2004年5月16日日曜日

ヨハネ21章1-25節「わたしを愛しているか」

第50号

 
復活された主イエスは、ガリラヤの海辺で弟子たちにご自身を現されました。そして食事を共にされた後、ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われました。ペトロは主イエスが十字架につけられる前、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いました(マタイ二六:三三)。しかし、主イエスが捕らえられると、この人を知らないと三度も否みました。ペトロは「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えました。主イエスの使われた愛という言葉はギリシャ語で「アガペー」でした。しかし、ペトロは「フィレオー」の愛で答えています。二度目に主イエスは「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われました。ペトロはやはり主イエスのアガペーに対しフィレオーの愛で答えています。三度目に主イエスは「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われました。主イエスはここではアガペーではなくフィレオーを用いておられます。ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたは良く知っておられます」とフィレオーで答えています。

  ペトロは三度も「わたしを愛しているか」と主イエスに言われて「悲しくなった」とあります。主イエスを裏切る前であればペトロはアガペーでもって答えたことでしょう。「アガペー」、それは聖書では神の愛であって報いを求めない愛です。それは、主イエスが十字架で示されたわたしたち罪人への愛です。ご自身に敵対する者への愛は、わたしたちには到底及びもつかない愛です。「フィレオー」の愛は親の子への愛、夫婦の愛、友情などに用いられます。ギリシャ語にはもう一つ「エロース」と呼ばれる愛があります。自分の自我、欲望を満足させる愛です。「フィレオー」にせよ「エロース」にせよ、わたしたち人間の愛は相手が自分の愛を受け入れるにふさわしい者であって初めて成り立ちます。愛は裏切り者に対して注がれることはありません。ペトロは自分には主イエスのような愛がないのを知ったのです。
 主イエスはペトロを三度も「ヨハネの子シモン」と呼ばれました。生前、主イエスはヨハネに「ペトロ」(岩)という名をお与えになりました。しかし、三度まで主イエスを裏切ってしまった彼は、もはや信仰にしっかりと立つ「岩」とは程遠い存在でした。十字架につけられる前までは、他の弟子たちと一緒に神の国の建設を夢見ていました。しかし、今は漁師の子ヨハネに戻ってしまったのです。ペトロは「悲しくなった」のです。

 主イエスを三度否んだペトロは復活の主に会って再び心を砕かれました。わたしたちは主に用いられるためには、心が砕かれる必要があります。モーセはエジプトのファラオの娘の子として育ちました。四〇歳になったとき自分の民であるヘブル人のために立ち上がりました。しかし、彼に続く者はいませんでした。彼はミデアンの地に逃れ、そこで義理の父エトロの羊を飼い、四〇年間を荒野で過ごしました。そこでの生活から忍耐を学び、心が砕かれたのです。使徒パウロもまた主イエスに出会う前、キリスト者を迫害していました。しかし、彼はダマスコに行く途中、主イエスご自身によって「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と言われ、心を砕かれたのです。
 ペトロはその後、他の弟子たちと共に聖霊を受け、伝道の先端に立ち、大きな働きをしました。伝承によれば、キリスト者への迫害がローマで起こったとき、ペトロは弟子たちの勧めに従ってアッピア街道を下っていました。その途中、主イエスとすれ違ったのです。驚いたペトロは「クオ・バァディス・ドミネ」(主よ、どこに行かれるのですか)と訊ねました。すると主イエスは「わたしはあなたに代わって再び十字架にかかるためにローマに行く」と答えました。ペトロは驚いて主イエスにひざまづき、ローマに戻り、逆さ十字架につけられたと言われています。主イエスを二度と裏切りたくなかったのです。ペトロは「わたしを愛しているか」と三度も言われた主イエスを忘れることは出来なかったのでしょう。

  ヨハネの福音書は「初めに言があった。…万物は言によって成った」ではじまり、「わたしを愛しているか」で終わっています。そして、その中心は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」ことです。わたしたちの創造者である神がわたしたちの贖罪者でもあります。神は十字架によって真実の愛をわたしたちに教えます。自らの命を棄てることによって、わたしたち罪人に永遠の命を与えられたからです。その神が「わたしを愛しているか」と言われるのです。