2004年8月15日日曜日

コリント一5章1-13節「わずかなパン種」

第53号

 
 昔、イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトから荒野に出て行き、約束の地を目指しました。エジプトを出る時、神はモーセを通して一〇のしるしを行いましたが、その最後のしるしが過越でした。主はイスラエルの民にニサンの月、つまりイスラエルの正月(太陽暦の三月、あるいは四月に当たる)の一〇日に一才の雄の小羊を各家ごとに用意し、一四日の夕方に屠り、その血を入口の鴨居と二本の柱に塗るように求めました。そしてその小羊の肉を火で焼き、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べるよう命じたのです。民は腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べました。その夜、主の使いは入口の血を見てユダヤ人の家には入らずに過ぎ越し、エジプト人の家の長子を殺しました。ファラオは遂に「行って、主に仕えるがよい」とイスラエルの民を去らせたのです(創一二:三一)。除酵祭はこの過越の祭に続くもので、その日から二一日の夕方までの七日間、種入れぬパンを食べます。その間、家の中に酵母があってはならず、酵母入りのパンを食べた者は共同体から絶たれます。酵母なしのパンを食べたのは料理する時間がなかったためです(出エジ一二:三九)。また練り粉が酵母入りに比べて腐敗しにくかったからでもあります。イスラエルの民が過越祭や除酵祭を祝うのは、彼らが奴隷であったエジプトの地から主によって救われたことを思い起こすためです(出エジ一三:八、申一六:三)。また二つの異質なものを混ぜないということから、主への二心のない忠誠心を表わします。カナンの地定住後は、農耕の民としての意味が加わりました。新しい年の収穫である大麦や小麦が聖別されて用いられるため、パン種を使った古いパンを除去したのです。

 新約聖書は主イエスこそ「世の罪を取り除く神の小羊」であることを証します(ヨハ一:二九)。主イエスのこの世での生はベツレヘムにはじまりました。主イエスの母マリアには泊まる宿もありませんでした。そのため、生まれた主イエスを飼い葉桶に寝かせなければなりませんでした。神である主イエスはわたしたちのために貧しくなってこの世に来られました。それは御許に誰でも来ることを許され、来た者を救われるためです。神の子の誕生を聞いたヘロデ王はベツレヘムとその近郊で生まれた二才以下の男の子の殺害を命じました。わたしたちもヘロデ王のように自分が神となって生きたいと思うのです。そのためには神ですら殺してしまいます。このような罪の世界で主イエスは「神を愛し、人を愛する」に要約される神の戒めを完全に遵守されて生き抜きました(マタ二二:三七~四〇))。しかし、主イエスの行き着いたところは十字架でした。神の刑罰を受けられたのです。それはわたしたちに代わって罪の怒りと呪いを受けられたもので、わたしたちが「罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです」(Ⅰペト二:二四)。
 過越祭では血を流した小羊を食べます。神との契約は食事をすることによって締結されるのです。同じように主イエスの血による契約もまた食事によって締結されます(マタイ二六:二六~三九)。そして、主イエスは「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない」と言われます(ヨハ六:五三)。主イエスに仕えることこそわたしたちが神に捧げる生贄です。聖餐はそのことを思い起こさせます。教会はそうすることによって聖別されて用いられます。

 わたしたちの先祖のアダムとエバが造られたとき、彼らは悪意のないパン種のない者でした。しかし神の戒めに背き、自らが神になって生きようとしたとき彼らの中にパン種が入って来ました。それ以来、人類はパン種入りの練り粉となってしまったのです。しかし、神の小羊である主イエスがこの世に遣わされることにより再びパン種の入っていない群れである教会が生まれました。主イエスを信じる者は主イエスの生涯と十字架により清められているからです。
 パウロはこの観点から教会内で不道徳なこと、そしてみだらなことを行う者への戒律の必要を説きます。教会の中にもし「みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者」がいて、その罪を認めないなら、そのような者を教会から除かなければなりません。パウロは「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか」とコリントの教会の人たちに警告します。彼らは自分のしていることを改めないばかりか、それを誇っているからです。教会の外の人は主イエスが裁きます。しかし、教会の内部の人たちはわたしたちの責任です。わずかであってもパン種の存在は他の教会の人たち全体に悪い影響を与えます。救われた者は互いに清め合う責任を担っているのです。

2004年7月18日日曜日

コリント一2章1-26節「キリストの思い」

第52号

 
 心は目で見ることも、手で触れることも出来ません。しかし、わたしたちに心があるのは誰でも知っています。かつて心は心臓にある、或いは内臓にあると大真面目に論じられた時がありました。しかし、今日の科学は、心は脳の機能であると言います。人間の脳は成人で重さは一二〇〇~一五〇〇グラムです。その容量は人間に最も近いといわれるゴリラやチンパンジー、オランウータンといった高等霊長類と比較して三倍ほどあります。ちなみにゴリラの脳の重さは四五〇グラムほどです。体重比でも人間の脳は他の動物より驚くほど大きく、また緻密に出来ています。脳は様々な感覚から得た情報を一瞬にして判断し、処理します。例えば目から入った情報は脳で大きさ、色、速度、奥行きなどに認識されます。
 心はこのようなわたしたちの脳に宿りました。夜空の星を見て永遠を思い、大自然を見てその雄大さに感動します。花を見て美しいと思い、その花を恋人に、或は死者に捧げたりします。また青春時代の甘酸っぱい初恋の味をいつまでも覚えています。死者への憐れみや弱い人への労わりの心もあります。自分さえ良ければいいという自分中心の心もあれば、様々な欲望のとりこになった心もあります。美しい心もあれば、醜い心もあるのです。
 意識は心の高度な働きです。それは、人間は自分が何をしている、あるいは何を考えているのかを知っているということです。それは自分の外に立って脳の働きを知っているということに他なりません。このことは大切なことです。何故なら自分がしていることを知っているということは、他人の行動や考えを推測することが出来るからです。かつて、人類の直接の先祖であるクロマニヨン人は、ネアンデルタール人が進化したものであると考えられていた時代がありました。しかし、その後の発掘などから、かなりの年代、地球上に共存していたことが分かるようになりました。しかし、彼らは結婚し子孫を残すことは出来ませんでした。それは、種が異なっていたからです。クロマニヨン人もネアンデルタール人も同じ石器時代を生き、脳の大きさも変わりませんでした。しかし、ある時代以降、ネアンデルタール人は地上から姿を消しました。学者によってはその理由の一つに、心の働きが異なっていたことをあげています。クロマニヨン人の方が心の働きが活発で、相手の行動をより深く推測することが出来、また創造的な活動をすることが出来たからであると言うのです。
 人間には心の根底に、その人をその人たらしめる根源的な働きをしている霊があります。例えばわたしたちはただ寝て食べて息をするだけでは生きていることにはなりません。人間は本当の意味で生きることとは何かを求めます。目に見える現象の背後にあって支配している真理を求めようとします。神とは何か、永遠とは何か、幸せとは何かと考えます。また善悪を知り、それによって自分を律し、また他人を裁きます。しかし、人間の心は各自異なるため様々な価値判断、倫理基準が生まれます。ある人にとっての善はある人にとって悪となり得ます。その結果、戦争はいつの時代にもあり、貧困の問題、環境の問題、また様々な社会問題は絶えることはありません。人間の理性を信じ、人類の将来は明るいと考える人はほとんどいないでしょう。

 神の霊はこのような心に宿ります。生まれつき人の心に宿っている訳ではありません。生まれながらの人にとって神の言葉である聖書は読んでも理解出来ませんし、面白いとはいえないでしょう。聖書に書かれている神の知恵は受け入れられません。しかし、いったん神の霊を受けるなら聖書ほど面白い書物はありません。主イエスは神であり、十字架の言葉が真実であることを知らされるからです。神の知恵は神によってのみ知ることが出来るのです。
 サタンは神の計画が分かりませんでした。ですから主イエスを十字架につけて殺したのです。もし知っていれば十字架で殺すようなことはしなかったでしょう。それどころか全力で阻止したことでしょう。サタンは主イエスを十字架で殺しましたが神はそれによってサタンを滅ぼし、人々を罪の縄目から解放しました。そして、復活された主イエスは、信じる者を神の民とされたのです。それは神の知恵でした。

わたしたちが「キリストの思い」を抱き、神と人とを愛して生きようとするにはまず神からの働きかけが必要です。宗教改革者ルターは「わたしはあなたのもとに行くことはできない。それゆえ、わが神よ、あなたが立ってわたしのところに来て下さい。わたしをあなたのもとに連れていって下さい」と祈りました。主イエスはわたしたちの心の扉をたたくのです(黙三:二〇)。それを知って心の扉を開くなら心の中に入ってきてくださるのです。それにより、わたしたちはキリストの心、すなわち霊を持つのです。

2004年6月20日日曜日

ヤコブ2章14-26節「行いの伴わない信仰」

第51号

 ヤコブは「行いの伴わない信仰」は「役に立たない」、「その人を救うことは出来ない」、「それだけでは死んだもの」であると言います。それに対し、多くのキリスト者は、パウロが言うように人が救われるのは信仰であって行いによるのではないと考えます。宗教改革者ルターもまた同じ信仰義認の観点からヤコブ書を「わらの書簡」として退けました。このヤコブの主張は、そのように考える人たちにとって違和感を覚えるのではないでしょうか。
 確かに人は信仰によって救われるのであって、救いのための良い行いは何の役にも立ちません。わたしたちが救われるために必要なことはすべて主イエスがしてくださいました。わたしたちは主イエスを信じる信仰によって救われるのです。では、行いは信仰とは関係ないのでしょうか。否、救われたわたしたちには良い行いが求められています。それがヤコブの主張です。この書簡は、もう既に救われたキリスト者を対象にして書いて送っているのです。
 主イエスも救われた人の行いの大切なことを強調しています。例えば山上の説教ですが、その終わりは「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると倒れて、その倒れ方はひどかった。」と締め括っています(マタイ五~七章)。
 アブラハムもまた神を信じる人でした。神はそのアブラハムに、独り子イサクを焼き尽くす捧げものとして献げるように求めたのです。神はアブラハムの子孫から救い主が生まれることを約束していたわけですからイサクを捧げればその約束は果たせなくなるはずです。にも関わらずアブラハムはイサクを捧げました。アブラハムは死からの甦りを信じていたからです。(ヘブル一一:一七~一九)。神はその行いを見てアブラハムの信仰を義とされたのです。アブラハムの信仰はわたしたちの信仰でもあります。主イエスは十字架につけられ、そして三日目に甦られました。それによってわたしたちの罪が赦され、復活することを教えられました。わたしたちもまたアブラハムと同じように死からの甦りを信じるのです。

 ルカによる福音書一七章には、一〇人の重い皮膚病の人たちが主イエスのところに来て「わたしたちを憐れんでください」と叫んだことが書かれています。主イエスは彼らを哀れみ、祭司のところに行くように言われました。そしてその途中、彼らの病気は癒されました。その内の人は大声で神を讃美しながら戻って来て、主イエスの足元にひれ伏して感謝しました。主イエスはその人に対し「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。ところが他の九人は主イエスのところに戻りませんでした。彼らは病気は癒されましたが、その罪は赦されませんでした。病気が癒されるのと罪が癒されるのとでは比較することが出来ません。病気はこの世だけのことですが、罪が赦されてはじめて永遠の命に生きることが出来るようになるからです。わたしたちの罪は二千年前の主イエスの十字架により赦されています。しかし、主イエスのところに来て感謝する人はほとんどいないのです。感謝することこそ礼拝です。

 ローマ帝国時代、皇帝を神として礼拝することが求められました。このような社会にあって、教会に神を礼拝しに行くことは死の危険を冒すことでした。ローマには今でも隠れて地下で礼拝した跡、カタコンベが残っています。また、当時のキリスト者を表現して「無学、労働者、老婆…言葉で信仰を言い表せないものも多くいる…彼らは行為で表し、良いことを実行…。打たれても…、盗まれても…、求めるものに与え、隣人を自分自身のように愛している」と書かれたものが残っているそうです。多くのキリスト者が礼拝の自由を奪われ、迫害され殺されました。にも関わらず、キリスト者は非常な勢いで増加していったことは歴史が示しています。そしてついには、ローマ帝国はキリスト教を国教としました。
 わたしたちは自覚症状のない重い心の病気にかかっています。それは自己中心という病です。主イエスがわたしたちの罪のために十字架につけられ、それによってわたしたちに永遠の命を与えられました。しかし感謝せず、礼拝に出て何の得があるのかと考えるのです。また、忙しい、家族が良く思わない、環境が整えられたらと様々な理由をつけて主イエスのところに来ようとはしません。しかし、感謝のない生活は喜びや目的のない空しいものです。感謝があれば神に喜ばれる生き方をしようとします。感謝のない信仰は行いのない信仰となってしまいます。礼拝は決してキリスト者の義務ではなく、救われた者が主イエスにひれ伏す感謝の表現なのです。

2004年5月16日日曜日

ヨハネ21章1-25節「わたしを愛しているか」

第50号

 
復活された主イエスは、ガリラヤの海辺で弟子たちにご自身を現されました。そして食事を共にされた後、ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われました。ペトロは主イエスが十字架につけられる前、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言いました(マタイ二六:三三)。しかし、主イエスが捕らえられると、この人を知らないと三度も否みました。ペトロは「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えました。主イエスの使われた愛という言葉はギリシャ語で「アガペー」でした。しかし、ペトロは「フィレオー」の愛で答えています。二度目に主イエスは「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われました。ペトロはやはり主イエスのアガペーに対しフィレオーの愛で答えています。三度目に主イエスは「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と言われました。主イエスはここではアガペーではなくフィレオーを用いておられます。ペトロは「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたは良く知っておられます」とフィレオーで答えています。

  ペトロは三度も「わたしを愛しているか」と主イエスに言われて「悲しくなった」とあります。主イエスを裏切る前であればペトロはアガペーでもって答えたことでしょう。「アガペー」、それは聖書では神の愛であって報いを求めない愛です。それは、主イエスが十字架で示されたわたしたち罪人への愛です。ご自身に敵対する者への愛は、わたしたちには到底及びもつかない愛です。「フィレオー」の愛は親の子への愛、夫婦の愛、友情などに用いられます。ギリシャ語にはもう一つ「エロース」と呼ばれる愛があります。自分の自我、欲望を満足させる愛です。「フィレオー」にせよ「エロース」にせよ、わたしたち人間の愛は相手が自分の愛を受け入れるにふさわしい者であって初めて成り立ちます。愛は裏切り者に対して注がれることはありません。ペトロは自分には主イエスのような愛がないのを知ったのです。
 主イエスはペトロを三度も「ヨハネの子シモン」と呼ばれました。生前、主イエスはヨハネに「ペトロ」(岩)という名をお与えになりました。しかし、三度まで主イエスを裏切ってしまった彼は、もはや信仰にしっかりと立つ「岩」とは程遠い存在でした。十字架につけられる前までは、他の弟子たちと一緒に神の国の建設を夢見ていました。しかし、今は漁師の子ヨハネに戻ってしまったのです。ペトロは「悲しくなった」のです。

 主イエスを三度否んだペトロは復活の主に会って再び心を砕かれました。わたしたちは主に用いられるためには、心が砕かれる必要があります。モーセはエジプトのファラオの娘の子として育ちました。四〇歳になったとき自分の民であるヘブル人のために立ち上がりました。しかし、彼に続く者はいませんでした。彼はミデアンの地に逃れ、そこで義理の父エトロの羊を飼い、四〇年間を荒野で過ごしました。そこでの生活から忍耐を学び、心が砕かれたのです。使徒パウロもまた主イエスに出会う前、キリスト者を迫害していました。しかし、彼はダマスコに行く途中、主イエスご自身によって「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と言われ、心を砕かれたのです。
 ペトロはその後、他の弟子たちと共に聖霊を受け、伝道の先端に立ち、大きな働きをしました。伝承によれば、キリスト者への迫害がローマで起こったとき、ペトロは弟子たちの勧めに従ってアッピア街道を下っていました。その途中、主イエスとすれ違ったのです。驚いたペトロは「クオ・バァディス・ドミネ」(主よ、どこに行かれるのですか)と訊ねました。すると主イエスは「わたしはあなたに代わって再び十字架にかかるためにローマに行く」と答えました。ペトロは驚いて主イエスにひざまづき、ローマに戻り、逆さ十字架につけられたと言われています。主イエスを二度と裏切りたくなかったのです。ペトロは「わたしを愛しているか」と三度も言われた主イエスを忘れることは出来なかったのでしょう。

  ヨハネの福音書は「初めに言があった。…万物は言によって成った」ではじまり、「わたしを愛しているか」で終わっています。そして、その中心は「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」ことです。わたしたちの創造者である神がわたしたちの贖罪者でもあります。神は十字架によって真実の愛をわたしたちに教えます。自らの命を棄てることによって、わたしたち罪人に永遠の命を与えられたからです。その神が「わたしを愛しているか」と言われるのです。

 

2004年4月18日日曜日

ヨハネ20章1-18節「わたしは主を見ました」

第49号

〈イースター礼拝〉

 主イエスは十字架につけられ墓に葬られましたが、三日目に甦られました。しかし、復活後は生前とはどこか違っていました。マグダラのマリアは園丁だと思いました。また、ガリラヤに戻り、再び漁師となった弟子たちは、岸辺に立ち、声をかけられた方が誰だか分かりませんでした。そして、エマオ途上にあった二人の弟子も、道中一緒にいたにもかかわらず、その人が主イエスだとは気が付きませんでした。彼らは名前を呼ばれたり、食事の時にパンを裂くその様子を見て、初めて主イエスであることを知ったのです。

主イエスは復活し、まずマグダラのマリアにご自身を現わされました。このマリアは以前、七つの悪霊に取りつかれていました(マルコ一六:九)。彼女は自分の身体を売って生きていたとも言われ、精神的な病で苦しんでいたとも言われています。いずれにせよ、苦しみと暗黒の生活を送っていたことには違いありません。人から生きる価値のない人間だと思われ、自らもそのように認めていたのです。人々から好奇の目で見られ、いとまれ、さげすまれ、笑い者になっていたのではないでしょうか。救いとは縁のない、いや救われるはずのない罪人でした。主イエスはそのような女を救われました。救われたマリアは、誰よりも熱心に、陰日なたなく主イエスに仕える者となりました。持っているものすべてを捧げ、主イエスに従う婦人たちの模範となったのです。しかし、そのような生活は長くは続きませんでした。主イエスは捕えられゲッセマネで十字架につけられたからです。十字架を担いでゴルゴタへの道を歩む後を、マリアは泣きながらついて行きました。マリアをはじめ、主イエスの母等、婦人たちは、主イエスを遠くから見ていましたが、いつしか十字架の下に来て立ちつくしました。墓に葬られた後も、その場を離れることが出来ませんでした。しかし、次の日が安息日であったため、彼女たちは三日目の朝早く墓に再び戻って来たのです。

 主イエスが復活して最初にご自身を現されたのは、母マリアでも弟子たちでもく、マグダラのマリアでした。聖書には幸運の逆転について書かれてあります。人間的に力のある者、豊かな者が低くされ、弱い者、貧しい者が主にあって強くされ、豊かにされるのです。ハンナの歌やマリアの歌、山上の説教に見られます(サム上二、ルカ一:四六~五五)。聖書に出て来る偉大な人は、主によって強くされ大きな働きをしました。マグダラのマリアもまた、主イエスに出会い力強く生きることができるようにされたのです。
 復活とは死んでいた者が生き返ることですが、それはマグダラのマリアだけではありません。主イエスと一緒に二人の男が十字架につけられましたが、その内の一人は主イエスに「この方は何も悪いことをしていない」、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。すると、主イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました(ルカ二三:四一~四三)。この人もまた、十字架の上で死んでいたのに生き返ったのです(ルカ二三:四〇~四三)。同じように主イエスの十字架の出来事を見ていた百人隊長も「本当に、この人は正しい人だった」と告白し救われました(ルカ二三:四七)。この人もまた生き返ったのです。アブラハムも同じです。主から一人息子のイサクを焼き尽くす献げ物としてささげるように命じられたとき、彼の心は死にました。そして、三日後、目的地に着き、まさにイサクに手をかけようとしたとき、主は代わりの羊を与えられました。アブラハムは主に会って生き返ったのです(創世記二二章参照)

 マグダラのマリアは「わたしは主を見ました」と告白しました。主イエスはすべての人にご自身を示されたわけではありません。マリアは復活の主イエスに「マリア」と呼ばれて、初めてその人が誰であるかに気が付いたのです。主イエスは多くの人の中から「アブラハム」を、また「モーセ」、「サムエル」、「サウル(パウロ)」を呼ばれてご自身を示されたのです。
 主イエスに出会った人は生き返るです。主イエスは今も生きておられます。それは、主イエスが十字架の死から復活されたからです。主イエスの復活こそキリスト教の要です。復活なくして主イエスへの信仰は生まれません。わたしたちもまた復活の主イエスに出会い、マグダラのマリアと同じように「わたしは主を見ました」と告白するのです。そして「主から言われたこと」を宣べ伝えることにより救われます。主イエスを信じる者は、この世で生きるだけでなく、死から復活し、永遠の御国で再び主イエスにまみえることが約束されているのです。

2004年3月21日日曜日

ヨハネ18章38b-19章16節「王と自称する者」

第48号
 
 ユダヤ人指導者たちは主イエスを捕え、最高法院で裁くために大祭司カイアファのところに連れて行きました。自らを神の子としたその罪は死に値したのです(マタイ二六:六六)。しかし、彼らはその判決に従ってすぐに主イエスを処刑することはしませんでした。死罪でも極刑である十字架刑でなければならなかったのです。誰でも木にかけられるものは神に呪われたもので、そのような者がメシアであるはずはなかったからです(申二一:二三)。彼らは主イエスをローマ総督ピラトのもとに連れて行き、政治犯として裁くための正式な裁判を求めました。十字架刑に処することが出来たのはローマの裁判だけだったからです。
 ローマ総督ピラトは主イエスを見たとき、これはユダヤ人の宗教的な事柄であって、彼はローマ帝国に反逆する罪を犯してはいないことをすぐに見抜きました。だれでも無実の人を十字架につけたくはありません。ピラトは主イエスに茨の冠をかぶせ、紫の服を着せ「見よ、この男だ」と皆の前に引き出しました。そして三度も「わたしはこの男に罪を見いだせない」と繰り返しました。また再三、この男は「あなたたちの王だ」と言い、自分たちの問題は自分たちで処理するように求めました。しかし、ユダヤ人指導者たちは民衆を扇動し、「十字架につけよ、十字架につけよ」と騒ぎたて、そして「王と自称する者は皆、皇帝に背いています」、「わたしたちには皇帝のほかに王はありません」と叫び、ピラトがこの男を赦すなら彼自身もまたローマ皇帝に敵対することになると脅迫したのです。
 エルサレムの治安の維持こそローマ総督ピラトの務めでした。民が暴動を起こすなら責任を問われ、その地位を失いかねません。また、ローマ皇帝は神とされ、それ以外の者が自分を王、あるいは神とするなら皇帝に敵対する者と見做されたのです。ピラトはローマ総督の地位を失う危険を冒してまで主イエスを救うことは出来ませんでした。そして、それが明白な証拠もなく、主イエスをローマ帝国に反逆する政治犯として訴えたユダヤ人指導者たちのねらいでもありました。ピラトは彼らの要求に屈して、無実の主イエスを十字架に引き渡してしまいました。

 主イエスは自らを神の独り子とされ、神の権威で律法を解釈されて人々に教えられました。つまり神を愛し人を愛することがどのようなことなのかを説かれ、罪人の友となり、その家に入って一緒に食事をされました。また病気の人を癒され、自然を支配する力を示されました。しかし、ユダヤ人指導者たちの考えによれば、メシアはダビデのように王としてユダヤをローマ帝国から解放し、その神の国は世界に広がるはずでした。しかしながら、主イエスはそのような王として立ち上がることはなされませんでした。また、弟子たちにも剣を持って戦うことは赦されませんでした。このようなメシアはユダヤ人指導者にとって、「王と自称していた者」にすぎませんでした。そしてそれは、神を冒涜するものでした。そして、ユダヤ人指導者たちは多くの民が主イエスをメシアと信じ、自分たちから離れていったとき、主イエスをねたみ、恐れ、殺すことを決意しました。彼らもまたローマ総督ピラトのように指導者としての地位や名誉を守るため主イエスを十字架に引き渡したのです。

わたしたちの思い図ることは常にこの世のことです。ユダヤ人指導者だけでなく、三年間、主イエスと寝食を共にし、教えを受けた弟子たちですら、主イエスがいつ立ち上がるのかと、この世に神の国が来るのを待ち望んでいました。その意味で誰一人として主イエスを理解していた者はいませんでした。
 わたしたちは地位や人々からの賞賛を求めて生きようとします。しかし、本当は死んで神の前に立った時「忠実な良い僕だ。よくやった」と言われるほうを大切にして生きなければならないはずです(マタイ二五:二一)。この世の目で見るなら主イエスは「王と自称する者」にすぎなくなります。しかし、心の目で見るなら、主イエスはわたしたちの「王」であり、メシアなのです。世界中で読まれている童話、サン・テグジュペリの「星の王子さま」では、きつねは「心でみなくちゃ、ものごとはよく見えない」と言い、王子さまも「目はなにも見えないよ。心でさがさないとね」と言っております。目で見えない霊の世界に大切なものが隠されているのです。
 弟子たちが主イエスを「王」として理解するにはペンテコステの日を待たなければなりませんでした。その日以降、わたしたちは聖霊が人の内に住まわれることによって、その人を支配される主であり神であることを知らされたのです。

2004年2月15日日曜日

ヨハネ16章16-33節「わたしは世に勝っている」

第47号

 
 主イエスに出会った時、弟子たちは招きに応じてそれぞれの家族や仕事を棄てて従いました。神の国のためとはいえそれは大きな決心でした。しかし、主イエスに従っている間に彼らの心には棄てた以上の大きな希望が、いや野心といってもいいほどの夢を持つようになります。主イエスを知れば知るほど、このお方は確かにメシアだ、神の子だと確信を深め、そして自らの命を掛けてもこのお方を助け、この地上に神の国を建設しなければならないと思うようになったのです。それは、具体的にはローマの植民地になっていたユダヤの開放でした。ローマから独立させ、貧しいもの、障害のある者、虐げられている者、そのような弱い人たちが安心して生きていけるような社会をつくることでした。そしてそれはユダヤ人議会、すなわち大祭司を中心とする祭司や律法学者、サドカイ派、パリサイ派の人々ではなく主イエスが王として支配し、自分たちがそれを支える社会でした。そのような弟子たちに主イエスはその時が来たと言いました(一二:二三)。弟子たちの心は高揚し、これから生まれる神の国のことを思って身震いさえしたことでしょう。

  しかし、主イエスは弟子たちに「しばらくすると、あなた方はもうわたしを見なくなる」と言われたのです。あなたがたは「泣いて悲嘆に暮れる」、「悲しむ」、「苦しむ」とも言われました。弟子たちは「何のことだろう。何を話しておられるのか分からない」とささやき合いました。「その時が来た」それは主イエスだけが御存知の十字架の時でした(一六:四)。それは弟子たちにとって自分たちの夢が挫折してしまう時でした。更に、主イエスを「わたしはこの人を知らない」と否認してしまうその時だったのです。三年間も寝食を共にし、教えを受け、仕えてきた師を裏切ってしまったら、それから先どのようにして生きていくことが出来るでしょうか。それだけでなく主イエスを十字架につけたユダヤ人たちは弟子たちの命をも求めるに違いありません。銀三〇枚で主イエスをユダヤ人に売ったイスカリオテのユダは自殺によって自分で自分のしたことの決着をつけました。主イエスを裏切ったことではユダも弟子たちも五十歩百歩です。取り返しのつかないことをしてしまったのです。ユダと違ったのは、苦難の中にあっても彼らにはなお仲間がいたことと復活の主イエスが力づけておられたことにあります。彼らは主イエスに守られていたのです。
 それらのことは神である主イエスには全てお見通しでした。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」、「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる」と言われていたからです。

  主イエスについて知ることと主イエスを知ることとの間には大きな違いがあります。弟子たちは三年間、主イエスの教えを聞き、しるしを見てきました。主イエスの身近にいたにも関わらず、真の意味で主イエスを理解していませんでした。この地上に神の国がつくられるものとばかり思っていたからです。主イエスが十字架につけられ、三日目に甦り、天に上り約束の聖霊を受け、それを弟子たちの心に注がれた時、彼らははじめて主イエスがどのようなお方なのか、そして生前の約束がどのようなものであったのかを知ることが出来たのです。主イエスが「はっきり父について知らせる時が来る」と言われていた通りです。主イエスを知るためには信仰によって、自らの救い主として心の中に受け入れなければならないのです。
 ペンテコステの出来事こそ、主イエスが「わたしは再びあなたがたと会う」と言われたその約束が守られた日です。自らの力で生きることの出来なくなった弟子たちは、主イエスの命を与えられ、再び生きることが出来るようになりました。
 「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」、主イエスはご自身の十字架の向こうに復活の命があることを御存知でした。それだけでなくご自身の十字架により、多くの人に命を与えることの出来る霊になられることを御存知でした(1コリ一五:四五)。それ故「わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる」のです(一六:七)。
 わたしたちも弟子たちと同じように、自分の力で生きることが出来ない苦難の時こそ主イエスに助けを求め、祈る時です。その時、イエスがわたしたちの心の中に入って来てくださり、わたしたちに代わって生きてくださるからです。主イエスがわたしたちの心の内に住まわれる時、誰でも新しく創造された者となります。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じるのです(Ⅱコリ五:一七)。この主イエスによってわたしたちもまた世に勝つことが出来るのです。