。遂にはアメリカ(及び同盟国)とイスラム国家との終わりのない戦いに発展する危険すらあります。正しいと思ってした行為の中にも自分たちの支配や権威を正当化させようとする思い、即ち罪が入っている事があります。いずれにせよテロ行為の大義名分としている様々な問題をそのままにして、武力による解決は難しいと思われます。
困難ではあってもテロ犯罪者だけが捉えられ、合法的な裁判にかけられる道を選ばなければならなかったのではないでしょうか。そしてテロを生む土壌が解決されなければなりません。豊かな国に住む人たちは、自分たちの利益の追求だけでなくその富や技術を他の国の人たちに分かち合う必要があります。一部の先進国だけが豊かな生活をして、他の国は貧しいままでいいはずはありません。私たち人類は、人種や民族、住んでいる国家が違っても同じ兄弟姉妹だからです(創二章二節)。