2010年3月21日日曜日

マルコ14章53-65節「あなたはメシアなのか」

第119号

  最高法院は大祭司を議長とし、祭司長、長老、律法学者たちから成る七〇名の議員によって構成されていました。ローマの植民地であったユダヤの立法府と裁判所としての機能を持っていましたが、彼らの権威はそれだけでなくエルサレム神殿と律法を擁護していることにありました。
 神殿はユダヤ人の誇りであり、各地に散っている民を一つにするものでした。そこは神が宿る聖なる場所であり、祭儀により民の罪を赦すところでした。律法もまたユダヤ人にとって守らなければならない大切な戒めで、それによって神の国にふさわしい聖なる民とされたのです。その教えは十戒やその細則を守ることだけでなく、汚れたものや罪人に触れてはならないということも含まれていました。特に食事に関する規定は厳しく、食前の手洗いの励行や祭儀的に汚れた動物を口にすることは禁じられていました。彼らの権威は神殿祭儀を執り行い、律法を実際の生活に当てはめて教えることにありました。
 それに対する主イエスの権威は御自身にありました。それは神が人となってこの世に来られたからでした。主イエスがなされた数々の「しるし」はそれを証しするものでした。主イエスは人々の罪を赦され、人々が御自身を礼拝するのを受けられました。また、天から遣わされたことを弟子たちに教え、天からの声もまた「これはわたしの愛する子」とそのことを証しました。

 二つの権威が最高法院で衝突しました。大祭司たちは主イエスを被告人として捕らえたのです。判決は始めから死刑と決められ、そのための証人も集められました。しかし、裁判が始まると証言は食い違いました。偽りには真実を覆い隠す力はなかったのです。遂に、ユダヤの最高権威者である大祭司が立ち上がり自ら尋問を始めました。主イエスは沈黙を守っていましたが、あなたは神の子、メシアなのか、との問いに口を開きました。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」。それにより主イエスの死刑が決まりました。周りにいた人たちは主イエスに唾をはきかけ、顔を平手で打ちました。
 ユダヤ人指導者にとって、主イエスの権威が神殿、律法の権威にとって代わるのは許せないことでした。その権威は神によるものだったからです。そして、その権威によって、民を支配し、君臨し、人々からの尊敬も受けていました。主イエスの権威を認めることは、これらのもの全てを失うことでした。
 指導者たちだけでなく、民にとってもそれは同じでした。主イエスによって救われるより、神殿と律法によって救われる方がより確かなことだったからです。
 弟子たちは主イエスを見捨てて逃げました。彼らはこの世の権威の前に無力でした。しかし、ペトロだけは遠く離れて主イエスに従いました。自分の身を安全圏に置いていたのです。ところが突然、身に危険が迫った時、この人を知らないと三度も否んでしまいました。

 最高法院で起こったこと、それは弟子たちを含めて、誰一人、主イエスと一緒に十字架への道を歩むことはできなかったということです。神は民に律法を与えられましたが、この律法による救いはわたしたちが正しい判断が出来るということを前提としています。しかし、この自由意思は人間の自我というフィルターを通すがゆえに歪んで、正しく機能しません。そのため、神御自身が人となってこの世に来られても、誰もそのお方を神の子と認めることも、また、その言葉に権威があることも認められませんでした。そこにわたしたちの罪があるのです。そのことがこの裁判の場で公になったのでした。
 わたしたちは生まれたままの状態では主イエスがどのようなお方か知ることはできません。その苦難と十字架の意味を知ることはできないのです。
 このようなわたしたちは、弟子たちと同じようにペンテコステの出来事を経験することによって初めて変えられるのです。わたしたちの内に注がれた聖霊によって、初めて目が開かれ、耳が聞こえるようになるのです。主イエス御自身の義と聖がわたしたちのものとされるのを知るようになるのです。わたしたちは救いの根拠を自分の内に見つけることはできません。律法による良い行いではなく、主イエスの言葉を信じることが唯一の救いとなるからです。
 主イエスはメシアである。救いはそれを信じる全ての人に及びます。主イエスを裁いた大祭司、長老、律法学者たち、そして主イエスに唾を吐いたり、平手で打った者たちにまでもです。しかし、そのためには心からの悔い改めが必要なのは言うまでもありません。
 わたしたちはこのレントの期間、このように全ての人のために苦しまれた主イエスを覚えて過ごしたいと思います。

2010年2月21日日曜日

ペトロ二1章16-21節「預言の言葉」

第118号
 
 ペトロの手紙二の著者は伝統的には主イエスの十二弟子の一人、使徒ペトロと言われています。しかし、書かれている内容はもう少し後の時代のことなので、使徒ペトロを著者とするには無理があるようです。一三〇年から一五〇年頃に書かれたものと思われます。執筆した場所は不明です。教会全体に宛てた公同の書簡で、その背景には、主イエスは何時になったら再臨されるのか、本当に天から降って来られるのか、と疑う人が当時の教会に多くいたからです。復活や昇天と同じく主イエスの再臨は、この世の常識に反しているため、信じるのが難しかったのです。このことは今日の教会においても言えます。この手紙はそれに対して、主イエスの再臨の確かさを証しするものとなっています。

ペトロはそのために、「わたしたちは主イエスの威光を目撃した」と言います。主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登りました。そこで「主イエスの姿が彼らの目の前で」変わったのです(参照、マタイ一七章)。「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く」なりました。そして「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り」合いました。その時、「荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。
 もしこれがペトロだけの経験であれば、人はそれを「巧みな作り話」と退けることもできます。しかし、「わたしたち」とペトロが言っているように証人は複数なのです。
 しかし今やこのような主イエスの証人であった使徒や弟子たちの多くは迫害のため殉教し、残された者たちもまた高齢化していました。ペトロ自身も「自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないのをよく承知して」いたのです。それゆえ、世を去る前に自分たちが語ったことは全て事実であると伝えておかなければなりませんでした。
 ペトロたちはこのように聖なる山で主イエスの神的性質を見ましたが、それによって彼らは主イエスが神であると信じたわけではありません。しかし、十字架と復活、昇天、ペンテコステの出来事、その後の様々な経験を積むことによって少しずつ聖なる山の出来事の意味を知るようになりました。主イエスの変貌の姿は天から降って来られるであろう主イエスの御姿に重なるようになりました。再臨の約束は確かなものとなったのです。

  わたしたちは創造者なる神の存在を信じることができます。そして神は愛の神であって、主イエスがその神の愛の体現者であることも信じることができます。しかし、それにも拘らず本当の意味でわたしたちが神の存在を信じることができるのは、あくまで神との出会いを通してです。それは主イエスの御言葉とそれに伴う御臨在の確かなことによるものです。
 ペトロは聖なる山で神の御臨在に預かりました。その時「ペトロは、どういえばよいのか分からず」、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と言いました。ペトロはこのような出来事が起こったこの場所を特別な所としたかったのでしょう。この場所で礼拝するなら誰でも神の御臨在に預かれるようになると無意識にでも思ったのかも知れません。しかし、それに対する天からの声は「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言うものでした。
 信仰は、あくまで神から人への働き掛けです。わたしたちの方から神に近づくことはできません。わたしたちに出来るのは主イエスの声に聞くと言うことです。マルタとマリアがそのよい例です(ルカ一〇章)。マルタは家に迎え入れた主イエスと弟子たちをもてなすために忙しく、取り乱してしまいました。主イエスのところに行き、足元で話に耳を傾けているマリアに自分の手助けをするように言ってほしいと頼みました。それに対し主イエスは「必要なことはただ一つである」と言われ、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。マリアは語っておられる主イエスの足元に座って、御言葉を聞くことのできるこの機会を逃すことはできなかったのです。
 旧約聖書の「預言の言葉」が主イエスの誕生によって成就したように、時が満ちた時、新約聖書で約束されている主イエスの「預言の言葉」もまた成就するのです。ペトロはわたしたちに「どうかこの『預言の言葉』に留意してください」と言います。それは主イエスの再臨の約束で、世の裁きの時であり、同時に信じる者にとっては救いの時だからです。

2010年1月17日日曜日

ヨハネ3章1-15節「新たに生まれる」

第117号
〈新年礼拝〉
 ニコデモは夜、主イエスのところにやって来てこのように言いました。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」。ニコデモはファリサイ派に属し、サンヘドリンと呼ばれるユダヤ最高法院の「議員」でした。ファリサイとはヘブル語で「分離」という意味で、その派に属する人たちは聖書を学び、律法に厳格に従って生きることによって自分たちを他の人たちと区別したのです。偉大な使徒パウロもファリサイ派の一員でした。彼は当時の自分を省み「律法の義については非のうちどころのない者でした」と言っています(フィリピ三:四~六)。また、ユダヤ最高法院は七〇名の議員から構成され、大祭司が議長となり、律法学者、長老がその構成員となっていました。ユダヤの民事、刑事、宗教問題を扱うユダヤを統治する団体で、ニコデモはその中でも有力者でした。

ニコデモは夜、暗闇の中から突如として現れて主イエスの前に立ちました。そして「わたしどもは」と言って、国の指導者、支配者を代表して偉大なラビ、すなわち教師である主イエスに挨拶したのです。
 ヨハネの福音書では「夜」、「暗闇」には特別の意味があります。「光は暗闇に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあるように、それは「この世」であって、「無知」、「罪」の象徴でもあります(ヨハネ一章、参照)。その意味においてニコデモはユダヤ人の指導者、支配者だけでなくユダヤ人全体を代表しているのです。続けてニコデモは主イエスに、「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことができない」と言いました。
 「しるし」とは奇跡のことです。二章には、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」とあります(二章十一節)。主イエスはその他、様々なしるしをなさいました。それは神が人を通して働かれるということで、そのしるしを見てニコデモはあなたの語られる言葉もまた神から出ていることを認めると告白したのです。
 そのニコデモに主イエスはこのように答えられました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。「新たに」はギリシャ語のアノセンで、「上から」と「再び」の意味があります。夜、主イエスのところにやって来たニコデモはその言葉を当然、人間的な意味にとって「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度(すなわち、「再び」)母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と言いました。それに対し主イエスは、そうではなく「だれでも水と霊によって(新たに)生まれなければ、神の国に入ることはできない」と正されました。
 「霊」とはへブル語でプネウマで、「風」、「霊」、「息」の意味です。創世記の二章七節には「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の『息』を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とあります。エレミヤもまた主の言葉を預言して「わたしはお前たちに新しい心を与えて、お前たちの中に新しい霊を置く」と言いました(三六章二六節)。しかし、聖書をよく知っているはずのニコデモは主イエスの言葉を頑なに否定しました。「どうして、そんなことがありえましょうか」。
 律法学者やファリサイ派の人々の口癖は「わたしたちは知っている」、「あなたがたはこんなことも知らないのか」でした。同じ言葉をニコデモは主イエスから聞かされたのです。「わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない」と。

 主イエスは「わたしたち」と「あなたがた」を明確に区別しています。主イエスは御自身を神の子と信じる者を自分に属するものとして「わたしたち」と呼んでいるのです。それは主イエスが「天から降って来た者」すなわち神御自身であることを信じる者を指しています。
 それに対し、ニコデモは主イエスをあくまで人、つまり旧約聖書の預言者の一人のように見ています。預言者エリヤやエリシャは神から遣わされたことを証しする様々なしるし(奇跡)を行いました。たとえばシリア人の将軍ナアマンの重い皮膚病を癒し、寡婦の独り子を死から蘇らせました。それと同じようにニコデモは神が主イエスを通して働かれていると見たのです。主イエスが神御自身であるとは信じていなかったのです。
 それではわたしたちはどうでしょうか。主イエスをどのようにみるかによって「わたしたち」と呼ばれるのか「あなたがた」呼ばれるのかが決まるのです。「光」、「命」に属しているのか「暗闇」、「滅び」かが分かるのです。

2009年12月20日日曜日

マタイ1章18-25節「神は我々と共におられる」

第116号

〈クリスマス礼拝〉

 子供にとってクリスマスといえばサンタクロースです。欲しい物をお願いしておくと、クリスマスの日、その願いがかなっています。不思議に思うと同時に確かにサンタクロースはいると信じます。似通ったことが多くのクリスチャンにも言えるのではないでしょうか。祈りが聞かれると神を信じ、そうでないと神がおられるとは思えなくなるのです。しかし、聖書が教える神はそのような神とは違います。
 大工のヨセフは許嫁のマリアに子ができたのを知りました。自分の子ではありませんでした。当時、姦淫の罪は死刑でした。。ヨセフはそのようなことは望みませんでしたので、マリアの子を自分の子と認めたうえで「縁を切ろうと決心した」のです。「このように考えていた」ヨセフに「主の天使が夢に現れて」マリアを妻とするように「命じられた」のです。ヨセフは神の御意志を知ってマリアを妻とし、その子を自分の子としたのです。

 人類の初めであるアダムとエバは神と自由な交わりを持っていました。エデンの園で彼らは主の顔を見、その声を聞き、園を歩かれる主の足音を聞いていました。神はアダムとエバと共におられました。しかし、彼らはサタンにそそのかされて罪を犯しました。神の戒めに善し悪しの判断を加え、神に代わって自分で生きようとしたのです。その結果、神を避けるようになりました。神はそのアダムとエバに「どこにいるのか」と声をかけられ、「取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問われました(創世記三章九、一一節)。アダムとエバは犯した罪の責任を回避しようと、わたしが悪いのではない、女が、蛇が、いや、あなたが、…と、言い逃れをしました。このようにアダムとエバ、そしてその子孫は生ける神との霊的交わりを失い、死ぬものとなりました。
 時代を経て、神はアダムとエバの子孫の中からアブラハムを選ばれ、三つのことを約束されました。それは「子孫」を与えること、「土地」を与えること、すべての民の「祝福の源」となることでした。その約束は子のイサクとその子のヤコブに引き継がれました。ヤコブは神によってイスラエルという名を与えられましたが、それは「神が支配される」という意味でした。エジプトに下ったヤコブの七五人の家族は四百年経った時、二百万人を超える民となっていました。しかし、彼らはエジプト人の奴隷でした。
 神はモーセを遣わし、その民を荒野に導き出され、自由の民とされました。神は昼は雲の柱、夜は光の柱となって彼らを導き、マナで養われました。また十戒と幕屋を与えられました。この民を率いてアブラハムに約束されたカナンの地に入ったのはモーセの後を継いだヨシアでした。
 イスラエルの民は預言者サムエルの時代に王制となり、エルサレムには幕屋に代わって神殿が建てられました。しかし、イスラエルの繁栄は長くは続かず、南北の王朝はアッシリアとバビロニアによって滅ぼされました。異教の地で捕囚となった民は聖書を編纂し、それによって律法を学び、律法に従って生きようとしました。このためにユダヤ人が集まるところにはシナゴグと呼ばれる会堂が建てられました。
 ペルシャ王クロスの時に帰還が許されましたが、多くのユダヤ人は捕囚の地にとどまりました。帰還した民はエルサレムに神殿を再建しました。
 主イエスの時代、イスラエルでは律法を厳格に守って暮らすファリサイ派の人たちや律法学者たちが民の指導者となっていました。サンヘドリンと呼ばれるユダヤ人議会の議員の多くを占め、また律法の教師として民衆の支持を集めていたのです。しかし、彼らは主イエスが「自分を神としている」ことを問題にしました。彼らにとって主イエスの言動は赦しがたい神への冒涜だったのです。そのため遂に民衆を扇動し、十字架につけて殺しました。

 イスラエルの歴史を見ますと、神は民と共におられましたが、「子孫」、「土地」、「神殿」、「王」、「律法」といったものによっては、人は救われないことを教えます。それらは来るべきメシアである主イエスとその救いを証しするものであって、それ自体に人を救う力はなかったからです。
 クリスマスの出来事、それは神御自身が人となってこの世に来られたということです。それによって「神は我々と共におられる」ことが実現したのです。しかし、それは主イエスの十字架と復活、ペンテコステの時まで待たなければなりませんでした。主イエスがわたしたちの心の内に住まわれることによって、わたしたちははじめて神の声に従って生きることができるようになったからです。
 インマヌエル、それは、神が御自身の民への主権の回復の宣言であり、再び御自身の民を支配するその到来でした。主イエスにより教会が新しいエルサレムになったのです。

2009年10月18日日曜日

ペトロ一2章1-10節「生きた石」

第114号

 
 「生きた石」とは「死んだ石」に対応しています。それでは「死んだ石」とは何でしょうか。旧約聖書において神の言葉である十戒は石の板に刻まれていました。十戒とは神の民が守るべき掟で、神とイスラエルの民が交わした契約でした。その契約とは、民が十戒を守るならカナンの地で豊かな生活が約束され、守らないなら滅ぼされるというものでした。この石の板は契約の箱に入れられ、神殿の至聖所に置かれました。契約の箱の蓋は贖いの座と呼ばれ、その上に一対の翼を広げたケリビムが置かれました。その翼で囲まれた空間に神は臨在され、御言葉を発すると信じられていました。大祭司は年に一度、自分と民の贖いのための小羊の血を持って至聖所に入り神の臨在の前で罪の許しを祈りました。イスラエルの民はエルサレムの中心は神殿で、神はそこから世界を支配されると信じていました。神殿と祭儀で大切なのは、十戒は神の言葉で、民はその戒めを守らなければならないこと、しかし、守れない民の罪を生贄の動物の命で贖うということでした。
 このように神の裁きは小羊の血によって贖われるという恵みの下にあったにも拘らず、イスラエルの民は約束の地でこの神に替えて土着のバアルやモレクといった異教の神々を礼拝するようになりました。神は預言者を遣わし、民にご自身の元に立ち帰るよう促しましたが、民の心は頑なで回心することはありませんでした。神は遂にそのような民を契約に基づいて滅ぼされました。それが七二二年に北王国イスラエルで、五八七年に南王国ユダで起こったことでした。両国はそれぞれアッシリアとバビロニアによって滅ぼされたのです。
 「死んだ石」とは石の板に書かれたモーセの十戒のことです。十戒は民に何が罪であるかを教えますが、それを守って生きる力を与えませんでした。それゆえ「死んだ石」なのです。

 神の子である主イエスがこの世に来られたのは、ご自身に反逆して生きる民が真実な神に立ち返り、十戒を守って生きることのできるようにされるためでした。主イエスに先立って洗礼者ヨハネが遣わされましたが、ヨハネは主イエスをイスラエルの民に紹介し「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました(ヨハネ一:二九)。主イエスはわたしたちの罪の身代わりとなり、十字架で血を流されたのです。しかし、天の父は主イエスを墓から甦らされました。主イエスは天に上られ、そこから弟子たちに約束の聖霊を送られたのです。聖霊は神であり、主イエスの霊でもあります。主イエスは神の「ことば」でもあり、このことは神の言葉がわたしたちの心に宿ることでもあります。それがペンテコステの出来事でした(使徒二:一~四)。聖霊は今日に至っても信じる者に与えられるのです。そして、そのことによりわたしたち自身が神殿となるのです(一コリント三:一六~一七)。

キリストの霊を与えられた人たちの集まりが教会です。そこにはもはや人種や民族の違いはありません。「聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿と」なるのです(エフェソ二:一九~二二)。従って教会もまた神殿なのです。神はイスラエルの人々が十字架につけて捨てた石を用いて神殿を立てられたのです。
 主イエスは生前フィリポ・カイザリアからの帰路、弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えると、主イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われました(マタイ一六:一五~一六)。ペトロとは石、岩を意味します。カトリック教会ではペトロに教会の権威が与えられたと理解します。教皇はペトロの権威を継承する者としてカトリック教会の正統性の根拠としています。それに対し、プロテスタント教会はペトロではなく彼の告白の上に教会が立てられると理解します。ペトロの信仰告白はわたしたちの内に神の霊が宿って初めて言うことができるのです。神の選びは、わたしたちに聖霊が与えられたということにあるのです。

  神はイスラエルの民に十戒を守るならカナンの地を与えると約束されました。しかし、主イエスはわたしたちに、ご自身の声に従って歩むなら新しい天と新しい地を与えると約束されました。御言葉に従って歩む時に私たちには大きな喜びが与えられるのです。そのことこそ「死んだ石」である十戒と、「生きた石」であるキリストの言葉との違いです。わたしたちに、従おうとする意志と同時にそうすることのできる力をも与えられたのです。そうであるが故に、「生きた石」となったのです。

2009年9月20日日曜日

ペトロ一1章1-12節「神の豊かな憐れみ」

第113号

  著者は伝承によれば主イエスの十二使徒の一人であるペトロと言われてきました。しかし今日、多くの学者はそれに対して疑問を持っています。その理由の一つは、ガリラヤの漁師であったペトロがこなれたギリシャ語を書くとは思えないことです。また、書簡の終わりに「バビロンにいる人々…が、よろしくと言っています」(五章一三節)とありますが、ローマをそのように隠語で呼ぶようになったのは七〇年代以降のことで、ペトロは六四年に殉教したと伝えられています。また、この書簡が書かれたのは九〇年代ではないかとも言われています。書簡はパウロの神学的な影響を受けていることが指摘されています。書簡の代筆者であるシルワノがパウロの弟子であったことがその理由と思われます(五章二節)。

 「…各地に離散して…いる選ばれた人たちへ」に続き、「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて…選ばれたのです」とあります。「選び」は神によるもので、神はアブラハム、そして、イスラエルの民を選ばれました。主イエスは一晩祈って、弟子たちの中から十二人を選ばれました(ルカ六:一二~一三)。同じように神は永遠の昔、天地が創られる前、わたしたちを知っていて救うために選ばれたのです(エフェソ一:四、五)。わたしたちの心に聖霊を与えられたのは神で、それによって、キリストの体である教会の一員とされるのです。
 「憐れみ」とはこのような神の御計画を知って初めて分かるのです。光の全くない世界に生きていたわたしたちが、光を見出して救われたのはあくまで神の側からわたしたちに手を差し伸べてくださったからです。
 光である主イエスはこの世で苦難の道を歩まれました。その極みは十字架の死でした。その死によってわたしたちの罪の贖いとなりました。わたしたちを救うために天の父御自身が主イエスの手と足に釘を打たれ、脇腹にやりを刺されたのです。この御子の痛みと苦しみは天の父の痛みと苦しみでもありました。これほどの犠牲を払われるほどにわたしたちを憐れまれたのです。
 この主イエスを信じて従うということは、わたしたちもまたこの世にある間、様々な試練に苦しまなければならないことを意味します。しかし、神がすべてのものをご支配なさっておられるなら、わたしたちはどのような試練をも神の御心として受けることができます。それだけでなく、試練にあっても尚、神の力に守られていると信じることができるのです。
 ルカの福音書には放蕩息子のたとえ話があります。父親から相続財産の生前贈与を受けた息子は遠い外国に行ってそのすべてを使い果たしました。そこで初めて息子は悔い改め、父の家に帰る決心をしました。それ以外に生きるすべがなかったのです。父親はそのような息子であっても帰ってくるのを待っていました。遠くから歩いてくる我が子を見て憐れに思い駆け寄りました。そして、息子は死んでいたのに生き返った、と喜び祝宴を設けたのです。しかし、放蕩息子の兄はそのような父を理解できませんでした。弟がしたことは自業自得で、父がなぜそのまま許してしまうのかが分からなかったのです。この父の赦しの背後には、主イエスの十字架の贖いがあるのです。人生の挫折を味わい、神に立ち帰った者は放蕩息子に自分を、放蕩息子の父親に天の父を重ねるのです。わたしたちもまた神の憐みにすがる以外に生きるすべがないのです。
 旧約聖書にあるヨブ記もまた試練に遭うわたしたちに、神を頭で理解するのではなく、個人的に知ることの大切さを教えます。「主は与え、主が奪う。主の名はほめたたえられよ」…「わたしは、神から幸福をいただいたのだから、不幸をもいただこうではないか」と言いました(ヨブ一:二一、二:一〇)。ヨブは神から憐みを受け、試練で失ったもの以上が与えられました。ヨブ記はわたしたちに神と人格的な交わりを持ち、神を「あなた」と呼べるようになることの大切さを教えます。

 神の「選び」と「憐れみ」はわたしたちの救いの基です。わたしたち自身には救われる根拠がないからです。わたしたちに臨む良いことも悪いことも、そのすべてが神から来ます。試練もまた、わたしたちの信仰が「本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりもはるかに尊くて、イエス・キリストが現われるときには、賞賛と光栄と誉れとをもたらすのです」。
 主イエスに苦難を与えられた天の父が、御子を再びその死から復活させられたように、わたしたちの試練もまたすべてを益に変えられ、その最後にわたしたちを復活させてくださるのです。神は御子によって来るべき世をわたしたちに用意され、主イエスが天の栄光を受けたようにわたしたちもまた天にあるすべてのものを受け継ぐことができるようにされたのです。御子イエスをわたしたちに与えてくださったことこそ「神の豊かな憐れみ」なのです。

2009年7月19日日曜日

ヘブライ書13勝1-25節「来るべき都」

第111号
  
 先日、クオ・ヴァディスという古い映画を見ました。ローマ皇帝ネロが支配する時代が背景です。その中で多くのキリスト者がローマの円形野外劇場でライオンの餌食にされるという残酷な場面がありました。わたしもローマに行った時、その劇場を訪れたことがありますので身につまされる思いでした。しかし、過去の歴史は、そのような殉教がローマ帝国をキリスト教国に変えていったことを知らせます。
 今年は日本のプロテスタント宣教一五〇周年ですが、この間、ホーリネス教会の人たちを例外として殉教した信者はいませんでした。一方、韓国では多くのキリスト者が殉教しました。中国でも共産党の独裁の下で多くのクリスチャンが迫害を受けました。韓国ではキリスト者が総人口の三〇パーセント、中国でも五~一〇パーセントを占めていますが、日本は未だに一パーセントに満たないのです。
 開国と同時に日本に来た欧米の宣教師たちは極めて優秀な人たちでした。彼らの宣教を受け入れた日本人の多くは武士階級でした。彼らは当時の士農工商に分けられた社会の最上位に属するエリート層で、人口の五パーセントを占めていました。そのためか教会は教えを学ぶところとなり、より救いを必要とする弱く、貧しい層への伝道の場になりにくかったのではないでしょうか。キリスト教が日本に初めて伝来した織田信長や豊臣秀吉の時代のカトリックの布教と異なっていたと思うのです。多くの人が殉教しましたが、信徒数は人口の二~三パーセントに達したからです。

 聖書は繰り返して、新しい世界は古い世界が滅ぶことによって生まれること、そしてわたしたち自身も、古い自分が死ぬことによって新しい命が宿ることを教えます。
 ノアの時代、古い世界は洪水によって滅び、ノアと家族だけが新しい世界を受け継ぐことができました。アブラハムに子孫が与えられるとの主の約束はアブラハムが百歳、妻のサラが九〇歳になった時に成就しました。子を宿すのが不可能な死んだ身体に命が宿り、イサクが誕生しました。モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民は滅ぼされました。ヨシュアとカレブ以外は、荒野で生まれた新しい世代の人たちだけが約束の地に入ることが許されました。カナンに住むようになったイスラエルの民は士師の時代を経てサウルが王となり、ダビデがその後を継いで全土を支配するようになりました。ダビデは姦淫をし、バテシバによって子を儲けましたが、その子はダビデの罪を負って死ななければなりませんでした。しかし、主は彼らを赦しソロモンを授けられました。ソロモンの後、王国は北と南に分裂しましたが、結局、北王国も南王国も滅ぼされました。南王国のダビデ王朝は滅びましたが、預言者ナタンをとおしてダビデに与えられた約束は主イエスによって成就したのです。

モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民はシナイ山で神から律法を授けられました。律法は約束の地で神の民として生きるに相応しい憲法であり倫理基準でした。しかし、民は律法を守って生きることはできませんでした。これらのことはわたしたちによい行いや宗教的儀式によっては、救われないことを教えます。ユダヤ人であろうと異邦人であろうとわたしたちは誰一人、神の審きの前に立つことはできません。このようなわたしたちを救うために天の父はご自身の独り子をこの世に遣わされました。しかし、律法を民に教え、自ら厳格に守って生きてきた律法学者やファリサイ派の人たち、また、神殿で仕えてきた大祭司たちがこのお方を十字架に掛けて殺してしまいました。
 十字架の出来事こそ、古いものが滅び新しいものにとって代わることの真の意味です。主イエスは、ご自身の血で人々の罪を贖われました。その罪を認め、主イエスを神と信じる時、わたしたちの内に神の霊が宿ります。この霊によってわたしたちは古い自分に死に、主イエスが代わって生きるようになるのです。それはわたしたちが新しく創造されるということです。主イエスが王として支配する神の国は、このような民によってもう既にこの世で始まっているのです。この民が「来るべき都」の住民となるのです。
 「来るべき都」こそ、ヘブライ人への手紙の主題です(参照、二章五節、六章五節)。この世は滅びます。滅んだ後に、新しい「永続する都」が天から下ってくるのです。
 クオ・ヴァディスではペトロはアッピア街道で主イエスに出会い、ローマに戻りました。そこで十字架刑に処せられると聞いて「主と同じだ。十字架で死ぬことができる」と喜ぶのです。殉教はその人がどのように確信していたかを教えます。そのためその死は多くの人に命をもたらすことになるのです。