2005年3月20日日曜日

コリント二7章2-16節「御心に適った悲しみ 」

第60号

 
 人は誰でも出来ることなら「悲しみ」に会わず、毎日楽しく暮らしたいと思っています。しかし、現実の生活で「悲しみ」を避けて通ることは出来ません。悲しみの極みは死ですが、その死を人は避けて通ることはできません。聖書には、イスラエルの王ダビデは、三男アブサロムによって殺された長子アムノンを悼み続けたとあります(サムエル記下一三:三七)。そのアブサロムも殺されました。ダビデは「わたしの息子アブサロムよ、…わたしがお前に代わって死ねばよかった…」と身を震わせて泣きました(一九:一)。族長ヤコブも溺愛していた息子のヨセフが死んだと聞かされ、幾日もその子のために嘆き悲しみ、慰められることを拒みました(創世記三七:三四~三五節)。
 死だけでなく人は持っている地位、名誉、財産、そして健康を損なうとき悲しみます。裏切りに会ったとき、失恋したとき、友が去っていくとき悲しみます。罪を犯したとき、そして、鍛錬に会うときそれを悲しいものと思うのです(ヘブライ一二:一一)。

 パウロは「神の御心に適った悲しみは…悔い改めを生じさせ、この世の悲しみは死をもたらします」と述べています。彼は第二回伝道旅行のとき一年半コリントに滞在し、その働きによって教会が建ちました。しかしながら第三回伝道旅行でエフェソに三年滞在している間、コリントの教会には、ユダヤ主義者が入り込んで来ました。彼らはエルサレム教会の指導者を自らの権威とし、彼らの教えを根拠としました。その教えは主イエスの福音に律法の遵守を必要条件としたもので、パウロの教えとは異なるものでした(ガラテヤ二:一一~一四)。主イエスの十字架によって与えられた自由を再び律法の下に拘束するものでした。彼らはパウロを非難し、彼の持っている使徒の権威を否定しました。そして教会を私物化し、集めているエルサレムの聖徒への募金を横領しているなどと中傷したのです。彼らの扇動により、コリント教会の人たちはパウロとその教えから離れて行きました。パウロはそれを知りどれほど悲しんだことでしょう。彼らを訪問してさとし、いわゆる「涙の手紙」を書き、そしてテトスを派遣しました。パウロはエフェソからトロアスに行き、そこからマケドニアに渡り、テトスの帰来を待ったのです。そのときパウロは「身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました」。テトスが戻って来たときパウロはどのような気持だったでしょうか。テトスはパウロに、コリントの人たちが涙を流して悔い改めているというのです。彼らはパウロに敵対する人たちとその影響を断ったといいます。それこそパウロが祈り、待ち望んでいたことだったのです。それを聞いたパウロの喜びはどれほどのものだったことでしょう。

 罪を犯したキリスト者は悔い改めが必要です(Ⅰヨハネ一:一〇)。主イエスを銀三〇枚で売った十二弟子の一人ユダはそのことを後悔しましたが、悔い改めることをしませんでした。そして自分で自分の命を絶ちました。ペトロは三度も主イエスを否みましたが、悔い改め、主イエスのところに立ち返りました。黙示録には小アジアの七つの教会の内、四つまでが悔い改めを求められています(二、三章)。
 神との和解は悔い改めによって生まれます。そうすることによって、人は神との正しい関係を取り戻します。そして、それによってはじめて人間相互の和解もまた可能になります。パウロもまたコリントの人たちが悔い改めることによって、彼らと和解することができました。それには不正を行った者を罰することと、自分の不正な態度を悔い改めることが含まれます。中途半端な和解は問題の解決とはなりません(アモス三:三)。
 わたしたちは悔い改める前と後では変わります。それまで自分のものであったのが主イエスのものとなり再び与えられるからです。そこには新しい関係が生まれるのです。アブラハムは百歳になって与えられたサラとの独り息子イサクを神に返すことによって再びその子を得ました。。ダビデは後継者アムノンとアブサロムを失いましたが、ソロモンを得ました。、ヤコブは死んだと思っていたヨセフがエジプトで生きているのを知りました。主イエスを否んだペトロは復活の主イエスから「わたしの羊を養いなさい」と言われました。同じことはわたしたちにもいえるのです。主イエスのために「家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」のです(マタイ一九:二九)。
 わたしたちは神の「御心に適った悲しみ」を経験することによって、もはや揺り動かされることのない永遠の命に至るまで継続する、堅固なものを再び得るのです(ヘブライ一二:二七)。それがキリストにある新しい交わりなのです。