2010年12月19日日曜日

ヨハネ1章19-28節「あの預言者」

第128号

申命記18章15節~22節

 預言者モーセはイスラエルの民に「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わなければならない」と言いました。それ以降、イスラエルの民にとって「あの預言者」と言えばモーセのこの約束を指すようになりました。
 神はモーセをエジプトに遣わし、そこで奴隷となっていたイスラエルの民を救われました。エジプトの王ファラオはモーセの声に従いませんでしたが、神はモーセを通して様々なしるしを行った末、エジプト中の初子を撃ち、それによってイスラエルの民は、遂にエジプトから出て行くことができたのです。
 自由の民となったイスラエルは一ヶ月後にシナイ山に着き、そこで神から十戒を授かりました。律法は神の民にふさわしい倫理基準です。そして、それを守ることによりアブラハムに約束されたカナンの地で繁栄し、全国民の模範の民となることができたのです。しかし、律法を守らないなら彼らは滅びなければなりませんでした。
 しかし、その後のイスラエルの歴史は、指導者も民も律法を守ることができませんでした。結局、北王国(イスラエル)はアッシリアに、南王国(ユダ)も五八七年にバビロニアに滅ぼされました。それ以来、イスラエルは自分の国を持つことはできませんでした。
 このように、モーセから律法の時代が始まりました。イスラエルの民に与えられた律法はその前の時代と後とを明確に分けたからです。モーセは神と民の仲介者となり、それまでは自分の良心に従って歩むほかなかった民に、何が神の前に良いのか悪いのかを明らかにし、それによって神の救いと裁きとを指し示しました。

 モーセからおおよそ六百年の歳月が経ち、洗礼者ヨハネがイスラエルの前に現れました。荒野から出て来たヨハネはラクダの毛衣を着、イナゴと野蜜を食物としていました。ヨハネはイスラエルの民にアブラハムの子であることは救いとは何の関係もないとしました。そして、罪からの悔い改めの洗礼を授け始めると、祭司やレビ人たちは「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねました。それに対し、ヨハネは「そうではない」と明確に答え、「あの預言者」は、わたしの後に来られると言いました。
 ヨハネは「わたしは、その履物をお脱がせする値打もない。そのお方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と言われました。そして、罪の赦しの洗礼を人々に授けたのです。貧しい人、罪人、虐げられている人がヨハネのところにやって来て洗礼を受けました。
 主イエスもまたヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、伝道の生涯に入られました。公生涯に入られた主イエスも質素で、上着と下着だけが所持品の全てでした。夜、寝る家もなかったのです。
 主イエスは、律法に捉われず、厳格な食事や安息日の規定から自由に生きられました。神は霊だから礼拝する場所は神殿だけでなく、どこでもいいこと、そして、人は律法を守ることによっては救われないと教えられました。

 民の指導者たちは主イエスを十字架に付けました。彼らは主イエスの教えを否みました。彼らは指導者として地位と名誉を守ろうとし、アブラハムの子孫として救いはあくまでユダヤ人だけのものとしたかったのです。しかし、バビロニアに滅ぼされたイスラエルの歴史と主イエスの十字架の出来事は、わたしたちに律法を守ることによっては決して救われることはないことを教えます。
 十字架に付けられた主イエスは三日目に甦られました。それによって御自身がまことの神であることをお示しになられました。御自身は罪を犯されず、わたしたちの罪の身代わりとなってその血を流され、わたしたちの贖罪の小羊となられたのです。復活の事実と主イエスが約束された聖霊が人々に与えられることによって福音は世界に広がり、恵みの時代が始まったのです。行いによってではなく、主イエスを神の子と信じる者が救われるのです。
 モーセによって律法が支配する時代がイスラエルで始まったように、主イエスを信じる信仰によって救われる新しい時代が世界に始まりました。モーセは神の人でした。しかし、主イエスは神の子です。モーセが「わたしのような預言者」とはそのような意味でした。わたしたちにこのような主イエスが与えられているにも拘らず、自分の良い行いによって救われようとするなら、モーセの律法の時代に生きているのと変わらなくなってしまいます。
 主イエスはベツレヘムの家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされました。わたしたちの心に主イエスの宿るところがないなら、もっと低い心の人に宿られるのではないでしょうか。