2007年12月16日日曜日

ルカ1章26-38節「あなたと共におられる」

第92号

 神は天使ガマリエルをガリラヤのナザレという町に住むマリアに遣わし、言われました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」。「マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」のです。何か良いことをしていたのであれば、「ああ、そのことか」とこの言葉を素直に喜ぶことができたでしょう。あるいは、何かの目標に向かって一生懸命だったなら、そのことを認めてくれた、と思えたことでしょう。しかし、マリアには何故このような祝福を受けるのか分かりませんでした。ナザレという田舎町で育ったマリア、彼女には神からこのような言葉を受けるに値するものは何一つなかったのです(ルカ一:四八)。
 ガブリエルはマリアに「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子といわれる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることはない」と言われました。それは「マリアよ、喜びなさい。あなたが身ごもる子は聖書で約束されたメシアなのです」ということでした。
 ガブリエルの言葉は、もしマリアが既にヨセフと結婚していて、ヨセフとの間に出来る子がそうなのだというのであれば、素晴らしいものでした。しかし、これはマリアがヨセフと結婚する前に子が生まれるというものだったのです。今と違って、未婚の女性が身重になることは赦されない時代でした。本人の問題だけでなく、家族の恥であり、家長の責任でした。事実、マリアが身ごもったと聞いたヨセフは「縁をひそかに切ろうと決心した」のです(マタイ一:一九)。これはヨセフがマリアの子を自分の子と認めたうえで離縁しようとしたということでした。ヨセフがマリアのことを公にしたなら彼女は死罪を免れないでしょう。義人ヨセフはマリアがそのような目に遭うのを望まなかったのです。
 マリアはガブリエルに答えました。「どうして、そのようなことがありえましょう。わたしは男の人を知りませんのに」。信仰の原則は「神から与えられるために、自分の持っているものを先ず捨てる」ということです。ガブリエルの言葉が成就するためには、マリアがヨセフとの結婚の夢を捨てなければなりませんでした。それどころか自分の命すら捨てる覚悟が求められました。わたしたちはどうでしょうか。クリスチャンであっても「天使ガブリエルよ、とんでもないことです。わたしにはヨセフといういいなずけがいます。わたしではなく他の人にしてください」と言うのではないでしょうか。多くの人の場合、信仰は自分の利益が守られる範囲内、という前提に立っています。しかし、本当の信仰者の生き方は主イエスのためにどれだけ損をするかによって決まります。神のために何かを捨てるなら、神がそれを補ってくださって余りあるのです。マリアがヨセフとの結婚だけを考えていたら、主イエスにある本当の幸せを見つけることが出来たでしょうか。
 ガブリエルは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、歳をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神には出来ないことは何一つない」と言われました。ヨセフはマリアと縁を切る決心をしました。しかし、ガブリエルがヨセフに夢で現れ「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と言われました(マタイ一:二〇、二一)。
 身ごもったマリアが「わたしを信じて」と言ってもヨセフはその言葉を受け入れられなかったでしょう。マリアに「恵まれた方」と言われたお方は、彼女が毎日幸福に楽しく生きられると約束した訳ではありません。マリアは、神であり、自分の息子でもある主イエスの十字架を見なければなりませんでした(ルカ二:三五)。しかし、主イエスは死から復活されました。そして天に上げられ、彼女の心の中に霊として入って来られました。「主イエスはマリアと共におられる」のです。この約束は地上にいる間だけでなく、死んでからも永遠に続くのです。
 マリアはガブリエルに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言いました。この言葉により、マリアが素晴らしい女性であるのが分かります。神がナザレのマリアにご自身の子を託されたという訳が分かります。
 主イエスはわたしたちにも「恵まれた人よ」と言われます。主イエスが共にいてくださる」からです。クリスマスにこの世に御子を送られた天の父に感謝します。

2007年11月18日日曜日

コロサイ書1章9-23節「御子は最初の者」

第91号

 肉体の死によってわたしたちの「いのち」は終わるのでしょうか。それとも復活はあるのでしょうか。古今東西多くの人が抱いて来た疑問です。科学では証明できませんし、自分は死から甦った、復活はあると言われても信じられないことです。
 主イエスの時代、ファリサイ派の人たちや律法学者たち、また一般の多くの人たちは復活を信じていました。しかし、サドカイ派の人たちは信じていませんでした。天使や霊の存在も信ぜず、魂は肉体と共に滅びると信じ、未来の応報も否定していました。彼らはモーセ五書のみ信じていたからです。
 サドカイ派の人たちはダビデ時代の祭司サドクの子孫と言われ、祭司長を代々務め、祭司の職を独占して来ました。最高法院の議員を多く占め、神殿を拠点に政治的実権を握り、数は少なくても社会の指導的役割を担っていました。使徒言行録には、パウロが主イエスは復活したと宣べ伝えたため、最高法院で弁明を求められた出来事が書かれています(二二:三〇~二三:一一)。パウロは議員がファリサイ派とサドカイ派の人々だったので、彼らの教義上の違いである「復活はある」、「ない」の問題に議論を転換させてしまいました。

 主イエスは愛するマルタとマリアの弟ラザロが死んだとき、マルタに「あなたの兄弟は復活する」と言われましたが、それに対するマルタの答えは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」でした。それが当時の人々の復活についての一般的な考えでした。ですから「その石を取りのけなさい」と主イエスが言われると、マルタは「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と答えたのです(ヨハネ一一:一~四四)。主イエスはラザロを復活させました。それは御自身が「いのち」であり、死者を甦らせるお方だからです。マルタだけでなく弟子たちもまた主イエスがそのようなメシアであるとは考えていませんでした。
 カイザリア・フィリピに行った後、主イエスは弟子たちに繰返し自分はエルサレムに行き、苦難を受け十字架につけられ、三日目に復活すると教えました。弟子たちは、主イエスはエルサレムで神の国を樹立すると信じ、その暁には自分たちも主イエスと共に神の国を支配すると考えていたので、主イエスの言葉の意味を理解することはできずにいました。彼らは主イエスが大祭司たちに捕らえられると、見捨てて逃げてしまいました。主イエスは一人、十字架につけられ、死んで墓に葬られました。三日後、主イエスは前もって言われていたとおり復活されましたが、弟子たちは誰も信じませんでした。彼らが信じたのは復活した主イエスと出会ったからです。そして雲に包まれ天に昇るのを見ました。ペンテコステのとき約束の聖霊を受けて彼らははじめて伝道に立ち上がり、自らを「主の復活の証人」と呼んだのです(ヨハネ二〇:二八)。

わたしたちの信仰は「主は復活された」という事実にかかっています。主イエスは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました(マタイ一六:二四)。その行き着く先が十字架の死で終わるなら誰も主イエスに従うことはできません。それは呪いの死に他ならないからです。しかし、主イエスは復活されました。それによって、主イエスはご自分の罪のない身体によってわたしたちの罪を確かに贖われたこと、また、わたしたちも復活することを示されました。十字架は命への道となりました。主イエスは「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人はたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と言われるのです(二五、二六)。
 主イエスは十字架に渡される前夜、弟子たちの足を洗われ、それが神の国であると教えられました。弟子たちの理解する神の国は、ローマの頸木からイスラエルを解放することでした。主自らが人々の上に君臨すると思っていたのでした。そのため、主イエスを理解することができませんでした。
 そのような彼らに、主イエスは十字架の上から、「父よ彼らをお許しください、彼らは何をしているのか分からないのです」と言われました。主イエスは神であるにもかかわらず最も弱い者となりました。そして謙虚な者、愛の人としての生涯を全うされました。それ故、天の父は御子を復活させられたのです。「御子は最初の者」となり、わたしたちの初穂となられました。
 復活された主イエスは、今、生きておられ、わたしたちと交わりを持つことがおできになるのです。主イエスを信じる「神の国」の民はペンテコステ以降、教会としてこの世に実現しました。教会は新しい天と新しい地のこの世での先取りです。わたしたちの国籍は天にあるのです。

2007年9月16日日曜日

フィリピ書2章12-18節「自分の救い」

第89号
 
 パウロはフィリピの人たちに「わたしの愛する人たち、…従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と勧めます。このことは「救われていないあなた方が救われるように」ということでも、「救われているあなた方が、その救いから漏れることのないように」ということでもありません。「あなたがたの救いは確かなこと」だからです。
 わたしたちは、救われるためには自分の努力や決心が大切と考えがちです。教会に行き、聖書を読み、祈ることで、また、自分は正直で、素直で、謙遜だからとか、何らかの「取り柄」があったからと考えるのです。
 確かに、わたしたちは喉が渇けば水を飲むこともできますし、人生がいやになれば窓から飛び降りることだってできます。しかし、救いはそのようなことではありません。
 わたしたちは罪という「泥沼」の中に生きているのです。右足を上げようとすれば左足が沈み、左足を挙げようとすれば右足が沈みます。その中で立ったり座ったり、手、足を動かしたりしているのです。それは自由ではありません。泥沼から出ることができないからです。わたしたちは神によってのみ泥沼から救われ、しかも岸に上がってはじめて自由になったことを知るのです。罪からの救いは人間の意志や努力ではできません。主イエスに出会って、初めて、自分が救われたのは神の選びと恵みであったことに気がつきます。救いは、神がその全ての主権を握っているのです。

 モーセに率いられて出エジプトを出たイスラエルの民は人種や民族の異なる雑多な人たちでした。彼らは紅海を渡って荒野に出て行くことにより、イスラエル、すなわち神の民、律法の民、契約の民となりました。荒野で彼らはすぐに喉の渇きを覚えました。そして、飢えを覚えました。そこには何の楽しみもありませんでした。家族の団欒すらなかったのです。神は彼らを水と、マナで養いましたが、民は神とモーセに絶えず不平を言い、つぶやきました。そのため、最初の世代はカレブとヨシュアを除いて全て荒野で滅ぼされました。荒野で生まれて育った新しい世代が、ヨルダン川を渡って乳と蜜の流れる約束の地に入ることが許されました。
 出エジプト記に書かれていることは、キリスト者の生活に重なります。わたしたちはこの世から出てきて洗礼を受け、教会の民となりました。キリスト者の歩みを始めたわたしたちが最初に経験するのは「霊的な渇き」です。この「心の空白感」を肉欲、仕事、地位、名誉、財産などで癒そうとしてもできません。それができるのは主イエスだけです。主イエスは「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。…その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました(ヨハネ四:一四)。
 この世で自分がキリスト者であることを告白するなら、仕事に支障をきたしたり、生活していく上で困難なことが起こるかもしれません。わたしたちは時が良くても悪くても主イエスを証しなければなりません。その結果として受ける損失をあらかじめ覚悟しておかなければなりません。主イエスは「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」と言われました(ヨハネ六:五三、五四)。主イエスはわたしたちを、天からの食べ物、マナで養われるのです。
 キリストに従うことにより自分の好きな生き方ができなくなるかもしれません。たとえそうであっても、それに代わる霊的な喜びが与えられます。棄てるものより得るものの方がはるかに大きいのです。
 わたしたちは初めから主イエスに従順に生きることはできません。主イエスに反抗する古い自分に死んで、新しい自分に変わらなければなりません。野生の馬は乗り手を落とそうと暴れますが、調教されることによって従順な馬に生まれ変わります。主イエスに従うことにより、神の国の民にふさわしくされるのです。

  「自分の救いを達成するように努めなさい」とは、「従順さを追い求めなさい」ということです。「従順」とは自分の持っているものを全て棄てて、主イエスに従うことです。主イエスは神であるにも関わらず持っている栄光と権威を棄てて人となられました。神が人と結ばれ、元に戻ることはできません。そのようにしてまで人を救われようとされたのです。この主イエスと一緒に生きるとき、それに伴う苦難はあっても喜びがあります。
 「救いの達成」は、他の人の救いと密接な関連があります。主イエスに従順に生きることによって、多くの人を救いに導くことができるようになるからです。わたしたちの救いは決して個人的な出来事ではありません。

2007年7月15日日曜日

フィリピ書2章12-18節

第87号
 パウロはフィリピの人たちに「わたしの愛する人たち、…従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい」と勧めます。このことは「救われていないあなた方が救われるように」ということでも、「救われているあなた方が、その救いから漏れることのないように」ということでもありません。「あなたがたの救いは確かなこと」だからです。
 わたしたちは、救われるためには自分の努力や決心が大切と考えがちです。教会に行き、聖書を読み、祈ることで、また、自分は正直で、素直で、謙遜だからとか、何らかの「取り柄」があったからと考えるのです。
 確かに、わたしたちは喉が渇けば水を飲むこともできますし、人生がいやになれば窓から飛び降りることだってできます。しかし、救いはそのようなことではありません。
 わたしたちは罪という「泥沼」の中に生きているのです。右足を上げようとすれば左足が沈み、左足を挙げようとすれば右足が沈みます。その中で立ったり座ったり、手、足を動かしたりしているのです。それは自由ではありません。泥沼から出ることができないからです。わたしたちは神によってのみ泥沼から救われ、しかも岸に上がってはじめて自由になったことを知るのです。罪からの救いは人間の意志や努力ではできません。主イエスに出会って、初めて、自分が救われたのは神の選びと恵みであったことに気がつきます。救いは、神がその全ての主権を握っているのです。

 モーセに率いられて出エジプトを出たイスラエルの民は人種や民族の異なる雑多な人たちでした。彼らは紅海を渡って荒野に出て行くことにより、イスラエル、すなわち神の民、律法の民、契約の民となりました。荒野で彼らはすぐに喉の渇きを覚えました。そして、飢えを覚えました。そこには何の楽しみもありませんでした。家族の団欒すらなかったのです。神は彼らを水と、マナで養いましたが、民は神とモーセに絶えず不平を言い、つぶやきました。そのため、最初の世代はカレブとヨシュアを除いて全て荒野で滅ぼされました。荒野で生まれて育った新しい世代が、ヨルダン川を渡って乳と蜜の流れる約束の地に入ることが許されました。
 出エジプト記に書かれていることは、キリスト者の生活に重なります。わたしたちはこの世から出てきて洗礼を受け、教会の民となりました。キリスト者の歩みを始めたわたしたちが最初に経験するのは「霊的な渇き」です。この「心の空白感」を肉欲、仕事、地位、名誉、財産などで癒そうとしてもできません。それができるのは主イエスだけです。主イエスは「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。…その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました(ヨハネ四:一四)。
 この世で自分がキリスト者であることを告白するなら、仕事に支障をきたしたり、生活していく上で困難なことが起こるかもしれません。わたしたちは時が良くても悪くても主イエスを証しなければなりません。その結果として受ける損失をあらかじめ覚悟しておかなければなりません。主イエスは「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」と言われました(ヨハネ六:五三、五四)。主イエスはわたしたちを、天からの食べ物、マナで養われるのです。
 キリストに従うことにより自分の好きな生き方ができなくなるかもしれません。たとえそうであっても、それに代わる霊的な喜びが与えられます。棄てるものより得るものの方がはるかに大きいのです。
 わたしたちは初めから主イエスに従順に生きることはできません。主イエスに反抗する古い自分に死んで、新しい自分に変わらなければなりません。野生の馬は乗り手を落とそうと暴れますが、調教されることによって従順な馬に生まれ変わります。主イエスに従うことにより、神の国の民にふさわしくされるのです。

  「自分の救いを達成するように努めなさい」とは、「従順さを追い求めなさい」ということです。「従順」とは自分の持っているものを全て棄てて、主イエスに従うことです。主イエスは神であるにも関わらず持っている栄光と権威を棄てて人となられました。神が人と結ばれ、元に戻ることはできません。そのようにしてまで人を救われようとされたのです。この主イエスと一緒に生きるとき、それに伴う苦難はあっても喜びがあります。
 「救いの達成」は、他の人の救いと密接な関連があります。主イエスに従順に生きることによって、多くの人を救いに導くことができるようになるからです。わたしたちの救いは決して個人的な出来事ではありません。

2007年6月17日日曜日

エフェソ書2章11-22節「一人の新しい人」

第86号

 ユダヤ人は選民意識の強い民です。それは、彼らの先祖であるアブラハムに神が現れ、「カナンの地」と「子孫」と「すべての民の祝福の源」になる約束が与えられたからです。アブラハムはその約束を信じ割礼を受けましたが、ユダヤ人もまたその約束を信じ、厳格に割礼を守ってきました。
 ヤコブの時代、七〇人でエジプトに下ったイスラエルの家族は、四三〇年後に二〇〇~三〇〇万の民となりました。約束どおり「子孫」が増えたのです。民はモーセに率いられて荒野から「カナンの地」へと導き入れられました。
 時が満ちて主イエスが生まれましたが、ユダヤ人たちは主イエスを救い主とは認めませんでした。主イエスもまた、イスラエルをローマ帝国のくびきから開放し、神の国をこの地上に築いてほしいという弟子たちや民衆の期待に応えられませんでした。また、ファリサイ派の人たちや律法学者たちの教えるようには律法を守られませんでした。主イエスはご自身を神の子とされましたが、ユダヤ人にとってそれは神を冒涜することでした。彼らは主イエスを十字架につけましたが、三日目に復活されました。そして、ご自身を弟子たちにお示しになり、エルサレムに戻って約束の聖霊を受けるように言われました。
 弟子たちに聖霊が降ったのが、ペンテコステの出来事です。物音に驚いて集まって来た人たちにペトロは大胆に説教しました。人々は大いに心を打たれ「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねると、ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」と勧めました(使徒三章参照)。
 主イエスを神と信じる者が増えるにつれ、ユダヤ人の迫害は激しくなりました。ステファノが石で打ち殺されると、使徒たちの他は皆エルサレムの外に散っていきました。彼らの内の何人かは異邦人にも福音を宣べ伝えました。異邦人が福音を受け入れたのを知ると、使徒たちはペトロとヨハネを遣わしました。彼らが手を置くと異邦人もまた聖霊を授かったのです。

 異邦人が主イエスの霊を受けたことはユダヤ人にとって信じられないことでした。異邦人は「キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神に関係なく生きて」いたからです(一二節)。しかし、主イエスは規則と戒律ずくめの律法を廃棄され、ユダヤ人も異邦人も共に造り変えられる道を開かれ、一つの霊に結ばれて御父に近づくことができるようにされました。
 主イエスの十字架は神と人、ユダヤ人と異邦人、そして人と人とを隔てていたすべての壁を壊しました。かつて、大祭司しか入ることの出来なかった至聖所に、主イエスを信じる者は誰でも入ることが出来るようになりました。至聖所は神の御臨在の場所であって、わたしたちの心の最も奥深い大切な場所となりました。そこに神の霊が宿られるのです。
 エルサレムの神殿にはユダヤ人の他は「異邦人の庭」までしか入ることは許されていませんでした。そこから先は壁で隔てられていました。しかし、その神殿もまた西暦七〇年のユダヤ戦争のときローマ軍によって壊されました。ユダヤ人と異邦人を隔てる壁はなくなったのです。

  聖霊によって主イエスを頭とする一つの民が新しく創られました。それこそ新しいイスラエルの民の誕生であり、教会の始まりでした。このことは預言者たちによって前もって語られていたことでした(エレミヤ書三一:三一以下等)。
 この神の御計画にそって、パウロは異邦人に遣わされる使徒として選ばれました。彼はダマスコ途上で主イエスに出会うまで、キリスト者を迫害していました。パウロにとって、ユダヤ人も異邦人も共に救われるという、この御計画に預かる喜びがどれほど大きかったかは、彼の書いた書簡を見ればよく分かります。パウロはこの使命を果たすために命をかけました。
 「教会」というアブラハムの「子孫」は今や星の数ほど増えました。この子孫には主イエスによって「新しい天と地」が約束されています。これこそ新しい「カナンの地」です(フィリピ三:二〇参照)。ユダヤ人たちはいまだに地上のカナンを約束の地と信じているので、パレスチナの人たちとの争いが続いています。この世の土地に固執しないキリスト者だけが、この地上に「平和」をもたらすことができるのです。
 「すべての民の祝福の源」になることはユダヤ人が今までの歴史で達成することが出来なかったものでした。「一人の新しい人」の群れである「教会」は、主イエスが宿っているが故にこの約束をも成就するのです。

2007年5月20日日曜日

エフェソ書1章1~4節「聖霊による証印」

第85号

 
 エフェソの信徒への手紙はパウロの獄中書簡の一つです。執筆した場所はローマ、時期は西暦六〇年から六二年と思われます。内容はパウロがそれまで教えてきたことの要約です。
 エフェソは当時、アジアにおける商業、政治の中心でした。港は東と西を結ぶ中継地として栄え、ローマ人やギリシャ人、その他、様々な人種や人々が住んでいました。二万五千人収容できる野外劇場があり、人々は戦車の競争、人と動物との戦いなどを楽しんでいました。しかし、何といってもエフェソといえばアルテミス神殿で知られています。天から下ってきた町の守護神を祭るその神殿は、古代世界の七不思議の一つでした。莫大な金銀が奉納され、その豊かな財源は人々への潤沢な貸付資金となり、巨大銀行となっていました。神殿娼婦も数百人いて、まさに異教的な不道徳で淫らな世界が繰り広げられていました。そのような中に主イエスの福音が伝えられていったのです。

 主イエスの福音は十字架と復活にあります。わたしたちにとって十字架の出来事は信じられても、復活を信じることは極めて困難です。死んだ人が甦ることなど到底信じられないからです。このことは主イエスの弟子たちにとっても同じでした。主イエスが復活された日の早朝、親しい婦人たちが墓から駆け戻って来て「主は復活されました」と告げても、それを信じた弟子たちは一人もいませんでした。彼らは傷心のまま郷里に帰り、以前の仕事に戻っていきました。そのような彼らが信じたのは、復活の主に会い、手と足の釘跡を示され、脇腹の槍の傷を見せられたからでした。それだけでなく主イエスは彼らと一緒に食事をし、聖書を教えられ、生前の言葉を思い起こさせ、神の国について教えられたのです。彼らがエルサレムに戻って来たのは、復活の主イエスの言葉によりました。
 弟子たちは復活の主イエスに出会い、喜びに満たされましたが、尚、ユダヤ人を恐れていました。一部屋に集まり、鍵をかけ、祈りながら主イエスが約束された聖霊を待っていました。
 弟子たちに聖霊が与えられたのはペンテコステの時でした。天に昇られた主イエスは父の御元から約束の聖霊を弟子たちに注がれましたが、それはご自身が霊となり、弟子たちに宿られたということでもあります(一コリ一五:四五)。その時から弟子たちは人々の前に出て、ユダヤ人を恐れることなく、大胆に主イエスを神の子と証し、福音を述べ伝えました。

 主イエスはわたしたちの心に宿られます。しかし、クリスチャンであっても多くの人たちはこの事実を知りません。同じことは当時の人たちにも言えました。説教者アポロは主イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていました。しかし、彼はヨハネの洗礼しか知りませんでした。彼がエフェソにも来て大胆に教え始めたとき、会堂で聞いていたプリスキラとアキラは彼の説教には何かが足りないのに気が付きました。そこで彼らはアポロを自分たちの家に招き、この道についてなお正確に教えたのです。(使徒一八:二四~二六)。
 パウロもまたエフェソの信徒たちに御言葉を宣べ伝えたとき、彼らの信仰に何かが欠けているのに気が付き「信仰に入ったとき聖霊を受けましたか」と訊ねています。それに対する彼らの答えは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」というものでした(使徒一九:一~七)。彼らもまたヨハネの洗礼しか知りませんでした。
 聖霊を受けなくても神を信じることはできます。主イエスを十字架につけたファリサイ派の人々や律法学者たちも神を信じていました。わたしたちも聖書を読み、教理問答を学ぶことによってキリスト教の正統的な信仰を持つことはできます。しかし、プリスキラとアキラがアポロの説教を聴いたとき、そしてパウロがエフェソで何人かの信徒から感じたように、聖霊を受けていないクリスチャンと受けたクリスチャンとではどこかが違うのです。
 聖霊は、自分の罪を認め、主イエスに自分の人生を捧げる決心をすることによって神から与えられます。聖霊を受けることによって、初めて実を結ぶ信仰となります(ヨハネ一五参照)。それだけでなく、聖霊はわたしたちを御国の相続人としてくださいます。聖霊は神であり、わたしたちの内に住まわれたそのお方が、わたしたちを永久の神の国へと導くからです。聖霊を受けることなくして御国に入ることはできません。聖霊はわたしたちが御国に入ることのできる証印です。そして、それは神の所有とされ、神が守られることの証印でもあります。聖霊によりわたしたちは他の兄弟姉妹と共に「キリストの体」である教会の部分とされます。そして、頭なる主イエスに導かれ、栄光の体とされ、御国の完成に至るのです。

2007年4月15日日曜日

ヨハネ11章1~44節「もし信じるなら」

第84号

〈イースター礼拝〉

 ベタニアはオリーブ山の東山麓にあり、エルサレムから三キロ弱、エリコから都に至る途上にありました。その村に住む姉弟マルタとマリアとラザロは主イエスに愛されていました。
 ラザロが病気になった時、すぐにマルタとマリアは主イエスに使いを出しました。主イエスと弟子たちはユダヤ人からの迫害を避け、ヨルダン川の向こう側にいたのです。「主よ、すぐに来てラザロを助けてください」、との必死の願いにも関わらずラザロは死にました。それは突然の死でした。
 葬儀の手配、弔問客の接待とマルタは忙しかったことでしょう。妹のマリアは泣いてばかりいました。しかし、夜になると、マルタもまた「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」とマリアと一緒に泣いたに違いありません。それでもラザロを墓に埋葬した直後は、主イエスはすぐ来てくださり甦らせてくださる、と固く信じていました。しかし、二日経ち、三日経つと、もう朽ちてしまっている、と思うようになり、絶望し、「主よ、なぜわたしたちをお見捨てになられたのですか」と不平をつぶやいたに違いありません。主イエスが到着されたのは、ラザロが墓に入れられて四日後のことでした。
 マリアは主イエスの足もとにひれ伏し、泣きました。ユダヤ人たちも泣いていました。死は愛する者たちとの永久の別れです。「どんなにラザロを愛していたことか」。死はすべてを過去形にしてしまいます。その現実に直面し、わたしたちは涙を流すのです。主イエスもまた、心に憤りを覚え、興奮し、涙を流されました。死は罪の結果です。サタンが人を誘惑し罪に陥れたのです。わたしたちもまた「主よ、来て、ご覧ください、死が支配しているこの現実を」と叫ばずにはいられません。

 主イエスはゲッセマネの園で、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と弟子たちに告げられました。それ故、ラザロを失ったマルタとマリアの悲しみはよくご存知でした。同様に、わたしたちの苦しみも悲しみもご存知なのです。
 世の人に臨む苦難は、例外なくわたしたちキリスト者にも臨みます。主イエスを信じることによってこの世のすべての問題が解決し、幸福に過ごすことができるという訳ではありません。にも関わらず、わたしたちと主イエスを信じない者との間には大きな違いがあります。それは主イエスの十字架と復活を信じることによってもたらされるものです。
 主イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれ、息を引き取られました。「神から見捨てられる」ということほど大きな悲しみはありません。わたしたちが経験するすべての苦しみ、孤独、死の恐れの根源はここにあります。まことに神である主イエスは十字架でわたしたちの罪を負われたのです。しかし、天の父は独り子である主イエスをそのまま墓に放置されませんでした。
 マグダラのマリアは安息日の次の日、すなわち葬られてから三日目の朝早く墓に行き、泣いていました。そのとき、主イエスが現れ、マリアに「婦人よ、なぜ泣いているのか」といわれました。わたしたちの耳には「マリアよ、わたしは復活したのだ。だからもう泣くことはない」と聞こえます。主イエスもラザロの墓で泣かれたからです。
 わたしたちは主イエスの十字架と復活から、苦難と絶望の後に栄光が待っていたのを知りました。マルタは絶望の底にあるとき、主イエスから「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えましたが、ユダヤ人であればこの正統的な信仰告白はだれでもしたことでしょう。主イエスを十字架につけたファリサイ派の人々もそのように答えるでしょうし、わたしたちも同じです。しかし、主イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われるのです。主イエスは死んだラザロを甦らせました。二人の姉妹の絶望は思いもかけない形で喜びに変わりました。

 主イエスを信じるなら、わたしたちに肉体の死はもはや意味を成しません。霊的な死から復活した経験は、肉体の死もまた新しい命の始めと信じられるからです。
 わたしたちの心は石で塞がれたままになってはいないでしょうか。主イエスは「その石を取りのけ、わたしのもとに、出て来なさい。今、生きているわたしを信じなさい。もし信じるなら、神の栄光を見られると、言っておいたではないか」と言われるのです。

2007年3月18日日曜日

ガラテヤ書4章21~5章1節「約束の子」

第83号

 
 カルデヤのウルに住んでいたアブラハムの父テラは、家族を連れてハランに移住しました。テラの死後、アブラハムは神の声を聴きました。それは、彼に「子孫」と「土地」が与えられ、全ての民の「祝福」の源になるというものでした。アブラハムはその時七十五歳でした。七十五歳といえば既に人生は定まり、動じることもなければ大きな飛躍は望めない歳です。もう自分のために家を建てたりはしません。物を買うのにも躊躇する歳です。
 アブラハムは神の声を聞いて旅立ちました。妻のサラと甥のロト、そしてハランで得た全ての財産、羊やロバや男女の僕を連れての旅立ちでした。慣れ親しんだ父の家と土地を捨て、水、食物、安全の全てを神により頼まなければならない、信仰の試練としての荒野での放浪のテント生活でした。サラもアブラハムの信仰に従ったのです。

 アブラハムがカナンの地に着くと、神はそこが約束の「土地」であると示されました。このときアブラハムには成年男子だけで三百十八人を数える家の子がいました。族長アブラハムの一番大きな悩みは後継ぎがいないことでした。「わたしには子供がありません。…家の僕が跡を継ぐことになっています」(創一五:二、三)。「子を授けてください」、それがアブラハムの祈りで、サラの祈りでもありました。
 サラは七十五歳になると自分には子が授からないと思うようになりました。そこで夫アブラハムにハガルによって子を持つことを勧めました。ハガルはエジプトの女でサラの奴隷でした。奴隷の子は主人の子と見做されたからです。アブラハムは妻の勧めを受け入れ、ハガルは子を宿しました。するとハガルはサラを軽んじるようになったのです。上下関係が崩れ、家庭内に平和がなくなりました。
 ハガルにイシマエルが生まれるとサラの立場はますます微妙なものとなりました。サラはイシマエルは神が約束された子と信じていたので、大切に育てなければならないことをよく知っていました。にもかかわらず、夫の子を産んだハガルへの嫉妬があり、自己憐憫があったのです。自分とは血がつながっていないイシマエルの成長を素直に喜べませんでした。このような葛藤の中で、サラは一体自分の人生は何なのかと問い、自分の罪を知らされ、その心は死んでいきました。
 そのようにして十三年の歳月が経ったある日、神がサラに現われ、来年の今ごろあなたに子が生まれる、と告げられました。サラはもはやその言葉を信じることはできませんでした。「主よ、あなたは何という人生をわたしに用意されたのですか」と心の中で笑ったのです。主はそのようなサラに対し「神に不可能なことがあろうか」と言われました(創一八:一四)。
 神はサラに恵み深く、サラを見捨てられませんでした。その約束どおり一年後、九十歳のサラに子が授けられたからです。子の名はイサクで、「(彼は)笑う」という意味でした。サラはイサクを抱きながら「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」と言いました(二一:六)。
 イサクの乳離れの日、サラはアブラハムにハガルとイシマエルを家から追い出すように求めました。アブラハムはイシマエルも自分の子で、しかも長子であるため非常に苦しみました。神はそのアブラハムに「すべてサラが言うことに聞き従いなさい。」と言われたのです(一二)。

 サラの人生にとって二人の子、イシマエルとイサクはどのような意味を持っていたのでしょうか。二人の子は共にサラの愛の対象であったはずです。しかし、サラはイシマエルを愛することはできませんでした。それに対しイサクは自分の胎を痛めた子で、血の繋がったこの子を愛することは大きな喜びだったのです。
 わたしたちにとってイシマエルとイサクはどのような意味を持っているのでしょうか。イシマエルは律法を、イサクは福音を表しているのです。
 神の試練を受けたアブラハムは、独り子イサクをモリアの地で焼き尽くす捧げものにしようとしました。天の父は主イエスの祈りにもかかわらず、独り子をわたしたちの罪を赦すために十字架につけられました。そして死から復活させてわたしたちに永遠の命の確かなことを教えられました。主イエスは天に昇り、そこから約束の聖霊をわたしたちに授けました。主イエスの霊を受けたわたしたちは、サラとイサクが血によって繋がっているように、わたしたちもまた神の子とされているのです。自分の良い行いではなく、「アッバ、父よ」と呼ぶことのできる霊で主イエスと結ばれることによって、はじめて律法の縄目から開放され、救われるのです(ロマ八:一五)。それによってアブラハムへの約束、「子孫」、「土地」、「祝福」を神から相続されるのです。それは永遠の命に他なりません。

2007年2月18日日曜日

ガラテヤ書3章1~14節「アブラハムの子」

第82号

 アダムとエバによる人類の堕罪に対する救済の歴史はアブラハムからはじまりました。神はアブラハムに現われ、彼に「土地」と「子孫」が与えられ、世界の民の「祝福」の源になると約束されました。アブラハムとサラには子がありませんでしたので、サラは七十歳を過ぎると自分の奴隷であるエジプトの女ハガルをアブラハムに与えイシマエルを得ました。奴隷の子は主人の子でもあったからです。しかし、神の約束の成就は奴隷の女によってではなく、あくまでも自由な女であるサラによってでした。アブラハムが百歳の時、九十歳のサラの体に命が宿りました。それがイサクでした。
 イサクが成長すると、神はアブラハムにイサクを焼き尽くす献げ物とするよう命じました。その声を聞くとアブラハムは旅立ち、三日後、モリアの地で祭壇を築きイサクを捧げようとしました。その時、神は天から呼びかけ、イサクをアブラハムの手に戻されました。アブラハムはイサクに代わって雄羊を献げました。それは死からの復活でした(ヘブル一一:一九)。モリアの地は、ユダヤ人たちの伝承によればソロモンが神殿を建てた場所です(歴代三:一)。アブラハムから二千年後、そこで神の子羊である主イエスが十字架につけられました。

 神の約束はアブラハムからイサクに、イサクからヤコブに、ヤコブからイスラエルの十二人の子に引き継がれました。ヤコブの子ヨセフは兄弟たちによってエジプトに売られて奴隷となりましたが、神の助けによりエジプトの王ファラオの宰相となりました。飢饉が世界に臨んだ時、父ヤコブの家族をエジプトに呼び寄せました。そこで四百三十年間に二百万から三百万人という大きな民となりました。その間、彼らはエジプト人の奴隷となり使役に苦しむようになりました。
 神はモーセを遣わし、エジプトからイスラエルの民を救い出されました。モーセに率いられた民は紅海を渡り、一ヵ月後にシナイ山で神から十戒を授けられました。荒野での四十年の放浪の後、ヨルダン川を渡って約束の地、カナンに入りました。
 ヨシュアは神がアブラハムに約束した「土地」と「子孫」が彼らに与えられたのを知り、民と契約を結びました(ヨシュア記二四章)。神を信じ従う決心を民としたのです。ここにヤハウェを信じ、救いの歴史を共有する十二の部族共同体が生まれました。エジプトで奴隷であった民が神により自由の民となったことは、死から命に移されたことであり、新しい時代のはじまりでした。
 このような神との契約にもかかわらず、人々はすぐに土着の民の影響を受け、バアルやアシュタロトなどのカナンの神々を信じるようになりました。これらの神は農耕の神で豊穣の神でした。また、彼らは神による直接の支配ではなく、他の民と同じように王制を求めるようになりました。神に従ったダビデ王のとき国は発展しましたが、ソロモン王の後、国は二つに分裂しました。王たちと民による罪の結果、北王国イスラエルはアッシリアに、南王国ユダはバビロニアによって滅ぼされました。約束の地を追われ、捕囚となったユダの民はペルシャ王キュロスによって帰還が赦されましたが、世界に散ったイスラエルの民はエルサレム神殿を中心とする祭儀を守る神の民ではなく、律法を守る神の民として生きるようになりました。

 時が満ち、天の父はイスラエルの民にご自身の独り子主イエスを送られました。しかし、律法を守っていると自負していた民にとって、神と人への愛を説く主イエスは躓きの石となりました。主イエスを神の子と信じたのは弟子や罪人、病人など僅かでした。人々は主イエスが自らを神とし、神を冒涜しているとして十字架につけて殺しました。しかし、三日目に復活され、天の父の身元に行かれ、そこから約束の聖霊を弟子たちに注がれました。この弟子たちにより異邦人にも福音が宣べ伝えられ、彼らも聖霊を受けました。その数は空の星、地の砂のように増え、わたしたちに至っています。

 パウロは神がアブラハムに約束された「子孫」とは主イエスのことだと言います。主イエスは割礼の人たちによって殺されましたが、天の父は主イエスを甦らせました。その死と復活によって新しい民が生まれました。心に主イエスの霊という割礼を受けた民です。この霊の故にわたしたちもまたキリストを頭とする体の一部とされ、「子孫」とされるのです。
 アブラハムに現われ、語られた神は主イエスです。アブラハムへの約束が歴史の中で成就したように、主イエスのわたしたちへの約束も歴史を越えて必ず成就します。「土地」は天にある新しいエルサレムです。わたしたちはそこで永遠に生きるのです。この約束を信じる世界の民によってアブラハムは「祝福」の源となったのです。

2007年1月21日日曜日

ガラテヤ書1章1~10節「キリストの福音」

第81号

《新年礼拝》 

 ガラテヤの信徒への手紙は、キリスト者の自由の「マグナカルタ」(大憲章)です。主題は「主イエスを信じる信仰によって神に義とされる」という信仰義認です。ローマの信徒への手紙にも言えます。前者はローマの信徒への手紙の概要で、後者はガラテヤ書の解説と言ってもいいでしょう。いずれの書簡も使徒パウロが著者です。パウロは「よい行いで神の前に義とされる」、すなわち「自分の力で神の前を正しく生きる」行為義認、律法主義は信仰義認とは相容れません。「キリストの僕」であることと「律法を遵守」することとは両立しないと言います。
 パウロは「キリストの福音」とは、キリストが「この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために捧げてくださった」ことだと言います。
 「悪の世」とは、そこに住んでいる人間が悪いという意味です。ある所に盗賊団が住んでいると、人々は「あの場所は悪い」と言います。江戸時代、辻斬りをした人が捕まりますと、人々はその人の刀も人の血を吸ったと嫌いました。「この世」はあくまで「器」にすぎません。「器」である「この世」を良くするのも悪くするのも人です。
 聖書は「人は必ず欺く」と言います(詩一一六:一一)また、「皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」と記されています(詩一四:三)。わたしたちの生まれつきの心のままでは善を行うことはできないのです。この世から離れ、一人で生活しても神の前に正しく生きることはできません。このようなわたしたちを救うために神は御子キリストをこの世にお遣わしになったとパウロはガラテヤの人々に教えたのです。

 パウロの後からガラテヤにやって来た偽使徒(ユダヤ主義者)たちは、パウロの使徒職を否定しました。パウロは主イエスが選ばれた十二弟子の一人ではなく、生前の主イエスから直接教えを受けた訳でもなかったからです。彼らは、自分たちはエルサレムの教会から遣わされのだと言い、その権威を背景に、パウロの教えは救いには不十分だと主張したのです。十二弟子たちは皆、律法を守って正しく生活していたので、偽使徒たちもまた主イエスを信じるだけでなく、彼らに倣って生活するようにと教えました。
 律法の知識は聖書を学ぶことによって身に付きますが、「キリストの福音」は、主イエスとの出会いが必要です。パウロはダマスコに行く途中、それまで彼が迫害していた主イエスに出会いました(使徒九:三~四)。人の罪を赦すことがおできになるのは神お一人であり、それが十字架の出来事であること、三日目に甦られ、天に上られ、天の父の右に座し、信じる者に約束の聖霊を送られたのを直接主イエスから示されたのです。
 行為義認、律法主義は良い行いでもって神に認められようとします。神の救いを待つのではなく、自分から神に自分の義を主張するのです。しかし、律法で救われようとしても神が定めるその基準には到底到達することはできません。律法は自分の罪を自覚し、神のところにわたしたちを導き、連れて行くための養育係にすぎません。それ自体に救う力はないのです。
 わたしたちは自分の律法による人間的な努力で神を見い出すことができません。むしろ、多くの場合、神と人に対し律法の知識と行為を誇るようになります。ファリサイ派の人たちは「律法を知らないこの群衆は呪われている」と言い(ヨハネ七:四九)。また「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と祈りました(ルカ一八:一一)。

 使徒たちは何故、律法を守っていたのでしょうか。彼らはユダヤ人に遣わされたからでした。パウロは異邦人に遣わされました。彼らはユダヤ人にはユダヤ人のようになり、異邦人には異邦人のようになったのです。使徒たちは自分の良い行いで救われたとは思っていませんでした。
 パウロが偽使徒たちを「呪われるが良い」とまで言うのは、自分たちの主義主張のために十二使徒たちを利用し、主イエスの救いのみならず、律法の行いによる救いを教えたからです。彼らは最悪の敵である「わたし自身」から救われる機会をガラテヤの人々から奪っていたからです。神に対するわずかばかりの良い行いで自らの価値を神と人に認めさせ、自分は救いに価するとするなら「キリストの福音」を歪曲し、神に敵対することになります。
 わたし自身が罪から救われなければならない存在です。そのために主イエスは天の父から遣わされ、十字架の上でわたしたちの罪を贖われました。そして、三日目に復活され、わたしたちの初穂となられました。その恵みだけで充分なのです。