2003年12月21日日曜日

マタイ1書18-25節「その名はインマヌエル」

第45号

 <クリスマス礼拝>

 クリスマスの出来事、それは神であられるキリストが人の救いのために人間の姿をとってこの世に来られたということです。それは創造者が被造物であるこの世界に入って来られた、あるいは、永遠と有限が接点を持った、などと表現できるかもしれません。
 マリアは聖霊によって身ごもりました。天使ガブリエルはマリアの婚約者であるヨセフにもその事実を夢で告げました。主の言葉には力があります。主の天使を通して直接聞かされた神のことばを疑ったり無視することはできません。ヨセフは天使の言葉どおりマリアを妻にし、生まれた子をイエスと名付けました。イエスは「神は救われる」という意味です。主の天使の「この子は自分の民を罪から救う」の言葉をヨセフは信じ受け入れたのです。
 このクリスマスの出来事は、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」と預言したイザヤの言葉の成就でもあります(イザヤ七:一四)。イザヤはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世、すなわち紀元前八世紀後半、主イエス誕生の七百年前頃活躍した預言者で、インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」という意味です。

  ローマ皇帝アウグストゥスの人口調査の勅令によりダビデの血筋であったヨセフはマリアと共にベツレヘムの町に上り、そこで主イエスが産まれました。その後、彼らは郷里のガリラヤのナザレに戻りました(ルカ二:一、三九)。
 ナザレを訪れたことがありますが、主イエスの時代とさほど変わらないと思われるのどかな村でした。村は丘の上に建てられ、ガイドの説明では主イエスが育った家とみなされるところは洞穴の一つで、数家族が一緒に生活していたといいます。石や木の家に住むことは、その頃は金持ちにしか出来なかった、と言っていました。きっとそのような生活が普通で、隣同士助けあって生きていたのでしょう。大工であったヨセフは主イエスがその仕事を継ぐことが出来る頃に亡くなったと思われます。主イエスの公生涯は三十歳頃始まり三年後の十字架で終わり、復活とペンテコステの出来事がそれに続きます。
 仮にマリアが自分の人生を回顧し、一言で表現するとするなら「神は我々と共におられる」ということだと思います。神がヨセフとマリアに、ご自身の独り子を託されたことは彼らにとってどれほどの栄誉なことだったでしょう。しかも十字架につけられた我が子によって罪が赦され、永遠の命の希望を持つことの出来る者にされたのです。
 マリアやヨセフと同じ時代を生きたガリラヤやユダヤの人たちにとって神の御子の誕生はどのような意味を持ったのでしょう。大多数の人は自分たちの生活に追われ、主の御降誕には無関心だったのかもし知れません。そしてまた、多くの人にとって主イエスが神の子とは信じられなかったことでしょう。しかし、主イエスに出会って変えられた人もいたのです。病気や生まれつき障害のある人、貧しい人、弱い人、社会の底辺に生きた人たちです。彼らは主イエスに出会って癒され、喜びと平安、希望を与えられました。そして主イエスの十字架と復活により自らの罪が赦され、「神は我々と共におられる」との確信を与えられたのです。
 今日に生きる私たちも同じです。主イエスを神の子と信じない多くの人の中で、わたしたちは小さな群れですが、主イエスによって見い出され、信じる者とされたのです。信じた後も弱いままで何も変わらないかも知れません。しかし、その心には主イエスが宿っているのです。

 

ハイデルベルク信仰問答の第一の問いは「生きるにも死ぬるにも、あなたの唯一の慰めは、何ですか」です。その答えは「…わたしの体も魂も、わたしのものではなく、主イエス・キリストの所有(もの)であるということです」とあります。言葉を変えるなら「神は我々と共におられる」ということではないでしょうか。

クリスマスの出来事、それは聖霊がのぞんで、神のいのちがマリアの体に宿り、御子がこの世に生まれてきたということです。同じようにわたしたちの心にも聖霊がのぞんでキリストが宿ったのです。「神は我々と共におられる」その体験をした人はマリアが聖霊によって子を宿したことをあり得ないこととは思わないでしょう。はじめもなく終わりもない創造者なる神がわたしたちの心に宿り、わたしたちもまたこのいのちによって永遠に生きる者とされているからです。

クリスマスは救い主がわたしたちに与えられたのを喜び、感謝する日です。そして、それと共に教会にこの救い主によって救われた新しい兄弟姉妹が加えられるのを感謝し、喜ぶ日でもあります。

2003年11月16日日曜日

ルカ24章44-49「罪の赦し」

第44号

〈召天者記念礼拝〉

 主イエスの言われる聖書とは旧約聖書のことで、モーセの律法、預言者の書、詩編のことです。旧約聖書は古くからイスラエルに伝わる神の啓示による伝承を主イエスが生まれる八百年から四百年前頃までにまとめたものです。主イエスは聖書の中でメシアすなわち御自身について書かれてあることは全て実現すると言われました。その中でも特に苦難と復活をあげておられます。弟子たちによって書かれた新約聖書もまたはじめから終わりまで主イエスについて、そして特に苦難と復活を証しするものです。

 主イエスの受けられた苦難はイスラエルの指導者のねたみによるものでした(マタイ二七:一八)。彼らはイスラエルの民の気持ちが自分たちから離れ、主イエスを神として受け入れ始めたのを知りました。何とかしてそれを妨ごうとし、結果的にローマ総督ポンテオ・ピラトに引渡し、ローマに反逆する政治犯として十字架で処刑するよう求めたのです。木にかけて殺されるものは呪われた者であって、そのような者が神の子であるはずはなかったからです(申二一:二三)。しかし、主イエスの苦難を見るときそれはねたみだけでなくわたしたち人間の普遍的な罪の故だったことが分かります。
 ユダヤ人指導者たちは主イエスが彼らの王となることによって自分たちの地位、名誉、財産を失うのを恐れました。また、イスラエルの民は神である主イエスが奇跡を行って自分たちの衣食住を満し、病気を癒すよう求めました。彼らは主イエスが自分たちの言うことを聞く限りにおいて王として敬い従うのですが、要求が満たされない時、主イエスを拒否するのです。その結果、彼らもまた指導者の扇動に乗って主イエスを十字架につけるように求め、「神の子なら、自分を救ってみろ。…十字架から降りて来い」と嘲弄しはじめたのです(マタイ二七:四〇)。主イエスの弟子たちはどうだったでしょうか。彼らは神の国の実現に自らの命を懸け、主イエスに従いました。しかし、それはあくまで自分たちの夢を実現してもらうためであり、それが適わないと知った時、あの人を知らないと否認したのです(ルカ二二:五七)。
 主イエスの苦難を見るとき、わたしたち人間はすべて、突き詰めてみると自分中心に生きているのを知らされます。主イエスが天の父の御心を知ってそれを御自身の意思とし、それに従うのを喜びとしたのと全く違います。わたしたちは神の支配を望まず、今の自分を変えたくないのです。自分が神であるためにはまことの神をも殺してしまうのです。
 そのような身勝手なわたしたちの罪を赦されたのが主イエスでした。主イエスは十字架でわたしたちの罪を贖われたからです。ギリシャ語で「贖う」とは市場で売られている奴隷をお金で買って自分のものにすることです。罪に売られ、罪の奴隷となっているわたしたちを主イエスはご自身の尊い血潮でもって買い取り、神のものとしたのです。十字架の出来事はわたしたちの罪が神の命と引き換えに清くされたということです。
 復活もまた主イエスにより実現されました。聖書は、死は人類の祖先であるアダムとエバが神の戒めを破ったことによりこの世に入ってきたと教えます。従って死は罪の結果で、罪がなければ死はなかったのです。しかし、神である主イエスには少しの罪もありませんでした。そのため、死が主イエスを支配することは出来なかったのです。それが復活の出来事です。しかし、人でもあられた主イエスは人の弱さを御存知で、わたしたちと同じように罪の誘惑に会われたのです。その主イエスがわたしたちの罪を贖われたが故に、わたしたちもまた復活することができるのです。

 主イエスの苦難と復活はわたしたちに永遠の命が確かであることを教えます。しかし聖書を知識として読んだだけでは救いにいたることは出来ません。救われるためには悔い改めが求められるのです。悔い改めとは自分中心に生きていたその罪を認め、これからは神中心に生きる決心、すなわち回心することです。そうすることによって初めて救いが自分のものとなるのです。そして悔い改めた時、わたしたちは主イエスが約束された聖霊を受けるのです。それは古い自分に死んで新しい自分に生まれ変わることです。そして、その人は神によって新しく創造された者であって、死んでも生きるのです(Ⅱコリ五:一七)。
 召天者記念礼拝は、既に御許に召されている方たちの信仰を想い起こし、自分の与えられている信仰を確かなものとし、再会する希望を新たにすることに意味があります。それはご自身の苦難と復活により、わたしたちを永遠の命に適うものとしてくださった主イエスに感謝する機会でもあります。

2003年10月19日日曜日

ヨハネ11章17-27節「わたしは命である」

第43号

 
主イエスがベタニアに到着したのはマルタとマリアの弟のラザロの死の四日後のことでした。主イエスの到着を聞きマルタはすぐに迎えに出ました。そして、主イエスに会うやいなや言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」。マルタとマリアは主イエスをどれほど待っていたことでしょう。彼らは主イエスが病人を癒され、また会堂司ヤイロの娘や、ナインの町で未亡人の息子を死から甦らされたのを知っていたからです。ラザロが死ぬ前に、あるいは死の直後に来て下さっていれば、との思いがあったに違いありません。しかし、ラザロは墓に入れられて四日も経っていました。死体は既に腐敗が始まっていたのです。「しかし」とマルタは言いました。「あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」。すると主イエスは「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えました。最後の日の復活なら今、ここで主イエスに確認していただく必要はありませんでした。それによってマルタの悲しみが和らぐものではなかったからです。それに対し主イエスは「わたしは復活であり、命である」と言われました。「復活」、「命」、それは「世の光」、「世の塩」、「羊飼い」、「道」、「真理」、等など主イエスがこの福音書の中でたびたび御自身のことを語っている言葉です。それは「わたしはある」ということをも意味し、初めもなく終わりもない、永遠の存在、すなわち神であることを宣言するものです(出エジ三:一四、一五、ヨハネ八:二四、二八)。御自身を神とし、復活であり、命であると宣言された主イエスは、マルタに「わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と問われたのです。

  主イエスは御自身を神と信じる者は死んでも生きると言われました。新しい天と新しい地である神の国を教え、その国にわたしたちを導くためにこの世に遣わされ、また霊となられたのです(Ⅱコリ三:一七、ガラ四:六)。その国に入る妨げとなっているのがわたしたちの罪です(ロマ六:二三)。主イエスは十字架で御自身の命でもってわたしたちの罪を贖われました。そして復活され、罪赦されたわたしたちもまた復活にあずかる望みを持つことが出来るようにされました。罪のない主イエスは墓の中に死んだままいつまでも閉じ込められてはいませんでした。同じように主イエスによって罪が赦されたわたしたちも死に閉じ込められることはないのです。
 それはまた、生きていて主イエスを信じる者は誰も、決して死ぬことはないということでもあります。永遠の命の約束は同時にその命にふさわしく造りかえられることでもあるからです。神である主イエスがわたしたちの心に入って来られることにより古い自分に死に、新しく生まれ変わるのです。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造されたのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」と書いてあるとおりです(Ⅱコリ五:一七)。神が光あれと言われて宇宙が創造されたように、主イエスは真っ暗なわたしたちの心に光あれと言われてわたしたちを新しく創造されるのです(Ⅱコリ四:六)。
 

 ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフは人殺しで、ソーニャは売春婦でした。その罪の過去により生きることの出来ない二人でした。その苦しみのなかで二人は最後にラザロの復活を読み始めたのです。主よ、助けてください、過去の罪が赦され、全く違う自分に造りかえてください。それがラスコーリニコフとソーニャの叫びであり祈りでした。その二人の物語をドストエフスキーは次のことばで終えています。「しかし、そこにはすでに新しい物語、一人の人間が次第に新しくなっていく物語、次第に更生してゆく物語、一つの世界から他の世界へと次第に移っていく物語、これまで全然知られなかった新しい現実を知る物語がはじまろうとしているのである。それは新しい物語の主題となりうるものである。―しかし、この物語をこれで終わる」
 マルタとマリアの祈りもまた、弟のラザロをどうか甦らせてください、今、復活させてくださいというものでした。その二人の祈りに主イエスは答えてくださいました。
 主イエスのなされたラザロの復活の奇跡は、主イエスが神であることを教えます。神には不可能なことはありません。「わたしは命である」と言われたお方が、わたしたちに永遠の命を与えてくださるのです。そしてそれは死後の復活と共に今、新しい命に造りかえられるということでもあるのです。

2003年9月21日日曜日

ヨハネ10章1-6節「羊はその声を聞き分ける」

第42号

 
羊飼いは自分の羊に声をかけ、羊は自分の羊飼いの声が分かる。この羊飼いと羊の関係はパレスチナに住む人であれば誰でも知っていることです。主イエスはこの事実をそのまま御自身とわたしたちとの関係として語られています。
 羊飼いは朝、囲いから羊の群れを出し、牧草地に連れて行きます。そこで青草を食べさせ、水を与え、夕方には再び囲いに連れ帰ります。羊相手の単調で、忍耐のいる仕事です。しかも、時に非常に危険な仕事ともなります。盗人や強盗は夜、囲いを乗り越えて入って来ます。そして羊飼いを装って羊を連れ出そうとします。中には羊を殺し、囲いの外で待っている仲間に渡して持ち去ろうとします。また、狼や熊、時にライオンといった野の獣から群れを守り、戦わなければなりません。迷った羊がいれば探し出し、穴に落ちた羊がいれば助け出します。一瞬の判断が羊の命を助け、その判断の誤りにより自分の命をも危険にさらすのです。羊は羊飼いなしには生きていくことは出来ません。
 ある学者はパレスチナを旅行した時、羊飼いたちが井戸のほとりで羊に水を飲ませた後、それぞれ羊の名を呼んで集め、また戻って行ったと報告しています。また他の旅行者はエルサレムの郊外で羊飼いと羊の群れに出会い、試しにその羊飼いから外套を借り、教えてもらったとおりに羊の名を呼んだところ何の反応もありませんでした。しかし、その羊飼いが呼ぶと羊は集まって来たそうです。羊は自分の羊飼い以外の者の後には決してついて行きません。その声を知らないからです。

  前の章、九章には生まれつき目が不自由だった人が主イエスによって癒された出来事が書かれています。この出来事もまた羊飼いと羊との関係を表しています。羊はすぐ迷うのですが、この人もまた他人に手を引かれなければ歩くことは出来ませんでした。羊は弱く、外敵に対して無防備ですが、この人もそうでした。羊はおとなしい動物ですが、この人もまた道端に座って恵みを請う以外は声を出すこともなかったでしょう。そして羊は羊飼いに従順です。泣き声を上げることもなく毛を刈られ、またほふり場に連れて行かれるのです(参照、イザヤ五三章)。この男も主イエスに泥を目に塗られ、シロアムの池に行って洗いなさいといわれると出かけたのです。そして目が開かれました。羊は羊飼いの後についていくのですがこの人もまた自分の目が開かれたことをすぐさま証しし始めました。
 多くのキリスト者は、自分は主イエスを神の子と信じているから救われていると言います。ルターの信仰義認を自分の都合の良いように解釈し、信じるだけで救いは十分と考えているのです。しかし決してそうではありません。癒された男の両親は自分の息子の目が見えるようになったのはイエスによると信じていました。当時、このような奇跡を行うことの出来るのは神から遣わされた者だけと人々は信じていたからです。しかし、ファリサイ派の人々に聞かれたとき両親はその事実を証ししようとはしませんでした。どうして目が見えるようになったのかわたしたちには分からない、直接あの男に聞いてくれ、と逃げたのです(九:二一)。迫害され、村八分になっては生きていくことは出来ないと考えたからです。それはこの男が住んでいた近所の者たちや道端で物乞いをしていたのを知っていた人たちも同じです。

 信じるだけで救われるならサタンですら主イエスを神の子と信じて恐れおののいているのです(参照、ヤコブ二:一九)。また、主イエスは、主よ、主よ、と言うものが救われるのではなく、主イエスの御心を行う者が救われる、と言われています(ルカ六:四六)。主イエスを信じるには仕える、従うということがなければなりません。わたしたちは主イエスを心で信じ、口で告白しなければならないのです(ロマ一〇:一〇)。
 多くのキリスト者は証ししようとはしません。訊ねられても牧師に聞いてくれ、そのために牧師がいるのだと言います。クリスチャンでない人と同じ生活をしているのなら迫害を受けることはありません。ギリシャ語では「証し人」と「殉教者」とは同じ語源です。証をすることによって迫害を受けるのです。
 羊飼いは主イエスです。そして盗人であり強盗なのはファリサイ派の人々です。問題は誰が羊なのかということです。もしあなたが羊なら主イエスはあなたに語りかけられ、あなたはそれが主イエスの声であるのが分かるのです。その声によって羊に命が入るからです。そして羊は主イエスに従うのです。従うこととは主イエスを証しすることであって、それが永遠の命に至る道なのです。

2003年8月17日日曜日

ヨハネ8章39-47節「わたしは真理を語る」

第41号

 

マタイによる福音書20章1-16節

  主イエスは「わたしは真理を語る」と三回繰り返しています(四〇、四五、四六節)。繰り返すのは大切だからに他なりませんが、同時にわたしたちがその言葉を理解するのが難しいからでもあります。わたしたちは主イエスの言葉を何度も繰り返し聞くことによってそれが真理の言葉であることが少しずつ分かるようになります。
  マタイによる福音書二〇章では、主イエスはぶどう園のたとえ話を用いてわたしたちに何かを教えようとしています。ぶどう園の主人は朝六時に出かけて行き、労働者を一デナリオンの約束で雇いました。そして、昼、午後三時、五時にも出かけて行き労働者を雇いました。一日の労働の終わりに、主人は後から雇った順に賃金を支払いました。なんと一時間働いた者も十二時間働いた者も、同じ一デナリオンを支払ったのです。朝から働いていた労働者たちが、一日、暑さの中で苛酷な労働をしたのに他の者と同じ扱いをするのかと不平を言うと、主人は約束どおりのことをしたまでで間違ったことをしていない、自分のものを自分のしたいようにしてどこが悪いのか、と言ったのです。
  労働者の不満はもっともなように思えます。普通はこのようなことの起こらないように、時間給や出来高払いなどなるべく公正なやり方を取ります。主イエスは「わたしは真理を語る」と言われましたが、そうであるならこのたとえをわたしたちはどのように理解したらよいのでしょうか。

  わたしたちの住む資本主義社会は貧富の差があって成り立ち、しかもその格差は広がっていきます。もし、社会に貧富の差がなければ、貧しい人は自分の大切な時間や身体を富んでいる人のために使いお金を得るということはしないでしょう。お金を持っている人はそれによりますます利益をあげています。富は自分の影響力を他人へ行使するための力となり、それは持てる者に地位、名誉をもたらします。人々はより多くの富を得ようと弱肉強食の厳しい競争社会を形成します。アメリカ、イギリス、日本などいわゆるG-8と呼ばれる先進国はその代表です。
 格差が生まれるのは何も西欧諸国だけでなく、発展途上国や共産国、そして独裁国家と呼ばれる国々でも同じです。権力を握った者はそれを既得権とし、言論、情報、市場を自分たちの都合の良いように操作し、地位、名誉、財産を守ろうとするからです。その結果、社会は腐敗していきます。
 この貧富の差は国内だけでなく南北間にもあり、格差は拡大する一方です。発展途上国の人たちは自分たちが着ることも履くことも出来ない高価な服や靴を作って先進国に輸出しています。ピューリタンたちが建国したアメリカは今、新たな帝国となり世界の富を独占しようとしています。世界中で迫害されてきたイスラエルの人たちは戦後自分たちの国を建設しましたが、武力で周りの貧しいパレスチナ人やアラブ諸国と戦い、国土と民と富を守ることに必死です。

 三年前、教団の宣教師でアラハバード農科大学農村開発教育学部学部長として働かれている牧野一穂先生をお訪ねする機会がありました。先生は一九六四年にインドに渡られましたが、その当時、日本はまだインドの人々に知られておらずネパールよりもっと遠くから来た人とみなされたそうです。文字通り「最も低い者となってインドの人たちに奉仕する」がモットーだったそうです。その牧野先生はインドに来てはじめてぶどう園のたとえ話の意味が分かったと言われました。それは一二時間働いた人が、一時間しか働かなかった人と一緒に喜ぶことの出来る社会だと言うのです。それがこのたとえの解き明かしです。わたしたちはすぐ他人と比較して自分の立場を考え、権利を主張します。しかし、そのような態度からは他人と一緒に喜ぶ気持ちは生まれて来ません。このぶどう園のたとえ話は神の国の教えなのです。神の国の住人には神の国にふさわしい生き方があるからです。「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」と主イエスは言われます(マタイ、一四節)。それは後から来た人が自分と同じになる、あるいは先に行くのを喜ぶことの出来る生き方です。その生き方を主イエスは教えているのです。「わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神のことばを聴く」(四六、四七節)。そして更に主イエスは言われます。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(三一、三二節)。確かにこの世に神の国の民はいるのです。そして、主イエスの言葉を実践しています。

2003年7月20日日曜日

ヨハネ8章21-30節「わたしはある」

第40号

  

出エジプト記3章11-15節

 モーセは四〇才になるまでエジプトの王、ファラオの娘の子として育てられました。しかし、エジプト人を殺したため、ミィデアンの地に逃げなければなりませんでした。そこで四〇年間、義理の父エトロの羊を飼っていました。ある日、羊を追ってホレブの山に来た時、芝の中で燃える炎となって現れた神に出会ったのです。神は、エジプトで奴隷となっているわたしの民を救い出しなさいと言われました(出エジ三:七~一〇)。モーセは「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」と問うと、神は「わたしは必ずあなたと共にいる」、そして「あなたがイスラエルをエジプトから導き出したとき、あなたは…神に仕える」と言われました。モーセはさらに訊ね、「その名は一体何か」、すなわち、あなたは、いったい、どなたですか、と尋ねました。古代のイスラエルでは、名前は人格に一致し、その人の本質を表していると考えられていたのです。神は「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えられました(三:一一~一四)。
 主イエスも「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」とユダヤ人たちに言われました。それに対しユダヤ人たちは「あなたは、いったい、どなたですか」と問いました。主イエスは「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて『わたしはある』ということ…が分かるだろう」と答えられました(ヨハネ八:二四~二八)。「上げたとき」とは十字架の死から復活し、天に上げられたときであって、あなた方はそのとき初めて主イエスがモーセに現れた神であることが分かると言われたのです。

  「わたしはある」、それは初めも終わりもない唯一の無限の存在であり、無から有を生み出す創造者だということです。そしてそのお方は、遠くからわたしたちを見ていて、死んでからわたしたちのしてきた良いこと悪いことを裁かれるお方というのではなく「必ずあなたと共にいる」お方、すなわちわたしたちを通して働かれるお方でもあるのです。神は被造物を超越した唯一無限の存在であり、万物の創造者ですが、同時に、わたしたちと共に歩まれるのです。事実、神はモーセを通してさまざまなしるしや奇跡を行い、ファラオやエジプトの民に御自身を信じるように求められました。しかし、彼らは心を頑なにして神を信じようとせず、神の大いなる審判が下され裁かれました。ファラオの家から奴隷の家に至るまで、またすべての家畜に至るまで初子が殺されたのです。しかし、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民は小羊の血による過ぎ越しによって贖われました。イスラエルの民は開放され、自由の民となったのです。エジプトの民はそれによってイスラエルの神が主であることを知りました。
 主イエスもまた「神の小羊」として御自身が十字架につけられることによって信じる者の贖いとなられました。それは罪の奴隷からの開放であり、罪の結果である死からの救いであって、永遠の命を得ることであります。しかし、信じない者にとっては自らの罪の裁きを受けなければならないのです。復活は永遠の命が確かなことであるのを教えます。そして、主イエスは天において父なる神の右に座しておられるのです。モーセは神に忠実な人としてエジプトで奴隷になっていたアブラハムの子たちを救いましたが、主イエスは神としてこの世で罪の奴隷となっている御自身の民を救われたのです(ヘブライ三:二、五、六)。

わたしたちもまたモーセと同じように神に出会うとき「わたしは何者でしょう」と問いかけます。そしてまた「あなたは、いったい、どなたですか」と問うのです(使徒九:五)。その問いに対する神の答えこそ「わたしはある」であって、いつでもどこでも「わたしは必ずあなたと共にいる」ということなのです。
 「わたしはある」、それはこの神にわたしたちが仕える、礼拝するということです。そして「わたしは必ずあなたと共にいる」、それは、この世で罪の奴隷となっている神の民を救い出しなさいというわたしたちへの命令でもあります(出エジ六:一三)。神の国のためにこの世に遣わされることこそ、わたしたちのこの世での存在理由です。わたしたちと共に働かれるために、主イエスは十字架につけられ、復活し、天に上げられ、聖霊となってわたしたちの内に宿られたのです。わたしたちは神が共にいてくださることにより、この世で何をしたらよいのか、つまり、自らの存在の意味を見い出すことが出来るのです。

2003年6月15日日曜日

使徒2章36-42節「主が招いてくださる」

月報39号

〈ペンテコステ礼拝〉

 人間は二つに分けられませんが身体と心からなると考えられてきました。身体は見ることが出来ますが心は目で見ることはできません。しかし、心には大きな心、小さな心、また温かい心、冷たい心、弾んだ心があります。貧しい心、清い心、豊かな心、濁った心、そして燃えている心、冷えている心もあります。気が進まないことをするときには心は重くなり、楽しいときは心も軽くなります。また、目で心を知ることが出来ます。暗い目、明るい目、野心に燃えたぎらぎらした目、落ち着かないきょろきょろした目、死んだ目、生きた目、すさんだ目などです。
 このように心はさまざまな形をとって外に表れますが、その本質には三つの構成要素があります。それは知性、感情、意志です。知性は記憶や理解、分析、判断などで、感情は喜び、悲しみ、好意、憎しみ、恐れなどです。意志は選択する力であり、持続させる力です。たとえば知性は好きなタイプの人を認識し、感情に働きかけて嬉しくなり、感情は意志に働きかけ友達になろうとします。反対に嫌いな人ですと気分が悪くなり、顔を向けようとしません。知性、感情、意志は人をその人たらしめているものでもあります。
 今日心を病む人が多くいます。その多くは自分は何者なのかが分からないことから起こると言われます。人の心には何かから切り離された感覚があり、そのため不安に駆られます。神はわたしたちの心に「(あなたは)どこにいるのか」と問いかけています(創三:九)。それはその人のこの世での存在の意味を問いかけているのです。その問いに正しく答えない限りわたしたちの心の不安は解消されません。
 わたしたちの心には、その奥底に最も大切なところがあると言います。それは神の霊を受け入れる場所です。アウグスティヌスは「魂の最高の部分」の中に、霊的形相や理念を受け入れる「器、あるいは柩」と呼ばれている力が存在していると言います。また、ドイツの思想家エックハルトは「魂の根底には、ただ神しか入ることができない」と言います。このような場所は人間だけにあるのですが、生まれたままのわたしたちにはそこに神の霊がいません。そのため心の空白感があります。その場所に聖霊を受けてはじめてわたしたちの心は満たされるのです。聖霊は神であり、キリスト御自身でもあります(ヨハネ四:二四、一コリント一五:四五)。神の霊が心に宿ってはじめて知性は主イエスを知るのです。神を知った知性は感情に働きかけ喜びに満たされます。そして感情は意志に働きかけ主イエスをもっと知ろうとするようになります。このように知性、感情、意志は互いに循環しながら向上し、わたしたちはキリストに似たものに変えられていくのです。

 わたしたちの心に聖霊を与えてくださることは、旧約聖書で約束されていることです(エレミヤ書三一:三三、エゼキエル一一:一九など)。そしてそれは主イエスの約束でもありました(ヨハネ一四:一五~三一)。主イエスは十字架につけられ、三日目に甦り、天に昇り、父から聖霊を受け、弟子たちに与えられました。それがペンテコステの出来事でした。息子がニューヨークに行くと言って出て行き、何日か経ってそこから手紙が来たなら着いたことの証拠となるでしょう。聖霊が弟子たちに降ったことは主イエスが父の御許に行かれたということです。主イエスは弟子たちに、あなたがたを孤児とはしない、また戻ってくると約束されました。そして、あなた方は聖霊を受けるなら力を受け、エルサレム、ユダヤとサマリア、そして地の果てまでわたしの証し人となるであろうと言われました(使徒一:八)。主イエスが十字架にかけられてからの弟子たちはユダヤ人を恐れていましたが、この日を境に立ち上がり、大胆に福音を語り始めました。ペテロの説教でその日三千人が信徒に加わりました。教会はエルサレム、アンティオケア、エフェソ、ガラテヤ、コリント、そしてローマにと瞬く間に、野火のように広がって行きました。多くの殉教者がでましたが、それによってますます教会が世界に広がり、成長していきました。ついにローマ帝国はキリスト教国となり、西暦はキリストの誕生から始まり、日曜日は週の初めとなったのは今日わたしたちの見るところです。

 この日、ペトロの説教を聞いた人々は救われるため「わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。それに対し弟子たちは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」と答えました。
 この約束は主の招きに応じて御許に来る者なら、だれにでも与えられているのです。そして聖霊がわたしたちの心に宿る時、わたしたちは新しい人となるのです。

2003年5月18日日曜日

ヨハネ5章31-47節「命を得るために」

第38号

 
 聖書は旧約、新約、あるいはマタイによる福音書といった分冊を含めると、世界中で毎年五億冊が頒布されていると言われます。また、ウイクリフ聖書翻訳協会によると、聖書はおおよそ三二〇〇ある世界の言語の二二〇〇語に翻訳されており、今後二五年間で全ての言語に翻訳される計画だということです。
 しかし、歴史を見ますと聖書への迫害も多くありました。ローマ帝国の時代、皇帝の命令で聖書は幾度となく集められ焼却されました。紀元四世紀にキリスト教は公認されましたが、教会はラテン語訳しか認めませんでした。一六世紀の宗教改革によって、聖書翻訳ははじめて自由になり、また印刷機の発明により比較的容易に人々の手に入るようになりました。しかし一八世紀の啓蒙主義の台頭と共に理性万能の時代が到来しました。いろいろな問題や未知の現象も科学や技術が進歩すれば全て解決できるというきわめて楽観的な考え方が広がりました。このような考え方は神学にも影響を与えました。聖書の中の理性では認められない奇蹟は否定され、神の存在すら疑われるようになりました。フランスの啓蒙思想家、ヴォルテールは、聖書は百年もすれば博物館に行くと言ったといいます。そして共産主義国家の誕生に伴いこれらの国では宗教は非科学的、迷信だと排除され、禁止されました。啓蒙主義や共産主義の考えは今日でも多くの人に影響を与えています。

ユダヤ人は聖書(旧約)を自分たちの救い主、メシアの来臨を約束する神の言葉と信じて来ました。主イエスが生まれたとき彼らはメシアがどこで生まれるのか、そしてだれの子孫から生まれるかを知っていました。にもかかわらずユダヤ人にとって聖書は理解できない書物でもありました。主イエスは律法学者やファリサイ派と言ったユダヤの宗教的指導者に対して「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している」と言いわれましたが、彼らはモーセの律法を守ることによって神の裁きから救われると考えていました。同じことは今日のわたしたちにもいえるではないでしょうか。多くの人は神の戒めに従って正しい人生を歩むことによって救われようとするからです。聖書を道徳や倫理の書と同じように考えて読むならば、結局理解できず、本棚の片隅でほこりをかぶることになってしまいます。

 夜空の星を見るときわたしたちは無限の宇宙を思い、永遠を思います。また無から有が生まれることはないし、偶然から意味あるものが生まれることもないと思うのです。それは自分自身の存在や、咲いている野の花を見るときにもいえます。また、わたしたち人間には良心があって、悪いことをすれば心が痛みます。このように被造物は神がおられることを教えています。しかしわたしたちは理性によって神がどのようなお方であるかを知ることはできません。聖書だけが神を啓示するのです。しかし、人間は神を直接見ることはできません。わたしたちは主イエスをとおして神を知るのです。主イエスは「聖書はわたしについて証しをする」と言います。被造物は言(ことば)によって創られたこと、また神は言やさまざまな形、たとえば雲、火、また人となってイスラエルの民や指導者に現れ、導かれたことが書かれています。父なる神を顕現する子なる神、主イエスが永遠のはじめからおられたのです。また、旧約聖書には救い主が生まれる約束が書かれていますが、それはエバの子孫から、アブラハムの子孫から、そしてダビデの子孫から生まれると預言しています。その約束は時が満ちて現実となりました。そのお方こそ人となられた神の子、主イエスであって、それが新約聖書に書かれていることです。聖書は創造者なる神ご自身が創られたこの世界を支配しておられることをわたしたちに教えています。
 主イエスはご自身のなされる奇蹟を信じなさいと言われます。そのことこそ主イエスを神と信じることだからです。主イエスが神であるなら奇蹟を行われること、すなわち、わたしたち被造物をご自身の意志に従わせることは少しも不思議ではありません。
 主イエスを神と信じない者は主イエスの奇蹟を信じることはできません。彼らは人間の理性を神ご自身の業よりも優先させることによって、神を認めず、その結果、主イエスよりも人からの誉れを求めるのです。そのような者に対して主イエスは「あなたたちは、命を得るためにわたしのところに来ようとしない」と嘆かれるのです。
 いのちは神にあるのです。いのちを得るためには神のところに来る以外にはありません。主イエスのところに来ることは主イエスを神と認めて永遠の命を求めることに他なりません。永遠の命は主イエスによって与えられるからです。そして主イエスはご自身のところに来る人に喜んでいのちを与えられるのです。

2003年4月20日日曜日

ヨハネ4章43-54「二回目のしるし」

第37号

主イエスは最初のしるしをガリラヤのカナで行われ、水をぶどう酒に変えられました。そして同じカナで二回目のしるしを行われました。
 カファルナウムに住んでいた王の役人の息子が病気になりました。医者に見せましたが一向によくなりません。それどころかますます悪くなり、死にそうになりました。そのような時、主イエスはガリラヤのカナに来られたのです。役人は主イエスのことを聞いていました。そして息子の病を癒してもらうにはこのお方にすがる以外にはないと思ったのです。カファルナウムからカナまではおよそ二十キロの道のりです。この役人は、死にかかっている息子を置いて出かけて行きました。
 しかし、主イエスははるばるやって来た役人の願いを受け入れられず、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われたのです。同じことは最初のしるしのときにもありました。マリアが主イエスのところに来て「ぶどう酒がなくなりました」、何とかしてくださいと頼んだとき「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」と断られました(二:三、四)。しかし事はこの役人の方がはるかに深刻です。役人は主イエスに、息子が死なないうちに来てくれるよう執拗に頼みました。

 不思議なことに主イエスは人となってこの世におられた間、ご自身のところに来る人の願いを全て聞き入れられています。そのことは天の父の御元に戻られた後との大きな違いといえるでしょう。主イエスは役人に、「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われたのです。
 役人は主イエスの言葉を信じ、家路に着きました。信仰とは主イエスの言葉を信じることに他なりません。御言葉を信じることにより、主イエスと人格的な関係に入るのです。その途中、役人は僕たちと会い、息子が突然、しかも完全に癒されたことを知らされました。そして主イエスの言葉と癒された時刻が一致しているのを知ったとき、神が主イエスを通して働いているのを知りました。主イエスが神の子としての権威と力を持っているのを認めたのです。「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われたこのお方は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」とも言われました。役人は死んでも生きるという約束もまた真実であると信じたのです(三:一六)。

 この世から、戦争、事故、怪我、病気、そして死がなくなることはないでしょう。主イエスを信じれば、このような苦難を受けないで生きることができるということでもありません。パウロがダマスコ途上で回心したとき、主イエスは「わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」と言われました(使九:一六)。
 主イエスはこの世の試練をとおして、わたしたちの目をもっと大切なものに開かせようとしているのです。そのことに目が開かれることによって、はじめてわたしたちはこの世の生活をもっと大切にして生きることができるようになるのです。そのことこそ主イエスがこの世に来られた目的です。しかし主イエスは「あなたたちは、(永遠の)命を得るためにわたしのところへ来ようとしない」と嘆かれました。そして「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われたのです(五:四〇)。

 わたしに教会の長老をしていた二歳違いの弟がいました。弟は小学生だった二人の娘を残して四七才で死にました。主イエスはこの娘たちの、そして家族の願いを聞き入れられなかったのです。わたしたちはこの役人と同じようなしるしや不思議な業を見ることはできないかもしれません。しかし、見ないで永遠の命を信じることのできる人は幸いなのです(二〇:二九)。
 主イエスを信じ、永遠の命を信じて亡くなった弟は、残された子供たちや家族にとって大きな力となっているのです。母は熱心な仏教徒でした。敗戦後、中国から引き揚げたときどれほどこの祖母譲りの信仰が助けになったか分からない、とよく聞かされて育ちました。しかし、今年の一月から、秋田の住まいの近くの、日本基督教団の教会に妹と出席するようになりました。祈っていたとはいえ、わたしの目には奇蹟です。八十三歳の母は、天国で息子に会うためには同じ信仰でなければならないと考えるようになったのでしょう。
 役人が主イエスに会い、その言葉を信じたことにより、家族もまたこぞって主イエスを信じるようになりました。それは息子の病を癒す力のあるお方は、永遠の命を与えることのできるお方であるのを信じるようになったことに他なりません。

2003年3月16日日曜日

ヨハネ1章43-51節「来て、見なさい」

第36号

創世記28章10-16

  人生は時に一つの出会いによってその後の生き方がまったく変わってしまうことがあります。フィリポもナタナエルもそうでした。
 「私に従いなさい」と、主イエスはフィリポに声をかけられました。この出会いをとおして、フィリポはそのお方が聖書に書かれているメシアであることを知ったのです。彼はすぐさまナタナエルに会い、自分はメシアに出会った、それは「ナザレ人で、ヨセフの子イエスだ」と告げました。しかしナタナエルの反応は否定的でした。ダビデの子孫であるメシアはベツレヘム出身でなければならず、ガリラヤから出るはずがなかったからです。そのナタナエルにフィリポは「来て、見なさい」自分で確かめなさいと主イエスのところに連れて来たのです。

 主イエスはナタナエルに言われました。「見なさい、まことのイスラエル人だ、偽りがない」。ナタナエルは驚きました。そしてどうして自分のことを知っているのかと問うたのです。主イエスは、彼がフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見たと言いました。そのことはナタナエル以外の人には知りえないことでした。ナタナエルは驚いて「ラビ、あなたは神の子です、あなたはイスラエルの王です」と主イエスを告白したのです。そのナタナエルに対し、主イエスは、わたしがあなたを知っていたので信じるのか、「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われ、更に「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われました。
 ナタナエルはいちじくの木の下で何をしていたのでしょうか。当時のイスラエルでは、ラビはいちじくの木の下で弟子たちに教えることがありました。ナタナエルはそこで学んでいた一人だったのかもしれません。あるいは一人で聖書を読んでいたのかも知れません。その聖書の箇所は創世記二八章と思われます。ヤコブの夢の箇所です。

 ヤコブはその名のとおり欺く者、人を押しのける者でした。父イサクをだまし兄エサウに与えられるべき祝福を自分のものにしてしまいました。怒ったエサウはヤコブを殺そうとしました。ヤコブは母の郷里ハランの地に逃れましたが、その途中、ベテルで石を枕に寝ていたとき夢を見たのです。「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」のです。そして主が傍らに立ってヤコブに約束されました。それは土地と子孫、そして祝福に関するもので、父祖アブラハム、父イサクに与えられた約束と同じでした。それに加え主はヤコブに「私はあなたと共にいる」と言われたのです。
 ヤコブはベテルで神と出会い、それが彼の信仰の原点となりました。ヤコブの生涯は苦労の連続でしたが、この出来事を忘れず、神に感謝したのです。二〇年後、ヤコブはハランからカナンの地に戻る途中のペヌエルで再び神と会い、名前をヤコブからイスラエルに変えるように言われました。ヤコブはもはや神の民(イスラエル)であって偽る者ではないのです。

 旧約聖書の時代、ほんのわずかな人に神はご自身を啓示されました。ヤコブが見た夢のように、天と地を結ぶ階段によってその人たちが神を知ることを許されたのです。しかし、主イエスが人となってこの世に来られることによって、天は開かれました。主イエスを見ることは神を見ることです。主イエスを知ることは神を知ることです。
 主は荒野を旅するヤコブを見つけ声をかけられました。同じように、主イエスはフィリポとナタナエルを見つけ声をかけられました。ヤコブがイスラエルの一二部族の父となったようにフィリポとナタナエルもまた一二弟子に加えられイスラエルの民、すなわち教会の頭となったのです。それは「見なさい、まことのイスラエル人だ、偽りがない」と言われたことでもありました。そして、今日、主イエスはわたしたちを見つけ弟子とされるのです。
 主イエスとの出会いとは何でしょうか。それは主イエスの方から、前もって知っている者に声をかけられ、ご自身に従う者とされるということです。主イエスが出会いにおいて主導権を持っておられるのです。そのようにして選ばれた者にご自身を知らされ「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われるのです。
 わたしたちは、フィリポのように「来て、見なさい」と言って家族を、友人を主イエスのところにに連れて来なければなりません。そうするなら主イエスご自身が声をかけられその人を弟子とされます。そしてその人たちもまたわたしたちと同じように主イエスを知り、神の栄光を見てほめたたえるようになるのです。

ヨハネ1章1-5節「初めに言があった」

第35号


 

創世記一章一節~三節

 多くの人はマリアが主イエスを生んだことによって初めて子なる神が存在するようになったと考えています。クリスマスの出来事があまりにも印象的であるからかもしれません。それですと、主イエスの誕生以前は父なる神しか存在しなかったことになります。ヨハネの福音書を読みますとそうではないことが分かります。主イエスはどのようなお方だったのでしょうか。


一.子なる神(キリスト)は永遠の初めから神と共におられた
 言(ギリシャ語でロゴス)が子なる神、キリストであることは一四節から分かります。初めとは天地創造のときです。言(キリスト)が人となってこの世に来られたのです。パウロも「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です」(コロサイ一:一五)と言っています。子なる神(キリスト)は父なる神と共に初めからあって本質的に神と等しいもの、神なのです。神から生まれたのであって、被造物ではない子は父と一つの神でありながら区別されるお方でもあります。

二.万物は父、子、聖霊なる神によって創造された
 神が「光あれ」と言われると、その「言」(キリスト)によって光がありました。パウロもまた「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」(コロサイ一:一六~一七)と言います。そして聖霊もまた創造の働きに関わっていました。神は霊であり(ヨハネ四:二四)、また「神の霊が水の面を動いていた」のです。ウエストミンスター信仰基準も第四章「創造について」で「父・子・聖霊なる神は、…初めに、世界とその中にあるすべてのものを…無から作ることをよしとされた」と書いています(ウエストミンスター信仰基準、新教出版社)。

三.万物を創造されたその目的は人間の創造にあった
 このことは神は創造の六日目に人を創られ七日目に休息に入られたこと、そして神は人を「我々にかたどり、我々に似せて」創られたことから分かります。三位一体の神が万物を創造されたのであれば、ここで神がご自身を我々と呼んでも不思議ではありません。佐藤敏夫先生(元東京神学大学学長)も「神内部で父と子が向かい合っているのであり、同時に聖霊において父と子の愛の交わりがある。愛とは人格的に向き合っている両者が一つになるということであり、聖霊は向き合っている両者の愛の交わりを媒介するものである。この父と子の聖霊における交わりに似せて人間が創造されたのである。これが人間が神の像に似せて創造されたということである」(「キリスト教神学概論」新教出版社、一三八頁)と書いています。

四.わたしたちは父なる神を見ることはできない
 神は完全に義なるお方で、それ故、完全に聖なるお方でもあります。罪の結果は死であるため(ロマ六:二三)、罪びとであるわたしたち人間は神の前に立つことはできません。事実、旧約聖書では神の前に立つことは死を意味しました。しかし、神は完全な愛なるお方でもあります。熊沢義宣先生(元東京神学大学学長)は「神が本質において、父・子・聖霊の三位一体の神である、ということは、神がみずからのうちに交わりをもつ存在であるということ、すなわち、神の本質が交わりであるということに対する告白であると考えられる。この神がみずからのほかに存在物を創造したのは…被造物をともにその本質である交わりにあずからしめようとする恩恵の意志のゆえである」(創造「キリスト教組織神学辞典」教文館)と書いています。神が人を創られたのは人を愛されわたしたちと交わりを持つためでした。しかしわたしたちの罪が神の前を避けさせ、神を見ることをできなくしてしまいました。

五.神を知る唯一の道
 神の子である主イエスは人となって父なる神を示されました。主イエスの十字架は神が完全に義なるお方、すなわちわたしたちの罪をそのままにして赦されることのないお方であることを教え、神が完全に愛なるお方、すなわちご自身の御子によってわたしたちの罪を贖われたことを教えます。

  父と子は聖霊によって交わりを持ち、わたしたちもまた主イエスと聖霊によって交わりを持つことができます。そしてわたしたちは子なる神を通して父なる神と聖霊によって交わりを持つことができるのです。父なる神は「言」(キリスト)において人と出会うのです。アダムとエバ、アブラハム、そして多くの預言者に「言」(キリスト)で語られました。父と子と聖霊は区別されても切り離すことはできません。

2003年1月19日日曜日

創世記1章1-3節「光あれ」

第34号

<新年礼拝>

 新しい年が明けました。子供の頃、元日の朝は太陽も空気も町もすべて、そして親の顔さえも何か新しくなったように感じたものです。陰暦の世界では、宇宙の成長、衰退を月の満ち干のように見ています。そしてそれを暦に当てはめて一年の始まりを宇宙の始まりと考えました。この考えによれば元日は新しい世界の始まりです。日本も陰暦を使用していましたので(正式には明治六年まで)その考え方は最近まで残っていました。
 しかし聖書の世界はそれとは違います。「初めに、神は天地を創造された」のです。空間と時間、そしてその中にあるすべてのものは神によって無から創造されたものです。従って宇宙は偶然に生まれたものでも、根源的なものでもありません。
 「神の霊が水の面を動いていた」とあります。聖霊なる神が創造の業に参加していたのです。「神は言われた『光あれ』」、神の創造の意志が語られた言の力によって現実の存在となったのです。ヨハネによる福音書章には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(一節)とあり「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(一四節)とあります。このことにより主イエス・キリストが創造の業に参加していたのを知ります。旧約聖書の最初に三位一体の神を見るのです。「地は混沌であって闇が深淵の面にあり」ました。原始の地球の表面は厚いガスに覆われ、太陽の光が地表に届くことのないカオス的状態でした。

 光が届かない。それは罪にさえぎられ光が届かないという意味で今日の世界に重なります。今年の世界はまさに創世記で書かれている混沌と闇そのものではないでしょうか。アメリカとイラクの戦争はもう既に決まっているかのように報道されています。そして北朝鮮の崩壊は時間の問題と多くの人は言います。その前に何かが起こるのでしょうか。北朝鮮をめぐる緊張は高まっています。アメリカのような豊かな国であってもテロの恐怖があり、貧しい国では飢餓で多くの人、特に幼い子供たちが死んでいきます。エイズもまた多くの国の社会問題となっています。最近まで科学や医学の進歩はわたしたちに幸福な未来を築く期待を抱かせましたが、今やそのような楽観的な考えを信じている人はほとんどいないのではないでしょうか。クローン人間が誕生したとの未確認情報が世界を駆け巡りましたが、それは多くの人にとって決して朗報とは言えません。
 わたしたちの周りを見ても競争はますます激しくなってきています。会社は生き残りで必死です。仕事や事業に行き詰まり、借金、対人関係、家庭内のさまざまな理由から、絶望し、無気力となり、肉体や心を病み、ついには死を選ぶ人が多くいます。日本では自殺者が年間千人とも言われています。十五分に一人が自殺で死んでいくことになります。自殺はもはやニュースとして取り上げられることもないのです。
 世界の問題にしても個人の問題にしても人間の力ではもはや解決出来ないのではないでしょうか。そう思わざるを得ないところに本当の問題があります。将来何が起こるか分からない、あるいは何が起こっても驚かない社会となって来ているのです。

 原始の地球では光が地表に届きませんでした。混沌と闇の世界に神は「光あれ」と言われたのです。光が地表に届くことによって初めて地に秩序が出来、生命が生まれたのです。光はこの世に命をもたらしました。同じことがこの世界にも、そしてわたしたちの心の内面にもいえるのです。主イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ八:一二)と言われました。
 ヘレン・ケラーはご存知のように盲目の聾唖者でした。少女の頃、何か気に入らないことがあると癇癪を起こし、手当たり次第、物を壊し、暴れました。混沌と闇の世界に彼女は生きていたのです。このヘレンにアン・サリバン女史はキリストの愛を伝えました。その結果、ヘレンは自分の心には黄金の部屋があり、魔法の光を宿していると証できるようになりました。彼女の心のなかに主イエスが宿ったからです。そして主イエスは彼女だけでなく彼女を通して光となって世界を照らしたのです。主イエスは「あなたがたは世の光である」(マタイ五:一四)と言われるのです。
 この世にもそしてわたしたちの心にも混沌と闇があります。そしてこれらの問題の解決はわたしたち人間の力を超えているのではないでしょうか。唯一の救いは「光あれ」と言われた神から来るのです。自分の心に主イエスを受け入れてはじめて問題は解決されるのです。そしてその光は自分だけでなく、家庭を、職場を、世界を照らすのです。