第138号
主イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである」と言われました。しかし、主イエスはこの地上に平和をもたらすために来られたのではないのでしょうか。イザヤもまた主イエスについて預言し、このように言っています。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ九章五節)。主イエス御自身も山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言っておられます(マタイ五章九節)。主イエスを信じるわたしたちまた、地上に平和をもたらす使命が委ねられているのではないでしょうか。
主イエスはなぜこのように言われたのでしょうか。主イエスは御自身に従う者たちの中から、特に十二人の弟子を選ばれたとあります。彼らは主イエスに「呼び寄せ」られたのです。それは彼らを世に遣わされるためでした。主イエスは彼らに「汚れた霊に対する権能をお授け」になりましたが、それは「あらゆる病気や患いをいやすため」でした。主イエスは十二弟子たちが迫害されるのを御存知でした。「わたしのために、あなたがたはすべての人に憎まれる」と言われ、「人々を恐れてはならない…体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな、むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と言われました。この世の本当の主権者は人ではなく、天の父であり、主イエスご自身であることを教えられたのです。このようなことが起こるのはアフリカやイスラムの社会だけに限りません。日本や他の西欧諸国でも、またいつの時代にも言えることです。ジョージ・ミューラーは孤児院の父と言われますが、彼が神学生の時、宣教師になることを決心すると父は反対し、学費の仕送りを止めてしましました。父は息子が立派な聖職者になって高給を取り、立派な家に住んでもらいたかったのです。ゆくゆくは息子の家で老後を安楽に暮したいと思っていました。主イエスもまた三十歳になると、伝道の為に家を出ました。主イエスは父ヨセフが亡くなった後、母マリアと一緒に幼い弟や妹のために働いて来ました。母も弟たちもそれが当然と思い、それがいつまでも続くと思っていたのです。彼らは主イエスを家に連れ戻そうとカファルナウムまで追いかけて来ました(マタイ一二章四六~五〇節)。
主イエスの言葉は御自身が選ばれた者たちに与えられたもので、十字架によって生涯を終えられた主イエスの生き方に倣うように促すものです。