2013年12月15日日曜日

ルカ1章26-38節「生まれる子」

第164号

《クリスマス礼拝》

 天使ガブリエルはガリラヤのナザレに住む乙女マリアに現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と告げました。マリアはまだ一四、五歳の乙女でした。この時代、男の人が女性に挨拶することはありませんでした。ましてや天使が現れ、乙女にこのようなことを言うとは考えられないことでした。「マリアは戸惑い、いったいこの挨拶はなんのことかと考え込」みました。すると天使は「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高い方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることはない」と言われました。
 マリアにはダビデ王の家系に連なるヨセフという、いいなずけがいました。婚約は結婚と同じで、解消するためには法的な手続きが必要でした。また、結婚は婚約の後、式をあげ、花嫁を夫の家に迎え入れることによって成立し、その後、妻に生まれた子は夫の子となったのです。この時代、乙女が夫以外の子を身ごもれば死罪となりました。しかし、マリアは身ごもり、しかも、その子はアブラハム、モーセ、ダビデといった預言者を通して神が民に約束された救い主、メシアだと言うのです。

 天使ガブリエルは六ヶ月前にもマリアの親類である祭司ザカリアと妻、エリサベトに現れ、子が生まれることを告げていました。その子は「エリアの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」のです。しかし、老いた二人はこの言葉を信じませんでした。この二人とマリアへの答えは基本的に同じでした。それは「神にできないことは何一つない」というものでした。
 それは彼らよりなお二千年前に生きたアブラハムとサラが経験したことでもありました。神が百歳と九〇歳になる彼らに子が生まれると告げると、彼らは心の中で笑ったのです。しかし命の誕生は、神の創造の業であって、イサクの誕生は、人間の業によらない神による約束の成就でした。メシアは自分で自分を救うことができないわたしたちに与えられる神の救いで、そのためにマリアを器として選ばれたのです。マリアに何か神の母となるにふさわしい偉大さや資質があった訳ではありません。全ては神の御計画であり、御意志なのです。
 祭司ザカリアと妻エリサベトの子である洗礼者ヨハネはアブラハム、モーセ、ダビデといった旧約の預言者の最後に来た人となり、マリアと夫ヨセフは預言者たちの口を通して神がイスラエルの民に約束しておられたメシアの到来を最初に知らされた人でした。彼らは旧約と新約の接点に立ち、救いの到来を神から告げられたが故に特別な人となったのです。それは主イエスの証人となるということでした。
 マリアは天使ガブリエルの声を、質素な生家で聞いたのではないでしょうか。その声によって彼女の生涯は、この世から神に属する者に変えられたのです。それは天使ガブリエルとの出会いによって立派な人になったというのではなく、今までと変わらないマリアに神が生涯、共にいてくださるということでした。

 マリアに天使ガブリエルが命じられたことは特別なことではありません。生まれて来る子にイエスと名付けなさい、そしてその子を育てなさいということだけでした。にも関わらず、マリアは大きな責を負ったのです。マリアは天使ガブリエルの前で自分の都合を述べることはできませんでした。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言うより他に選択の余地はなかったのです。同じことは夫ヨセフにも言えました。ヨセフに天使は現れマリアを妻とし、生まれて来る子を自分の子として育てるように求めたからです。
 マリアの生涯は主イエスが公生涯に入られると同時に苦難の道を歩み始めました。そして遂には十字架につけられた我が子の下に立たなければなりませんでした。それは彼女にとってどれほどの痛みであり苦しみだったことでしょう。しかし、主イエスは墓から三日目に復活されました。そして四〇日に亘ってご自身を弟子たちに示され、天に上られ約束の聖霊を注がれたのです。
 マリアは聖霊によって主イエスを宿しましたが、同じことがわたしたちにも起こるのです。主イエスの言葉を聞いて、聖霊を受けるならそれはわたしたちにとってのクリスマスの出来事となるからです。わたしたちの心の中に「生まれる子」は主イエスであって、そのお方が王となってこの世だけでなく永遠にわたしたちを支配するのです。わたしたちはこの世の知識、価値観に従って歩んで来ました。主イエスの言葉を聞いた後はマリアと同じように「わたしは主のはしため(しもべ)です。お言葉どおり、この身に成りますように」と言えるように変えられるのです。

2013年11月17日日曜日

コリント一15章35-49節「死者はどんなふうに復活するのか」

第163号

「死後の世界はあるのか」、これはわたしたちに対する永遠の問いかけです。古代の多くの民にとって霊魂の不滅は疑いのない事実だったようです。ギリシャ哲学では魂の不滅を教えます。プラトンは「パイドン―魂の不死について」で、ソクラテスの死の有様を書いています。毒薬を飲んだソクラテスは死ぬまでの間いろいろなことを弟子たちと話しています。その中には借りていた鶏のことまで思い出し、返すように頼んでいます。死に向き合う切迫感に欠けているようですが、それは死は終わりではなく、霊魂の不滅を信じていたからです。インドで生まれた仏教も輪廻転生の輪を断ち切るのが目的だったようです。生きることは苦痛に過ぎなかった当時ではそこからの脱出こそが切実な思いだったのでしょう。その仏教も中国に伝わると、東方正教の一派であるネストリウス(景教)の影響を受け、死後の世界を教えるようになったと言われます。真言宗の教祖、空海が遣唐使の学生として中国に渡った頃です。同じように神道も霊魂の不滅を教えます。

 ユダヤ教の初期においては、人は死ぬと陰府に下ると考えられていました。陰府は死者が眠る場所でした。モーセの五書には死後のことは書かれていません。神はモーセを通してユダヤ人に十戒を与えられました。律法は神の国の民にふさわしい倫理基準を教え、十戒に従って正しく生きるなら神はその人を祝福し、従わないのなら裁かれるのです。その祝福は土地や家畜などの財産が増えること、良妻と多くの子供が与えられ子孫が繁栄すること、また健康を守られ長寿を全うするといったことでした。しかし、旧約聖書の後期になると、人々はこのような因果応報の考え方に疑問を持つようになります。義人が必ずしも祝福を受けるとは限らないからです。反対に、義のゆえに苦しみ、迫害を受け、悲惨な生涯を送ることも多くありました。正しく生きることはこの世だけで決着がつかない問題でした。そのため、人々は次第に死後に神の裁きがあると信じるようになりました。同時に、人々はメシアを待望するようになりました。モーセに約束した預言者が与えられること、それは預言者ナタンがダビデに告げたメシアの成就であって、そのお方によってこの世に神の国が生まると信じるようになりました(申命記一八章一五節、サムエル記上七章参照)。その神の国はエルサレムから始まり世界に広がるのです。
 主イエスはこのように時が満ち、生まれました。群衆は主イエスがなされた奇跡を見、その説教を聞いてこのお方こそメシアであると信じました。弟子たちはこのお方と一緒に神の国を支配することを夢見たのです。イスラエルの民はローマ帝国からの解放を願っていました。ローマが税金を徴収し、平和もまた彼らの圧倒的な軍事力によって維持されたのです。しかし、主イエスはユダヤ人指導者によってローマ総督ポンティオ・ピラトの前に引き出され、十字架に付けられました。十字架刑は神に呪われた者であることの象徴でした。しかし、主イエスは三日目に墓から甦り、弟子たちに手足の釘跡、脇腹の槍跡を見せられ、触れなさいと言われました。それはご自身が確かに霊でなく体をもったキリストとして復活されたことを示されたのです。主イエスは弟子たちと一緒に食事をされましたが、これも霊であれば出来ないことでした。そして四十日に亘って聖書からご自身のことを教えられ、彼らの目の前でご自身の再臨を約束し、天に上げられたのです。

 聖書は、人は体と霊から成ると教えます。体だけ、あるいは霊だけでは人とは言えません。同じことが主イエスにも言えるのです。しかし、弟子たちは復活された主イエスを見ても、すぐにはそのお方が誰であるか分かりませんでした。生前の主イエスとはどこか違っていたのでしょう。主イエスと認めるためには彼らの心の目が開かれなければなりませんでした。同じことがわたしたちにも言えます。主イエスは今も生きておられますが、そのお方と出会うためには私たちの心の目も開かれなければなりません。わたしたちの心に聖霊が宿ることにより主イエスを神の子と告白することができるようになります(ヨハネの手紙四章一、二節)。そして、わたしたちのうちに宿った神の霊こそ、わたしたちが復活することの確かな証拠であって、それは生きた種となるのです。
 わたしたちの前に植物の種が二つあり、そのどちらかが生きていると言われても見分けることはできないでしょう。生きた種を見分ける唯一の方法は土に埋めることです。芽が出るほうが生きた種だからです。同じようにわたしたちも生きた種であるなら、死んで葬られ、そこから新しい体をまとって復活するのです。それは主イエスの再臨の時で、その体こそ永遠の命に耐えるものであって、神のみ前に生きるにふさわしい栄光に輝くものなのです。

 

2013年10月20日日曜日

ペトロの手紙4章7-11節「神が栄光をお受けになる」

第162号

 この手紙の書かれた目的は「苦難」に耐えるにはどのようにしたらよいのかを教えることです。苦難は主が与えられる、あるいは少なくとも主がお許しにならない限りわたしたちの身に及ぶことはありません。わたしたちは、以前は苦難を自分の視点からしか考えることが出来ませんでした。しかし主イエスを信じることにより神の視点から見ることが出来るようになるのです。それによって全ては人間が主体ではなく神が主体であることを知り、自分が満足する生き方ではなく、神の栄光を求め、時が良くても悪くても神を賛美し、御言葉を述べ伝えることを求めるようになります。
  このように変えられていく最初の出発点は主イエスとの出会いです。それは十字架につけられたはずの主イエスが今も生きておられ、全てを支配されていることを知る霊的な体験です。しかしこのことは決して個人的な救いの出来事としてだけで捉えることは出来ません。それよりもっと大切な意味があるのです。それは「神の国」の民の一員に加えられるということで、主イエスはその国の王であるという事実に目が開かれることです。聖書はその視点から書かれているのです。

 エジプトで奴隷であったイスラエルの民を導き出した預言者モーセは、四〇歳までは自分の頭で神を理解する極めて人間的な信仰だったと思われます(使徒言行録七章二三節参照)。そのため、彼は自分の行いによってイスラエルの民を救おうとしましたが失敗に終わりました。ミディアンの地に逃げたモーセは八〇歳まで義理の父の羊を飼い、妻と子供を養いました。その間、人の生きる意味と忍耐を学んだのではないでしょうか(創世記三章一七~一九節)。このような生活は生ける神と出会うことによって変えられました。その後の四〇年は荒野を旅する共同体の指導者として神が約束された土地に民を導くために神と共に歩む生涯となりました。それは主にある信仰者としての苦難を知るということでもありました。
  奴隷は神を礼拝できません。エジプトで働くイスラエルの民に神を礼拝する自由はありませんでした。しかし、奴隷の頸木を逃れて出て行った荒野には、水も食べ物もありませんでした。民はエジプトでの肉鍋を囲んだ楽しい家族団欒の時を思い出し、不平を言いました。しかしそのような生活を通してイスラエルの民の信仰は強くされ、戦うことが出来るようになりました。
  モーセの生涯を見るまでもなく、歴史は神によってつくられます。神はモーセだけでなくアブラハムダビデなど多くの預言者を通して、イスラエルの民に救い主(メシア)が生まれることを約束されました。主イエスはその約束の成就でした。主イエスはわたしたち全ての人の罪を背負って十字架につけられました。そして三日目に甦られました。死は罪のない主イエスを墓に閉じ込めておくことは出来なかったのです。同じように、主イエスによって罪が贖われたわたしたちもまた復活に預かるのです。主イエスの復活はそのようなわたしたちの初穂となられたのです。復活された主イエスは、御自身の再臨を約束された後、弟子たちの前で天に上られました。主イエスが再びこの地に来られる時に神の国が生まれるのです。
「万物の終わりが迫って」いる、それは今の時を指しています。この世はわたしたちの努力によって良くなるのではなく、主イエスと一緒に働くことによってでもありません。主イエス御自身によって今とは違う全く新しい世界が生まれるのです。
 ペトロはわたしたちに、この終末の時をどのように生きたら良いのかを教えます。それは「心を込めて愛し合いなさい」ということで、「もてなし合いなさい」ということでもあります。旅人をもてなす、それはこの手紙を受け取る貧しい教会員に負担を強いることでもありました。また、見ず知らずの人を泊めることによって問題も起こったはずです。そうであってもペトロは、「不平を言わずに」そうしなさいと言うのです。それが愛の実践でした。教会という主イエスの共同体において愛以外に借りがあってはならないからです。「愛は多くの罪を覆う」のです。
  わたしたちは自分の力や経験で主イエスを知ることは出来ません。主イエスを知ったのは聖霊によるものでした。この上からの力は様々な奉仕の賜物であって、それによって教会という共同体を主イエスは御自身の御心のままに生かすのです。自分の力で教会に貢献できるのであればわたしたちは自分を誇ることが出来ます。しかし、全てが主イエスから出たのであれば、わたしたちに出来るのは神を賛美することだけです。「イエス・キリストを通して神が栄光をお受けになる」のであって、これがわたしたちの「アーメン」であり、教会の目的です。

2013年9月15日日曜日

ヤコブの手紙2章8-13節「最も尊い律法」

第161号


 ヤコブは「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉こそ「最も尊い律法」であって、それを実行するなら「それは結構なことです」と言います。しかし、続けて、それだけでは十分ではなく、他の律法をも守らなければ結局「罪を犯すことになり、律法の違反者と断定されます」と述べています。わたしたちから見れば、罪は罪でも「人を分け隔てしてはならない」は、「人を殺すな」に比べれば比較にならないほど軽いように思われます。それにも拘らず、ヤコブは、絶対的に「義」であり「聖」である神の前に、わたしたちが犯すたとえわずかな罪であっても、自分を義とすることは出来ず、結局は罪に定められると言うのです。

 「律法」とは一体何なのでしょう。ユダヤ人は幼少から両親から旧約聖書を教えられ、「モーセの十戒」を学びます。「律法」とは神を信じるなら、してはならないこと、あるいはしなければならないことです。神はモーセを遣わしてエジプトに住むイスラエルの民をアブラハムに約束したカナンの地に導き出そうとされました。そこに「神の国」を築くためでした。その神の国の民にふさわしい倫理基準こそ十戒でした。十戒を守って歩む民を神は祝福し、平和と富と繁栄を約束されたのです。十戒は、一.神以外のものを神としてはならない、二.刻んだ像を作って神としてはならない、三.主の名をみだりに唱えてはならない、四.安息日を守りなさい、五.父母を敬いなさい、六.殺してはならない、七.姦淫してはならない、八.盗んではならない、九.嘘をついてはならない、十.むさぼってはならない、ですが最初の四つは神に関する戒め、後半の六つは人に関する戒めです。それらは神を愛しなさい、人を愛しなさいという二つの戒めにまとめられ「最も尊い律法」となります。
 「律法」は神の国の民のもので宗教的なものですが、この世の国においては、それは法律となります。人を殺した場合、故意か過失か、計画的か衝動的か、攻撃的か正当防衛か等が考慮され、人によって裁かれることになります。身体への殺傷、そして財産、名誉、地位への損失は告訴によって裁判になり判決が下されます。「裁き」は「法律」が根拠となって「判決」が下されます。しかし人間の裁きには量刑に不公平が避けられません。時には殺人犯でない人に極刑を下すという冤罪まで起こります。神でなく、罪ある人が人を正しく裁くことは出来ません。また、多くの利己的な人は法律に触れなければ何をしても良いと考えます。そのため悪い人が栄え、正しい人が苦しむことはよくあることです。
 人が人を裁く「法律」に対し、神は「律法」によって人を裁かれます。無からこの世を創られた全知全能の神の裁きには間違いがありません。旧約聖書では神は律法を守る民を恵まれます。「世界の民はユダヤ人のようになりたがっている」とよく言われます。それは、神を信じることによって初めて人は正しく生きる根拠を持つからです。神なき世界では法律を守る根拠が希薄なため、道徳の崩壊が起こりがちです。人が正しく生きるためには神の存在が「要請」されるのです。

 神は人に律法を与えましたが、人はそれを守って生きることは出来ません。たった一つであっても犯せば罪ありと裁かれてしまうからです。このようなわたしたちを救うために、神は御自身の独り子である主イエスをこの世に遣わされたのです。主イエスはこの世で少しの罪も犯されませんでした。それは主イエスが神であったからです。同時に、主イエスは母マリアから生まれた人でもありました。わたしたちと同じ生きる悲しみや喜び、痛みや苦しみ、弱さを全て御存知でした。そのお方が十字架でわたしたちの罪を贖われたのです。そして、三日目に死から復活されました。
 主イエスはわたしたちに死後の世界を教えられました。わたしたちは死んで神の御前に立たなければなりません。その時、生前に行った全てが、心の思いと共に一瞬にして天のスクリーンに映し出され裁かれるのです。神が裁かれる故に、それは違うと異議を唱えることは出来ません。しかし、主イエスを信じる者はこの裁きを免れているのです。主イエスがわたしたちの身代わりとなって下さったからです。
 この信仰をわたしたちは神から「恵み」として与えられました。それ故わたしたちは、もはや人を裁くことは出来ません。自分の罪が赦されているのに、他人の罪を裁くことは出来ないからです。それは「最も尊い律法」が不要となるということです。律法に代わって、主イエスの福音が与えられているからです。

 

2013年7月21日日曜日

ロマ書9章19-29節「憐れみの器として」

第159号

 パウロはローマの信徒への手紙九章一節から一八節にかけて、わたしたちの「救い」はあくまでも神の恵みであって、自分の意志や行いによるものではないと言います。その具体例として「アブラハムの子孫だからといって、皆がその子供ということにはならない」、また神はイサクの妻リベカに双子の男の子が生まれる前に「兄は弟に仕えるであろう」と言われたことを上げます。それは「自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められる」ためでした。神はわたしたちの心も支配しておられるのです。イスラエルの民をエジプトから出すようにと言うモーセの願いをファラオが拒絶したのは神がファラオの心を「かたくなにされ」たからでした。
 パウロはこのように言うなら、あなたがたは「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と問うに違いないと言います。不可知論者として知られている科学者アインシュタインもまた「もしこの存在者が全能であれば、全ての人間の行動、思想、また人間の感情と希望を含む全ての出来事がこの存在者の仕業です。そういう全能の存在者の前にそして人間の行動と思想に対して本人の責任を問うことはどうしてあり得るのでしょうか?罪と報いを与えることによって、ある意味では神がご自分を裁くことになります。神に帰すべき善と義をこれとどうして両立できるでしょうか?」と言っています。

  神が出来事だけでなく、わたしたちの心をも支配しておられるのであれば、誰も「神のご計画に逆らう」ことは出来ません。人は将棋の駒、操り人形に過ぎないからです。神は信じない者を裁くことは出来ません。神ご自身を裁くことになるからです。そして、そうであるならなぜ、神は全ての人を救われないのでしょうか。
 多くの人は、神が全ての主権者であることを信じることが出来ず、人が信じないのは人間の側の問題だと思います。神の救いは全ての人に開かれていて、それを受け入れるかどうかは人間の側の自由な決断によると信じるからです。人は永遠を考え、心の空しさを知り、神が存在することを願っていますが、神の救いを信じる自由意志もまた神の先行的な恵みとして人間に与えられていると言うのです。人類の最初の人アダムとエバは罪を冒しましたが、それによって完全に堕落した訳ではなく、人は自分の人生に責任を持つことが出来る存在であり、歴史もまた人間が支配しているとします。神は人の将来や歴史を予知されるだけと信じます。
 わたしたちが救われたのは神の一方的な選びによるものなのでしょうか、それとも自分の意志によるものなのでしょうか。その問いに対して聖書は繰り返し、人は自分で自分を救うことは出来ないことを教えます。ノアの時代、神が民をご覧になると全ての人が堕落していました。同じように、天の父は独り子をこの世に送られたのにも関わらず誰一人主イエスを神の子と認めませんでした。人は神が、食べたら「必ず死ぬ」と言われたにも関わらず、サタンの「絶対に死ぬことはない」との言葉に耳を貸し、その木の実を食べてしまったのです。サタンは今日に至るも、このように言ってわたしたちを欺いているのです。

神はご自身で「怒りの器」を用意され、彼らを滅ぼされると言うのではなく、「滅びの器」となってしまった民の中からご自身の民を救われたのです。ノアしか救われなかったのではなく、神はノアを救われたのです。なぜ、もっと多くの人をとか、全ての民を救われなかったのか、と言って神を裁くことは出来ません。神は主イエスを神の子と信じる者たちを、ご自身の「栄光」のために「憐れみの器」としてあらかじめ用意されたのです。
 アインシュタインの問への答えは、神は自らの罪のために滅びに定められていた人たちの中から、ご自身のために救われる者を用意された、と言うことです。救われた人はそのことを感謝することは出来ても、救われなかった人がいること、そしてなぜ、全ての人を救わないのだと神に不平を言うことはできないのです。
 アルバート・バーンズと言う学者は彼の新約聖書注解で「全ての人が罪人であるときに、神がある人を良く扱われたとしたらそれ以上の事を要求することはできない」と言っています。
 わたしたちが救われたのはわたしたち自身の為ではなく、神の栄光をたたえるためです。滅びの中から救われたわたしたちは、神の「憐れみの器」なのです。

 

2013年5月19日日曜日

ルカ24章44-53節「高い所からの力に覆われるまで」

第157号

《ペンテコステ礼拝》

 使徒たちのメシア理解と他の人たちの考えとは同じでした。それは当時のメシア観でした。メシアはエルサレムでローマの支配から人々を解放し神の国を造る、その国はイスラエルから世界に広がると信じていたのです。使徒たちは主イエスと一緒にその国を支配すると信じ、その為には自分の命を捨てることすら厭いませんでした。しかし、彼らの前で起こったことはそうではありませんでした。主イエスはユダヤ人指導者たちに捕まり、サンヘドリン(ユダヤ大法院)で裁判にかけられ、ローマ提督のポンティオ・ピラトのもとに引き渡されて十字架に付けられたからです。彼らの期待に反して主イエスはメシアとしての力を何も発揮されませんでした。使徒たちの失望はどれほど大きかったか分かりません。彼らは自分たちも捕らえられ、殺されるのではないかと恐れ、鍵を掛けた部屋に隠れました。多くの弟子たちは失意のうちに郷里に戻ろうとしました。エマオ出身の二人の弟子たちもそのような人たちでした。
 エマオに向かって歩いている二人に主イエスが近寄り、話しかけられました。復活の主は生前と違っていて、二人にはそのお方が誰であるか分かりませんでした。その方は道々二人に聖書を開いて、モーセとすべての預言者から始めて、ご自身について書いてある全てを解き明かされました。それは生前の主が彼らに何度も話して聞かせていたことでした。エマオにある彼らの家に着くと、その人を強いて引き留め一緒に食事をしました。その時、彼らの目が開けて主イエスだと分かりました。二人は直ちにエルサレムに戻り、それらのことを弟子たちに告げました。使徒たちもまた復活の主にお会いしたと語り合っていたのです。
 部屋に集まっていた弟子たちの真中に突然、主イエスが立たれました。亡霊が現れたと驚く彼らを御自身の体に触れさせ、また焼いた魚を食べられ、亡霊ではないことをお示しになりました。そして、「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」メシアは苦難を受け、十字架に付けられ、三日目に復活すること、そして「罪の赦しを得させる悔い改めが、…あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ことを話されました。

  使徒たちは三年前、主イエスに出会い、家族や仕事を捨てて従いました。彼らは主イエスが人々の病を癒し、死者を甦らせ、荒れ狂う波すら支配する力を持っていることを目の当たりにし、この方こそエルサレムを復興される方、メシアであると信じるようになりました。そして主が復活されたのを知ると、再び使徒たちは「神の国」がこの世に実現するのではないかと思うようになったのです。その使徒たちに主イエスは「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都に留まっていなさい」と命じられました。三年間、寝食を共にした使徒たちは主イエスのことをよく知っているはずでした。そして苦難と十字架に続き、復活されたのを知らされました。にも拘らず、「神の国」と彼らに与えられた使命が何であるかは分かりませんでした。

 弟子たちは、主イエスから「神の国」のことを聞いても理解することは出来ませんでした。それはわたしたちにも言えることで、「神の国」は生まれつきの人には隠されているからです。人の心に神の霊が宿り、その人を支配されるということなど誰が考えることは出来るのでしょうか(ヨハネ三章一節~九節参照)。
 神は最初の人アダムを土の塵で造られ、御自身の息を吹き込まれました。それによって人は「生きた者」となりました。同じように、わたしたちも神の息を心に吹き入れられることによって、初めて「生きた者」となるのです。神の国は使徒たちが考えていたように目に見える形でやっては来ませんでした。
 教会は聖霊を受けた人たちの群れです。それは昔、エジプトで奴隷だった民がモーセによって導かれ、自由の民となったイスラエルと同じです。わたしたちも神が御自身を礼拝する民としてこの世から選び出されたからです。この選びはわたしたちの特権となるものではなく、神に仕える者とされるためでした。
 教会の使命は主イエスを礼拝し、証することですが、その力は使徒にもわたしたちにも無く、神御自身にあります。そのために「高い所からの力に覆われるまで」待たなければならなかったのです。使徒たちは、主イエスの言葉を信じ、祈って待っていたため、神の霊を受けたのです。それがペンテコステの出来事でした。主は求める者に必ずご自身の霊を与えて下さるのです。

 

2013年3月17日日曜日

マタイ17章1-13節「これはわたしの愛する子」

第155号

 東日本大震災から二年が経ちました。当日、東京神学大学の卒業式に出席していましたが、礼拝堂の天井が大きく揺れ、梁が落ちて来るのではないかと思いました。十日後、パートナーズ・インターナショナル米国(NGO)のスタッフ、ボブ・サーベッジ氏と仙台、石巻を訪れました。そこにはニュース等で見た光景が広がっていました。住民は復旧のために立ち上がろうとし、自衛隊や海外からのボランティアなども多くいました。教会もまた地域の人たちに食糧や寝場所を提供する等して貢献していました。人々は長い列を作って順番を待ち、何事にも自分より弱い人たちを優先させ、助け合っていました。このような被災者の様子にサーベッジ氏は心を動かされたようでした。
 日本には海外からの留学生や英語教師がいますが、彼らの多くはユーチューブの動画やフェイス・ブック、スカイプ等のネットで自分の安全を家族や知人に知らせると共に、被災地への募金を呼びかけていました。同様に海外からも多くの人が義援金を呼びかけていました。個人や教会から多額の援助金が送られて来たことにパートナーズ・インターナショナル米国は驚いていました。災害援助専門家サーベッジ氏が急遽来日したのはそのためでした。
 不思議な事に世界には日本に特別な関心を寄せ、このような災害が起こると涙する多くの人がいます。それは以前から日本の自然や歴史に関心を持っていたり、日本に滞在したことがある人々以外にも見られます。彼らの日本人への愛はどこから来ているのでしょうか。

 主イエスと三人の弟子ペトロ、ヤコブ、ヨハネは高い山に登られました。そこで主イエスは太陽のように光り輝きました。そして弟子たちを雲が覆うと「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声がありました。この光景は預言者モーセのシナイ山での出来事に重なります。モーセが持って来た石の板に神は御自身の指で十戒を刻まれ、イスラエルの民に与えられました。民がこの戒めを守って生きるなら神に祝福され、守らないなら裁かれるのです。
 民は残念ながら律法を守って正しく生きることは出来ませんでした。聖と義なる神は天におられる裁判官であって、民は一人として裁きに耐えられませんでした。時が満ちて、神はイスラエルの民だけでなく全世界の民を救うため、御自身の独り子をこの世に与えられました。
 人々は主イエスを十字架に付けましたが、主イエスはその十字架の上で天の父に「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と言われました(ルカ二三章三四節)。主イエスは全ての人の罪を御自身で負われたのです。そして、神の呪いとなって十字架上で亡くなりました。その独り子を天の父は三日目に復活させられたのです。主イエスの贖いの故に、人は律法に従って義しく生きる必要はなくなりました。主イエスを信じるだけで救われるからです。
 弟子たちが主イエスのもたらした福音を心から信じることが出来るようになったのはペンテコステ(聖霊降臨日)で聖霊を受けてからでした(使徒二章参照)。わたしたちの心に聖霊が宿ることによって初めて神の言葉が石の板に代わって心に刻まれるのです。そうして、わたしたちは神を愛し、人を愛するように変えられて行きます。

 東日本大震災の津波の大きさは千年に一度と言われています。東日本の海岸に沿って建物や施設が流され、二万人近い人の生命が失われました。そして津波によって起こった福島第一原子力発電所事故の放射能漏れのため、多くの人々が住みなれた土地を離れなければなりませんでした。しかしそのような中で示された人々の規律と忍耐、自己犠牲はわたしたちに痛みと悲しみだけでなく、生きる力と将来への希望を抱かせるものでした。また世界中からの激励は彼らもまたわたしたちと同じ気持ちでいることを教えてくれました。これらの災害は決して偶然や摂理ではないと思うのです。日本がこのような苦難を受けることにより、精神的により強くされるためではないでしょうか。それは世界に果たすべき使命を持った国であるからだと思います。そしてその事を世界の人たちも無意識にでも知っているが故に、これ程までの愛を日本に注いでくれたのではないでしょうか。多くの国の人にとって日本はその意味で特別な国であることを忘れてはならないと思います。そしてそれ故に神と人の前に謙遜にならなければと思うのです。

 

2013年2月17日日曜日

マタイ14章22-36節「主よ、助けてください」

第154号
「五千人への給食」の後、主イエスは弟子たちを舟に乗せて向こう岸に行かせ、群衆を解散させました。そして独り祈るために山に登られました。夕方になり、夜が明けるまでその祈りは続きました。その間、弟子たちは海で逆風と荒波に苦しんでいました。彼らの多くはその海(ガリラヤ湖)の漁師でしたが、舟が沈むと思い、死の恐怖に怯えていたのです。
 夜明け頃、主イエスが湖面を歩いて彼らのところにやって来ました。それを見た弟子たちは「幽霊」だと大声をあげると、主イエスは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。ペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、…そちらに行かせてください」と答えると、主イエスは「来なさい」と言われました。ペトロは舟から降り、水の上を歩き始めました。しかし、すぐ風と波を見て怖くなり、沈みかけ「主よ、助けてください」と叫びました。主イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。二人が舟に乗りこむと同時に風は止み、波はおさまりました。弟子たちは主イエスにひざまずき、礼拝しました。

 「海」はわたしたちの「人生」を意味します。誰もが波風のない平和な毎日を望んでいます。そのための「世の原則」は気の合った人とだけ一緒に働き、生活するということです。そうすれば、いやなことは何も起こらないからです。相手を愛すれば、それに見合う愛が必ずその人から帰って来ます。自分もその人も良い人となるのです。しかし現実の生活でそのようなことはありません。必ず、自分と合わない人が現われ、あの人さえいなければいいのにと思ったりします。自分が苦手意識を持つなら、その人もあなたに対して同じように思うでしょう。そのようにして、良い人であったはずの自分が本当は人を愛せない、醜い自分であることに気付かされます。事故や怪我や病気ではなく、愛の欠乏こそがそこでの自分の居場所をなくさせることになります。そして生きることが苦しくなるのです。
 「舟」は「教会」を指すと言われます。教会もまた気の合った仲間だけが集まっていれば、楽しいところとなるのではないでしょうか。しかし、現実の教会は違います。色々な人が集まって来るからです。すると様々な考え方の違いが表面化し、逆風が起こり、荒波が立ちます。主イエスを見失い、暗闇の中で苦しむことになります。
 人間的な手立てがなく、もはや助かる見込みがないと思われる時に主イエスが近づいて来てくださるのです。わたしたちは主イエスに「わたしである」と言われて初めてそのお方に気が付きます。主イエスは「わたしの所に来なさい」と言われますが、わたしたちの目はどうしてもこの世と人とを見てしまいます。その結果、二心となって再び海に沈もうとするのです。そのような場合の「信仰の原則」は「主よ、助けてください」との心からの叫びです。主「イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ」て下さるからです。

 ペトロは舟に乗っていた弟子たちとわたしたち全ての代表です。ペトロが湖面を歩くことが出来たのは「自分の信仰」ではなく、「主イエスの信仰」の故でした。それは主イエスが天の父にわたしたちのためにして下さったことに目を止めるということです。このように主イエスに眼を注ぐことによって湖面を歩くという奇跡すら行えるのです。従って、そこから目を離せば沈む他はありません。それは旧約聖書に出て来るモーセの「杖」と同じで、その「杖」は「モーセの信仰」ではなく「主イエスの信仰」なのではないでしょうか。
 ペトロの湖上歩行は、わたしたちに主イエスの力に信頼することの大切さを教えます。教会は主イエスの全能を認め、このお方を神と告白しなければなりません。主イエスを通して示された神の力は主イエスの死からの復活においてわたしたちに示されています。主イエスの復活を信じることがわたしたちの信仰の出発点であって、それが無から有を生み出した創造の神を信じること、そしてまた、主イエスの湖上歩行を信じることにも繋がるのです。
 弟子たちが暗闇の中で波風に怯えていたとき、主イエスは山で祈っておられました。それは今、天でわたしたちのために祈られている主イエスに重なります。この世の波風はわたしたしたちを海に沈めようとします。しかし、助けは主イエスから来るのです。そして、それによって主イエスを全能の神として礼拝することが出来るようされるのです。

2013年1月20日日曜日

マタイ21章1-11節「主イエス、エルサレムに迎えられる」

第153号

 主イエスはエルサレムに向かって歩み始めました。オリーブ山の東側から山の南側の山麓に沿って進みケドロン川を越えてエルサレムに上るのです。イスラエルは民がバビロンから帰還後も五百年に亘って異民族に支配されました。その当時はローマ帝国によって虐げられていました。弟子たちは主イエスがエルサレムに入られることにより、民が重い頸木から解放され自由にされると信じていました。主イエスが支配する神の国の出現を思い、いよいよその日が来たと心がときめいたことでしょう。
 主イエスはベトファゲに着くと二人の弟子を使いに出し、「主がお入り用なのです」と言って、ロバとロバの子を引いて来るよう命じました。
 主イエスがロバに乗ると彼らは服や木の枝を切って道に敷き、「ダビデの子にホサナ」と叫びました。《ホサナ》とは「今、救ってください」の意で、「ダビデの子、万歳」、「ダビデの子に『祝福あれ』」の意です。主イエスは人々の歓呼の声に包まれてエルサレムに入城しました。王がロバに乗ってエルサレムに入城することは五百年前にゼカリアが預言していたことでした(ゼカリア書九章九節)。
 しかし、王が凱旋するのであれば軍馬に乗り、威風堂々と入城するはずでした。しかしこの王は「柔和な方」で、「荷を負うロバ」に乗っていました。ロバは平和の象徴でもあります。エルサレムの住民は混乱し「いったい、これはどういう人だ」と言って騒ぎました。それに対し主イエスと一緒にいた人たちは「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と答えました。彼らは主イエスが病人を癒し、自然を支配し、死人さえ甦らされたことを知っていたからです。そしてこのお方は天からの火で敵を滅ぼすことも出来ると信じていたのです。

  弟子たちは神の国の実現のため主イエスと共に戦って死ぬ覚悟でした。そのためには自分の命も惜しくはありませんでした。しかし、勝利を得た暁には主イエスと共にその国を支配することを夢見ていました。

その中にあって主イエスだけがエルサレム入城の本当の意味をご存知でした。それは、エルサレムで苦難を受け、十字架に付けられるということでした。神であり人である主イエスが人々の罪の身代わりとなって死ぬことがこの世に神の国をきたらせる唯一の道でした。
 エルサレムに入った弟子たちは、主イエスがいつ決起するかと心待ちにしていました。しかし、一向にその気配はありません。それどころか、敵がやって来た時、剣を抜いて戦おうとしたペトロを止め、天からの火で焼きつくすように求めた弟子を叱責されました。弟子たちは逃げるより他ありませんでした。どれ程後から悔やんでも、それは主イエスを見捨てたということでした。民衆もローマからイスラエルを解放しようとしないイエスを嘲り「十字架に付けよ」と叫びました。

 多くの人が自分は神を信じていると思っています。祭司長、律法学者、ファリサイ派の人たち、そして主イエスに従った弟子たちも皆、聖書を読み、神を信じていました。しかし、誰一人、主イエス御自身が神だと認識していませんでした。そのことから彼らは自分の頭で思い描いた神を神と信じていたにすぎないことを知らされます。同じことはわたしたちにも言えます。主イエスが神であることは、生まれつきのわたしたちには隠されていることなのです。
 主イエスは十字架に付けられましたが、三日目に甦られました。そして御自身を四十日に亘って弟子たちに示し、天に昇り神の右に坐られました。そして約束の聖霊を受け、弟子たちに注がれました。それがペンテコステの日に起こったことで、聖霊を受けた弟子たちは初めて主イエスが神であることを知りました。そのことは神の側からの働きかけによるもので、人間の力によるものではありません。わたしたち人間は自分の力で神を知ることは出来ないのです。
 主イエスはわたしたちの罪を全て負い十字架に付けられ、その罪を贖われました。わたしたち自身が自分の救いのために何かしなければならないということではなく、この主イエスのなされたことがわたしたちの救いとなったのです。それは主イエスを通してわたしたちに示された神からの一方的な恵みなのです。
 主イエスは神の子であるにも拘らず荷を負うロバの背に乗られました。低くされ、無価値な者、貧しい者とされました。そして、苦難と十字架の死を受け入れられました。それによってこの世ばかりでなく、永遠の都エルサレムの王となられたのです。軍馬に乗り、威風堂々と入城する王であれば弟子たち、また民からも歓迎されたでしょう。しかし、それではこの世の王にすぎなくなってしまいます。神の国は霊によって主イエスを王として礼拝する民によって生まれ、永遠の都エルサレムとなるのです。