2007年5月20日日曜日

エフェソ書1章1~4節「聖霊による証印」

第85号

 
 エフェソの信徒への手紙はパウロの獄中書簡の一つです。執筆した場所はローマ、時期は西暦六〇年から六二年と思われます。内容はパウロがそれまで教えてきたことの要約です。
 エフェソは当時、アジアにおける商業、政治の中心でした。港は東と西を結ぶ中継地として栄え、ローマ人やギリシャ人、その他、様々な人種や人々が住んでいました。二万五千人収容できる野外劇場があり、人々は戦車の競争、人と動物との戦いなどを楽しんでいました。しかし、何といってもエフェソといえばアルテミス神殿で知られています。天から下ってきた町の守護神を祭るその神殿は、古代世界の七不思議の一つでした。莫大な金銀が奉納され、その豊かな財源は人々への潤沢な貸付資金となり、巨大銀行となっていました。神殿娼婦も数百人いて、まさに異教的な不道徳で淫らな世界が繰り広げられていました。そのような中に主イエスの福音が伝えられていったのです。

 主イエスの福音は十字架と復活にあります。わたしたちにとって十字架の出来事は信じられても、復活を信じることは極めて困難です。死んだ人が甦ることなど到底信じられないからです。このことは主イエスの弟子たちにとっても同じでした。主イエスが復活された日の早朝、親しい婦人たちが墓から駆け戻って来て「主は復活されました」と告げても、それを信じた弟子たちは一人もいませんでした。彼らは傷心のまま郷里に帰り、以前の仕事に戻っていきました。そのような彼らが信じたのは、復活の主に会い、手と足の釘跡を示され、脇腹の槍の傷を見せられたからでした。それだけでなく主イエスは彼らと一緒に食事をし、聖書を教えられ、生前の言葉を思い起こさせ、神の国について教えられたのです。彼らがエルサレムに戻って来たのは、復活の主イエスの言葉によりました。
 弟子たちは復活の主イエスに出会い、喜びに満たされましたが、尚、ユダヤ人を恐れていました。一部屋に集まり、鍵をかけ、祈りながら主イエスが約束された聖霊を待っていました。
 弟子たちに聖霊が与えられたのはペンテコステの時でした。天に昇られた主イエスは父の御元から約束の聖霊を弟子たちに注がれましたが、それはご自身が霊となり、弟子たちに宿られたということでもあります(一コリ一五:四五)。その時から弟子たちは人々の前に出て、ユダヤ人を恐れることなく、大胆に主イエスを神の子と証し、福音を述べ伝えました。

 主イエスはわたしたちの心に宿られます。しかし、クリスチャンであっても多くの人たちはこの事実を知りません。同じことは当時の人たちにも言えました。説教者アポロは主イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていました。しかし、彼はヨハネの洗礼しか知りませんでした。彼がエフェソにも来て大胆に教え始めたとき、会堂で聞いていたプリスキラとアキラは彼の説教には何かが足りないのに気が付きました。そこで彼らはアポロを自分たちの家に招き、この道についてなお正確に教えたのです。(使徒一八:二四~二六)。
 パウロもまたエフェソの信徒たちに御言葉を宣べ伝えたとき、彼らの信仰に何かが欠けているのに気が付き「信仰に入ったとき聖霊を受けましたか」と訊ねています。それに対する彼らの答えは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」というものでした(使徒一九:一~七)。彼らもまたヨハネの洗礼しか知りませんでした。
 聖霊を受けなくても神を信じることはできます。主イエスを十字架につけたファリサイ派の人々や律法学者たちも神を信じていました。わたしたちも聖書を読み、教理問答を学ぶことによってキリスト教の正統的な信仰を持つことはできます。しかし、プリスキラとアキラがアポロの説教を聴いたとき、そしてパウロがエフェソで何人かの信徒から感じたように、聖霊を受けていないクリスチャンと受けたクリスチャンとではどこかが違うのです。
 聖霊は、自分の罪を認め、主イエスに自分の人生を捧げる決心をすることによって神から与えられます。聖霊を受けることによって、初めて実を結ぶ信仰となります(ヨハネ一五参照)。それだけでなく、聖霊はわたしたちを御国の相続人としてくださいます。聖霊は神であり、わたしたちの内に住まわれたそのお方が、わたしたちを永久の神の国へと導くからです。聖霊を受けることなくして御国に入ることはできません。聖霊はわたしたちが御国に入ることのできる証印です。そして、それは神の所有とされ、神が守られることの証印でもあります。聖霊によりわたしたちは他の兄弟姉妹と共に「キリストの体」である教会の部分とされます。そして、頭なる主イエスに導かれ、栄光の体とされ、御国の完成に至るのです。

2007年4月15日日曜日

ヨハネ11章1~44節「もし信じるなら」

第84号

〈イースター礼拝〉

 ベタニアはオリーブ山の東山麓にあり、エルサレムから三キロ弱、エリコから都に至る途上にありました。その村に住む姉弟マルタとマリアとラザロは主イエスに愛されていました。
 ラザロが病気になった時、すぐにマルタとマリアは主イエスに使いを出しました。主イエスと弟子たちはユダヤ人からの迫害を避け、ヨルダン川の向こう側にいたのです。「主よ、すぐに来てラザロを助けてください」、との必死の願いにも関わらずラザロは死にました。それは突然の死でした。
 葬儀の手配、弔問客の接待とマルタは忙しかったことでしょう。妹のマリアは泣いてばかりいました。しかし、夜になると、マルタもまた「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」とマリアと一緒に泣いたに違いありません。それでもラザロを墓に埋葬した直後は、主イエスはすぐ来てくださり甦らせてくださる、と固く信じていました。しかし、二日経ち、三日経つと、もう朽ちてしまっている、と思うようになり、絶望し、「主よ、なぜわたしたちをお見捨てになられたのですか」と不平をつぶやいたに違いありません。主イエスが到着されたのは、ラザロが墓に入れられて四日後のことでした。
 マリアは主イエスの足もとにひれ伏し、泣きました。ユダヤ人たちも泣いていました。死は愛する者たちとの永久の別れです。「どんなにラザロを愛していたことか」。死はすべてを過去形にしてしまいます。その現実に直面し、わたしたちは涙を流すのです。主イエスもまた、心に憤りを覚え、興奮し、涙を流されました。死は罪の結果です。サタンが人を誘惑し罪に陥れたのです。わたしたちもまた「主よ、来て、ご覧ください、死が支配しているこの現実を」と叫ばずにはいられません。

 主イエスはゲッセマネの園で、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と弟子たちに告げられました。それ故、ラザロを失ったマルタとマリアの悲しみはよくご存知でした。同様に、わたしたちの苦しみも悲しみもご存知なのです。
 世の人に臨む苦難は、例外なくわたしたちキリスト者にも臨みます。主イエスを信じることによってこの世のすべての問題が解決し、幸福に過ごすことができるという訳ではありません。にも関わらず、わたしたちと主イエスを信じない者との間には大きな違いがあります。それは主イエスの十字架と復活を信じることによってもたらされるものです。
 主イエスは十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれ、息を引き取られました。「神から見捨てられる」ということほど大きな悲しみはありません。わたしたちが経験するすべての苦しみ、孤独、死の恐れの根源はここにあります。まことに神である主イエスは十字架でわたしたちの罪を負われたのです。しかし、天の父は独り子である主イエスをそのまま墓に放置されませんでした。
 マグダラのマリアは安息日の次の日、すなわち葬られてから三日目の朝早く墓に行き、泣いていました。そのとき、主イエスが現れ、マリアに「婦人よ、なぜ泣いているのか」といわれました。わたしたちの耳には「マリアよ、わたしは復活したのだ。だからもう泣くことはない」と聞こえます。主イエスもラザロの墓で泣かれたからです。
 わたしたちは主イエスの十字架と復活から、苦難と絶望の後に栄光が待っていたのを知りました。マルタは絶望の底にあるとき、主イエスから「あなたの兄弟は復活する」と言われました。マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えましたが、ユダヤ人であればこの正統的な信仰告白はだれでもしたことでしょう。主イエスを十字架につけたファリサイ派の人々もそのように答えるでしょうし、わたしたちも同じです。しかし、主イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じるものは、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われるのです。主イエスは死んだラザロを甦らせました。二人の姉妹の絶望は思いもかけない形で喜びに変わりました。

 主イエスを信じるなら、わたしたちに肉体の死はもはや意味を成しません。霊的な死から復活した経験は、肉体の死もまた新しい命の始めと信じられるからです。
 わたしたちの心は石で塞がれたままになってはいないでしょうか。主イエスは「その石を取りのけ、わたしのもとに、出て来なさい。今、生きているわたしを信じなさい。もし信じるなら、神の栄光を見られると、言っておいたではないか」と言われるのです。

2007年3月18日日曜日

ガラテヤ書4章21~5章1節「約束の子」

第83号

 
 カルデヤのウルに住んでいたアブラハムの父テラは、家族を連れてハランに移住しました。テラの死後、アブラハムは神の声を聴きました。それは、彼に「子孫」と「土地」が与えられ、全ての民の「祝福」の源になるというものでした。アブラハムはその時七十五歳でした。七十五歳といえば既に人生は定まり、動じることもなければ大きな飛躍は望めない歳です。もう自分のために家を建てたりはしません。物を買うのにも躊躇する歳です。
 アブラハムは神の声を聞いて旅立ちました。妻のサラと甥のロト、そしてハランで得た全ての財産、羊やロバや男女の僕を連れての旅立ちでした。慣れ親しんだ父の家と土地を捨て、水、食物、安全の全てを神により頼まなければならない、信仰の試練としての荒野での放浪のテント生活でした。サラもアブラハムの信仰に従ったのです。

 アブラハムがカナンの地に着くと、神はそこが約束の「土地」であると示されました。このときアブラハムには成年男子だけで三百十八人を数える家の子がいました。族長アブラハムの一番大きな悩みは後継ぎがいないことでした。「わたしには子供がありません。…家の僕が跡を継ぐことになっています」(創一五:二、三)。「子を授けてください」、それがアブラハムの祈りで、サラの祈りでもありました。
 サラは七十五歳になると自分には子が授からないと思うようになりました。そこで夫アブラハムにハガルによって子を持つことを勧めました。ハガルはエジプトの女でサラの奴隷でした。奴隷の子は主人の子と見做されたからです。アブラハムは妻の勧めを受け入れ、ハガルは子を宿しました。するとハガルはサラを軽んじるようになったのです。上下関係が崩れ、家庭内に平和がなくなりました。
 ハガルにイシマエルが生まれるとサラの立場はますます微妙なものとなりました。サラはイシマエルは神が約束された子と信じていたので、大切に育てなければならないことをよく知っていました。にもかかわらず、夫の子を産んだハガルへの嫉妬があり、自己憐憫があったのです。自分とは血がつながっていないイシマエルの成長を素直に喜べませんでした。このような葛藤の中で、サラは一体自分の人生は何なのかと問い、自分の罪を知らされ、その心は死んでいきました。
 そのようにして十三年の歳月が経ったある日、神がサラに現われ、来年の今ごろあなたに子が生まれる、と告げられました。サラはもはやその言葉を信じることはできませんでした。「主よ、あなたは何という人生をわたしに用意されたのですか」と心の中で笑ったのです。主はそのようなサラに対し「神に不可能なことがあろうか」と言われました(創一八:一四)。
 神はサラに恵み深く、サラを見捨てられませんでした。その約束どおり一年後、九十歳のサラに子が授けられたからです。子の名はイサクで、「(彼は)笑う」という意味でした。サラはイサクを抱きながら「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」と言いました(二一:六)。
 イサクの乳離れの日、サラはアブラハムにハガルとイシマエルを家から追い出すように求めました。アブラハムはイシマエルも自分の子で、しかも長子であるため非常に苦しみました。神はそのアブラハムに「すべてサラが言うことに聞き従いなさい。」と言われたのです(一二)。

 サラの人生にとって二人の子、イシマエルとイサクはどのような意味を持っていたのでしょうか。二人の子は共にサラの愛の対象であったはずです。しかし、サラはイシマエルを愛することはできませんでした。それに対しイサクは自分の胎を痛めた子で、血の繋がったこの子を愛することは大きな喜びだったのです。
 わたしたちにとってイシマエルとイサクはどのような意味を持っているのでしょうか。イシマエルは律法を、イサクは福音を表しているのです。
 神の試練を受けたアブラハムは、独り子イサクをモリアの地で焼き尽くす捧げものにしようとしました。天の父は主イエスの祈りにもかかわらず、独り子をわたしたちの罪を赦すために十字架につけられました。そして死から復活させてわたしたちに永遠の命の確かなことを教えられました。主イエスは天に昇り、そこから約束の聖霊をわたしたちに授けました。主イエスの霊を受けたわたしたちは、サラとイサクが血によって繋がっているように、わたしたちもまた神の子とされているのです。自分の良い行いではなく、「アッバ、父よ」と呼ぶことのできる霊で主イエスと結ばれることによって、はじめて律法の縄目から開放され、救われるのです(ロマ八:一五)。それによってアブラハムへの約束、「子孫」、「土地」、「祝福」を神から相続されるのです。それは永遠の命に他なりません。

2007年2月18日日曜日

ガラテヤ書3章1~14節「アブラハムの子」

第82号

 アダムとエバによる人類の堕罪に対する救済の歴史はアブラハムからはじまりました。神はアブラハムに現われ、彼に「土地」と「子孫」が与えられ、世界の民の「祝福」の源になると約束されました。アブラハムとサラには子がありませんでしたので、サラは七十歳を過ぎると自分の奴隷であるエジプトの女ハガルをアブラハムに与えイシマエルを得ました。奴隷の子は主人の子でもあったからです。しかし、神の約束の成就は奴隷の女によってではなく、あくまでも自由な女であるサラによってでした。アブラハムが百歳の時、九十歳のサラの体に命が宿りました。それがイサクでした。
 イサクが成長すると、神はアブラハムにイサクを焼き尽くす献げ物とするよう命じました。その声を聞くとアブラハムは旅立ち、三日後、モリアの地で祭壇を築きイサクを捧げようとしました。その時、神は天から呼びかけ、イサクをアブラハムの手に戻されました。アブラハムはイサクに代わって雄羊を献げました。それは死からの復活でした(ヘブル一一:一九)。モリアの地は、ユダヤ人たちの伝承によればソロモンが神殿を建てた場所です(歴代三:一)。アブラハムから二千年後、そこで神の子羊である主イエスが十字架につけられました。

 神の約束はアブラハムからイサクに、イサクからヤコブに、ヤコブからイスラエルの十二人の子に引き継がれました。ヤコブの子ヨセフは兄弟たちによってエジプトに売られて奴隷となりましたが、神の助けによりエジプトの王ファラオの宰相となりました。飢饉が世界に臨んだ時、父ヤコブの家族をエジプトに呼び寄せました。そこで四百三十年間に二百万から三百万人という大きな民となりました。その間、彼らはエジプト人の奴隷となり使役に苦しむようになりました。
 神はモーセを遣わし、エジプトからイスラエルの民を救い出されました。モーセに率いられた民は紅海を渡り、一ヵ月後にシナイ山で神から十戒を授けられました。荒野での四十年の放浪の後、ヨルダン川を渡って約束の地、カナンに入りました。
 ヨシュアは神がアブラハムに約束した「土地」と「子孫」が彼らに与えられたのを知り、民と契約を結びました(ヨシュア記二四章)。神を信じ従う決心を民としたのです。ここにヤハウェを信じ、救いの歴史を共有する十二の部族共同体が生まれました。エジプトで奴隷であった民が神により自由の民となったことは、死から命に移されたことであり、新しい時代のはじまりでした。
 このような神との契約にもかかわらず、人々はすぐに土着の民の影響を受け、バアルやアシュタロトなどのカナンの神々を信じるようになりました。これらの神は農耕の神で豊穣の神でした。また、彼らは神による直接の支配ではなく、他の民と同じように王制を求めるようになりました。神に従ったダビデ王のとき国は発展しましたが、ソロモン王の後、国は二つに分裂しました。王たちと民による罪の結果、北王国イスラエルはアッシリアに、南王国ユダはバビロニアによって滅ぼされました。約束の地を追われ、捕囚となったユダの民はペルシャ王キュロスによって帰還が赦されましたが、世界に散ったイスラエルの民はエルサレム神殿を中心とする祭儀を守る神の民ではなく、律法を守る神の民として生きるようになりました。

 時が満ち、天の父はイスラエルの民にご自身の独り子主イエスを送られました。しかし、律法を守っていると自負していた民にとって、神と人への愛を説く主イエスは躓きの石となりました。主イエスを神の子と信じたのは弟子や罪人、病人など僅かでした。人々は主イエスが自らを神とし、神を冒涜しているとして十字架につけて殺しました。しかし、三日目に復活され、天の父の身元に行かれ、そこから約束の聖霊を弟子たちに注がれました。この弟子たちにより異邦人にも福音が宣べ伝えられ、彼らも聖霊を受けました。その数は空の星、地の砂のように増え、わたしたちに至っています。

 パウロは神がアブラハムに約束された「子孫」とは主イエスのことだと言います。主イエスは割礼の人たちによって殺されましたが、天の父は主イエスを甦らせました。その死と復活によって新しい民が生まれました。心に主イエスの霊という割礼を受けた民です。この霊の故にわたしたちもまたキリストを頭とする体の一部とされ、「子孫」とされるのです。
 アブラハムに現われ、語られた神は主イエスです。アブラハムへの約束が歴史の中で成就したように、主イエスのわたしたちへの約束も歴史を越えて必ず成就します。「土地」は天にある新しいエルサレムです。わたしたちはそこで永遠に生きるのです。この約束を信じる世界の民によってアブラハムは「祝福」の源となったのです。

2007年1月21日日曜日

ガラテヤ書1章1~10節「キリストの福音」

第81号

《新年礼拝》 

 ガラテヤの信徒への手紙は、キリスト者の自由の「マグナカルタ」(大憲章)です。主題は「主イエスを信じる信仰によって神に義とされる」という信仰義認です。ローマの信徒への手紙にも言えます。前者はローマの信徒への手紙の概要で、後者はガラテヤ書の解説と言ってもいいでしょう。いずれの書簡も使徒パウロが著者です。パウロは「よい行いで神の前に義とされる」、すなわち「自分の力で神の前を正しく生きる」行為義認、律法主義は信仰義認とは相容れません。「キリストの僕」であることと「律法を遵守」することとは両立しないと言います。
 パウロは「キリストの福音」とは、キリストが「この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために捧げてくださった」ことだと言います。
 「悪の世」とは、そこに住んでいる人間が悪いという意味です。ある所に盗賊団が住んでいると、人々は「あの場所は悪い」と言います。江戸時代、辻斬りをした人が捕まりますと、人々はその人の刀も人の血を吸ったと嫌いました。「この世」はあくまで「器」にすぎません。「器」である「この世」を良くするのも悪くするのも人です。
 聖書は「人は必ず欺く」と言います(詩一一六:一一)また、「皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」と記されています(詩一四:三)。わたしたちの生まれつきの心のままでは善を行うことはできないのです。この世から離れ、一人で生活しても神の前に正しく生きることはできません。このようなわたしたちを救うために神は御子キリストをこの世にお遣わしになったとパウロはガラテヤの人々に教えたのです。

 パウロの後からガラテヤにやって来た偽使徒(ユダヤ主義者)たちは、パウロの使徒職を否定しました。パウロは主イエスが選ばれた十二弟子の一人ではなく、生前の主イエスから直接教えを受けた訳でもなかったからです。彼らは、自分たちはエルサレムの教会から遣わされのだと言い、その権威を背景に、パウロの教えは救いには不十分だと主張したのです。十二弟子たちは皆、律法を守って正しく生活していたので、偽使徒たちもまた主イエスを信じるだけでなく、彼らに倣って生活するようにと教えました。
 律法の知識は聖書を学ぶことによって身に付きますが、「キリストの福音」は、主イエスとの出会いが必要です。パウロはダマスコに行く途中、それまで彼が迫害していた主イエスに出会いました(使徒九:三~四)。人の罪を赦すことがおできになるのは神お一人であり、それが十字架の出来事であること、三日目に甦られ、天に上られ、天の父の右に座し、信じる者に約束の聖霊を送られたのを直接主イエスから示されたのです。
 行為義認、律法主義は良い行いでもって神に認められようとします。神の救いを待つのではなく、自分から神に自分の義を主張するのです。しかし、律法で救われようとしても神が定めるその基準には到底到達することはできません。律法は自分の罪を自覚し、神のところにわたしたちを導き、連れて行くための養育係にすぎません。それ自体に救う力はないのです。
 わたしたちは自分の律法による人間的な努力で神を見い出すことができません。むしろ、多くの場合、神と人に対し律法の知識と行為を誇るようになります。ファリサイ派の人たちは「律法を知らないこの群衆は呪われている」と言い(ヨハネ七:四九)。また「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します」と祈りました(ルカ一八:一一)。

 使徒たちは何故、律法を守っていたのでしょうか。彼らはユダヤ人に遣わされたからでした。パウロは異邦人に遣わされました。彼らはユダヤ人にはユダヤ人のようになり、異邦人には異邦人のようになったのです。使徒たちは自分の良い行いで救われたとは思っていませんでした。
 パウロが偽使徒たちを「呪われるが良い」とまで言うのは、自分たちの主義主張のために十二使徒たちを利用し、主イエスの救いのみならず、律法の行いによる救いを教えたからです。彼らは最悪の敵である「わたし自身」から救われる機会をガラテヤの人々から奪っていたからです。神に対するわずかばかりの良い行いで自らの価値を神と人に認めさせ、自分は救いに価するとするなら「キリストの福音」を歪曲し、神に敵対することになります。
 わたし自身が罪から救われなければならない存在です。そのために主イエスは天の父から遣わされ、十字架の上でわたしたちの罪を贖われました。そして、三日目に復活され、わたしたちの初穂となられました。その恵みだけで充分なのです。

2006年12月17日日曜日

マタイ28章1~15節「あの方は復活された」

第80号

 マグダラのマリアともう一人のマリアは、週の初めの日の朝早く墓に行きました。すると地震が起こり、墓石が取り除かれ、天から降って来た天使から「恐れることはない。…あの方は、ここにはおられない。…復活なされたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と告げられました。彼女たちがこのことを弟子たちに知らせに行く途中、主イエスが現われ「おはよう」と言われました。彼女たちは主イエスの足を抱いてひれ伏しました。ギリシャ哲学では、肉体は滅んでも霊魂は生き続けると教えられています。しかし、復活の出来事はそのようなことではありません。もし、主イエスが霊であるなら足を抱くことは出来ません。主イエスは生きた身体を持って復活されたのです。
 弟子たちは彼女たちから主イエスが復活されたことを聞いたとき誰一人信じませんでした。信じない弟子たちの前に主イエスが現われた時、彼らは主イエスの亡霊が現われたと思いました。それに対し、主イエスは「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなた方に見えるとおり、わたしにはそれがある」と言われました(ルカ二四:三九)。弟子の一人、トマスはこのことを聞いてもなお信じようとはしませんでした。「あの方の手に、釘の跡を見、この指を針跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言い張りました。主イエスはそのトマスの前に立たれて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。
 主イエスはご自身の手足とわき腹の傷を弟子たちにお見せになっただけでなく、彼らと一緒に食事をされました。主イエスが霊であるなら焼いた魚を食べることはできません。復活された主イエスは弟子たちに神の国について教えられました。このようにして主イエスは四〇日にわたって五百人以上の弟子たちにご自身の復活の確かなことを示された後、天に上られたのです(使徒一:三、Ⅰコリ一五:六)。

 ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは大胆に主イエスの復活を証し始めました。ペトロは集まって来た人たちに説教しました。「(ダビデは)キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることはない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」。この日、回心した人は三千人ほどでした(使徒二)。
 パウロも「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、…」と言っております(Ⅰコリント一五:三以下)。
 このことは、主イエスが生前、何度も繰り返して弟子たちに教えられたことでした(マタイ一六:二一、他)。

 主イエスの「霊」を見たと弟子たちが証したのであれば信じることができるかもしれません。しかし、主イエスの復活は「生きた身体」を伴うものでした。そのため復活は最も信じられない出来事となりました。しかし、もしギリシャ哲学が教えるように霊魂の不滅を信じるのであれば、今の自分が連続して永遠に生きることになってしまいます。わたしたちのこの罪の性質がそのまま新しい天と新しい地を継ぐことになるのです。そうではなく、わたしたちの霊魂と身体が一度死んで滅ぼされ、そこから再び新しい霊魂と身体が創造されるのです。永遠の命にふさわしい罪のない心と永遠に生きるにふさわしい身体が新しく生まれるのです。この世と永遠との連続性はそこにはありません。
 同じことは主イエスを信じるときわたしたちに起こったことでした。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者なのである。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」。(口語訳・Ⅱコリ五:一七)。回心の時わたしたちの心に主イエスを信じる新しい心が与えられ、身体もまた永遠のいのちにあずかる希望を持つことができるように変えられます。
 七つの悪霊を主イエスによって追い出してもらったマグダラのマリアは、それまで罪の生活をしていたといわれています。そのような生活から贖われたのは主イエスと出会ったからでした。マリアは復活の主イエスに会って「おはよう」すなわち「喜びなさい」と言われました。復活の主イエスに出会うときわたしたちの人生もまた喜びに変えられるのです。「あの方は復活された」と証することができるようになるのです。

2006年11月19日日曜日

ヨハネ18章28~38節「わたしの国」

第79号

〈召天者記念礼拝〉

 今年は一月二二日に石川久夫兄、三月一三日に生原優先生を主の御許に送りました。親、兄弟を天に送った者は主イエスの言われる「わたしの国」を身近に感じることでしょう。しかしながら、わたしたちが御国をどれだけ身近に感じるかは、その国についてどれだけ知っているかによります。誰も、天に上り、そこから戻ってきた者はいません(ヨハネ三:一三)。主イエスだけが神の国から来られ、戻って行かれました(ヨハネ一六:二八)。「わたしの国」を知るためには、わたしたちは聖書を読み、主イエスの御言葉に耳を傾ける以外にはありません。

 わたしがアメリカに行ったのはもう三四年前になります。二八歳でした。デトロイト国際空港に降りましたが、その時までは五大湖周辺は工業地帯なので日本の川崎のようなところだと想像していました。しかし、空港もミシガン大学に向かう道路も周りは林でした。大学のキャンパスは信じられないほど広く、芝生が見渡す限り続いていました。建物や寄宿舎を無料のバスが結んでいました。広大な土地と豊かさに驚かされました。また、言葉に関してはアメリカの生活に慣れるまで、しばらく通じませんでした。そのようなわたしを助けてくれた多くの人がいました。ボランティアの学生が英語を熱心に教えてくれました。四ヵ月後に、ホィートン大学に入学しましたが、そこでも同じでした。三年半のアメリカでの生活で、日本がどのような国であるかを外から見ることができ、自分が日本人であることを自覚することができました。
 「人」は一人では自分が分かりません。同じように神を知って初めて人間が何であるかを知ることができます。神を知ることなくして、人はどこから来てどこに行くのか、何をしなければならないかを知ることはできません。

 主イエスは「『わたしの国』は、この世に属していない」と言われました。この世は神によって創られました。そして、いつか終わりを迎えますが、神はわたしたちのために新しい天と地を用意されているのです。それは全く新しいものであって、この世とは別のものです。
 「わたしの国」である天の国は、新しいエルサレムとも呼ばれ、縦、横、高さが同じで、一万二千スタジオン(二千二百キロ)の大きな都です(黙二一)。日本と中国の北京が入る大きさですが、十二はユダヤでは完全数ですのでただ都が広大であることを意味しているだけかもしれません。この天の国には終わりはなく、永遠に続きます。太陽や月はなく、神ご自身が都を照らします。都の中心に川が流れていて、その両岸には命の木があり、その実は毎月実って、葉は民をいやします。きっと人々に聖霊が豊かに注がれていることを意味しているのでしょう。温度は一定で熱くも寒くもないでしょう。わたしたちは復活してその都に永遠に住みます。身体は永遠に生き、死も、病も、苦しみ、悲しみ、痛みもありません。心も新しく創造され、罪のない清い心となっています。戦争や争い、怒鳴りあうことも、いじめもありません。事故や、地震、津波、台風、竜巻といった自然災害もありません。全ての人の語る言葉を理解し、国籍や人種の違いもありません。そこには霊的な成長があり、喜びが満ち溢れています。
 この世のものを引き継がない全く新しい更新を、この世のものを借りて説明することはおおよそ不可能なことです。主イエスは「わたしの国」は素晴らしい国であることを、わたしたちに伝えようとされているのです。

 「わたしの国」にはどのような人が入れるのでしょうか。主イエスの言葉を信じる人が入れるのです。主イエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と言われました(ヨハネ一八:三七)。ピラトは主イエスに「真理とは何か」と尋ねましたが、それは主イエスが証しする「わたしの国」に他なりません。この世は移り行き、滅びますが、主イエスの言葉は真理なのです。祭司長たちや律法学者たちは「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか」、と言いました(ヨハネ六:四二)。主イエスの言葉を信じない人たちは「わたしの国」に入ることは出来ないでしょう。神ご自身を偽りものとするからです。
 「わたしの国」を知ることは、「この世」を知ることであって、それによりこの世での生き方は変わります。この世だけではないことを知るからです。
 召天者の存在は「わたしの国」が確かなことの証拠です(ヘブライ一二:一)。彼らはその国を信じて死んでいったからです。わたしたちもまた彼らに続き、御国を仰ぎ見ながらこの世を歩もうではありませんか。