2012年1月15日日曜日

フィリピ書1章1-2節「恵みと平和が」

第141号

 この書簡の著者はパウロに間違いないと言われています。一節にパウロの名が記され、初期の教会指導者や神学者もパウロが著者であることを認めています。文体、言葉遣いもパウロ独特の素朴さ、繊細な感情、率直な感情がほとばしり出ています。書かれた時期は六十一年の後半で、場所はローマの獄だと言われます。パウロの獄中書簡にはこの他にエフェソ、コロサイ、ピレモンがあります。
 パウロがテモテ、シラス、ルカを伴いフィリピを訪れたのは第二次宣教旅行の時でした(使徒言行録一六章参照)。アジア州、ビティニア州に行くことを聖霊によって禁じられたため彼らはトロアスに行きました。すると夜、一人のマケドニア人が幻で現れ、パウロに「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願しました。パウロたちは、それは神の召しであると確信し、ネアポリスを経てフィリピに行きました。そこでリディアという婦人に出会いました。彼女は福音を信じ、家族と一緒に洗礼を受けたのです。フィリポの集会はこのようにして生まれました。パウロがカイザリアからローマに送られたのはそれから十年後でした。フィリピの集会はパウロのところにエパフロディトを遣わしました。彼がフィリポに帰る時この書簡が託されたのです。この書簡はパウロの書簡中最も個人的なものだと言われ、また、「喜びの書簡」とも言われます。「喜び」、「喜ぶ」という言葉が十回以上出て来ます。その喜びとは「神が人となってこの世に来られた」ということに尽きるのです。

 一節、二節はパウロのエフェソの人たちへの挨拶です。パウロの他の書簡には自分はイエス・キリストの「使徒」であることが書かれていますが、ここにはありません。彼らにそのことを言う必要はなかったのでしょう。「使徒」とは生前の主イエスに従い、復活の主イエスに会った人たちのことです。主イエスは復活から四〇日後に彼らの見ている前で天に上げられました。「使徒」という名には、この主イエスを証する特別な役目とそれに伴う権威がありました。パウロは自分をその一人としています(Ⅰコリント一五章八節)。パウロは自分は「キリスト・イエスの僕である」と言います。「僕」に当たるギリシャ語(デュロイ)は「奴隷」です。このことはパウロは自分ではなく、主イエスの意志だけに従っていることを意味します。主イエスがパウロの全ての責任を負って下さるのです。パウロはフィリピの人たちを「聖なる者たち」と呼んでいますが、それはあくまで「キリスト・イエスに結ばれている」ことによるものであって、いわゆる立派な人という意味での「聖人」ではありません。主イエスは十字架でわたしたちの罪を贖ってくださり、それによってわたしたちは神の前に罪なきものとされました。それはあくまで神との契約に基づくもので、わたしたちが神の言葉を信じて「洗礼」を受けることによって成立するものです。従って、人の資質の有無によるものではなく、神の意志に基づくものです。フィリピの集会には「監督」と「奉仕者」がいました。「監督」と「長老」とは同意語で、教会の指導者のことです。「奉仕者」とは「執事」のことで、財政、物資、また様々な奉仕で教会に仕えた人たちです(使徒一章参照)。パウロはフィリピの人たちの「恵み」と「平安」を祈りますが、「恵み」とは回心時における恵み、契約によって「主イエスに結ばれている」ということでもありますが、それ以上に毎日の生活で必要な時に受ける「恵み」のことです。「平安」とは主イエスの十字架による和解ということだけでなく、日々の生活における祈りと感謝を通して得られる神の「平和」です。

  「主イエスに結ばれている」、それは主イエスの霊によって結ばれているということに他なりません。テモテとパウロは主イエスと人々への愛と奉仕で結ばれていました。彼らには青年と壮年という年の違いがありました。それは熱意と経験、衝動と知識、ほのかな希望と静かで豊かな確信の違いでもありました。パウロにとってテモテは自分の子以上の存在でした(Ⅰテモテ一章二節、一八節)。パウロとフィリピの集会もまた「主イエスに結ばれて」いました。フィリピの教会はパウロのために祈り、様々な援助をしました。貧しいエルサレムの教会を助けるために、彼らは自分たちが出来る以上のことをしたのです。そうすることにより彼らはパウロの宣教に関わっていたのです。パウロもそのような彼らを覚え、絶えず祈りました。
 わたしたちもまた「キリストに結ばれている」のです。洗礼を受け、聖餐にあずかり、契約の民とされているからです。「聖なる者たち」で、「神によって選び分かたれた聖でない人々(罪人)」です。契約により、同じ天にある故郷を約束されているのです。そこにわたしたちの過去でない、将来でもない今の「恵みと平和」があるのです。

2011年12月18日日曜日

ヨハネ1章14-18節「その栄光を見た」

第140号

 出エジプト記33章12-23

  「言」はギリシャ語でロゴスです。著者ヨハネは「言」(ロゴス)の概念を用いて、主イエスがどのようなお方であるかを教えます。「言」は耳で聞きますが、頭の中で考えることも「言」です。そして「言」は心で聞くことも出来ます。心の内から聞こえて来る良心の声、そして外から「あなたはどこにいるのか」と問いかけてくる声です。サウルはダマスコに行く途上、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という主イエスの「言」を聞きました。旧約聖書の預言者もそのような神の「言」を聞きました。わたしたちもまた神の声を聞くことが出来るのです。ヨハネは神の「言」が人となられた、それがイエス・キリストであると言います。
  ヨハネは「神」と「言」を区別しますが、「聖霊」はわたしたちにこの「言」が神であることを証します。それ故、神は「三位一体」なのです。三位一体の概念を説明することは難しいですが、次のように例えることが出来ます。わたしは親に対しては子で、子に対しては親です。そして配偶者に対しては夫です。わたし自身は変わることはないのですが、その置かれた立場によって役割は変わります。同じことは神についても言えます。同じ神が「父」、「子」、「聖霊」の三つの役割を担っているのです。

 ヨハネはこの世は「暗闇」であると言います。何故なら神が人となってこの世に来られたのに、人はそのお方を神と認めることが出来ず、そればかりかそのお方を十字架につけてしまったからです。聖書はわたしたち人間は自分の力で主イエスを神と信じることが出来ないと教えます。律法学者ニコデモは民の指導者であり聖書の教師でしたが主イエスを神と認めることは出来ませんでした。同じことは主イエスの弟子たちや母マリアにも言えます。彼らが変えられたのは復活の主イエスに出会ったからです。主イエスは彼らに十字架の傷跡をお示しになり、手で触れることすらお赦しになりました。また一緒に食事をされました。主イエスは聖書を開いてご自身が確かにメシアであることを教えられ、四十日後に彼らの目の前で天に上げられました。主イエスは彼らを御自身の復活の証人とされました。それ故、彼らは「使徒」と呼ばれるようになりました。わたしたちもまた主イエスとの出会いがあり、「使徒」たちの証を信じることが出来るようにされたのです。
  主イエスはローマ皇帝アウグストゥスの時、マリアの子としてお生まれになりました。そして、ローマ総督ポンティオ・ピラトの下に苦しみを受け十字架につけられました。神である主イエスは歴史の中に入って来られたのです。しかし、主イエスの復活はこのような歴史的出来事とは違います。主イエスは御自身の復活を弟子たちだけに示されたからです。他の人は見ることは出来ませんでした。使徒たちはあくまで見たことの証人であって、主イエスの復活に関わったということではありません。
  信仰の父アブラハムは暗闇の中で、煙を吐く炉と燃える松明がいけにえの動物の間を通り過ぎられるのを見ました。それは神がアブラハムに立てられた「契約」でしたが、アブラハムはあくまで傍観者であって「契約」に関与したという訳ではありませんでした(創世記一五章一七、一八節)。主イエスもまた、神がわたしたちと結ばれた「契約」となられましたが、それは神御自身がなされたのであって、わたしたち人間は傍観者にすぎません。その契約を信じるかどうかがわたしたちに求められています。

 ヨハネは「独り子としての栄光」を見たと言います。偉大なイスラエルの指導者であったモーセは民をエジプトから約束の地に導くその重荷に耐えかねて主に「(あなたは)わたしと共に遣わされる者をお示しになりません」、「お願いです。…どうか今、あなたの道をお示しください」、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と祈りました。その祈りは千五百年後、主イエスにおいて聞き届けられたのです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われました(ヨハネ一四章六節)。ヨハネの見た「栄光」、「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちて」いました。「恵み」、それは神ご自身の命でわたしたちの罪を贖って下さったということで、わたしたちにとって、もはや審かれることはないということです。「真理」、それは主イエスがかつておられ、今いまし、これからも永久におられるお方であって、わたしたちと共におられるお方(インマヌエル)ということです。
  これらのことはすべて神から出たことです。わたしたちに出来ることはこの神に感謝し、すべての栄光を神に帰するということだけです。

2011年11月20日日曜日

ヨハネ11章38-44節「ラザロ、出て来なさい」

第139号

〈永眠者記念礼拝〉

出エジプト記33章18-23

  三月十一日の東日本大震災と津波により、多くの方が被災され亡くなられました。また、喪失の悲しみの中にある人たちも多くおられます。そのような方々のために祈りたいと思います。
  川越教会では昨年の永眠者記念礼拝以降、天沼武子姉を天に送りました。五月十四日で、八十五才でした。埼玉県に生まれ、川越で成長されました。川越女子高等学校に入学した翌月の五月に父親を脳溢血で亡くされました。六月から川越教会に出席するようになり、すぐに受洗されました。キリスト教を信じるようになったのは、父親の死がきっかけだと思われます、また当時の川越教会の鈴木不二麿牧師との出会いも大きかったようです。
  多くの人は生は死で終わると思っております。あるいは、肉体は滅んでも魂は生き続けると信じている人もいるかもしれません。今日の聖書の箇所は、主イエスを信じること、復活を信じることはどのようなことかをわたしたちに教えています。

 マルタ、マリア、ラザロの三姉弟はベタニヤという村に住んでいました。弟のラザロが病気になりました。マルタとマリアは直ぐに主イエスに遣いを出しました。ところが主イエスが村に着いた時にはラザロは死に、墓に入れられて既に四日が経っていました。マリアは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言って泣きました。二人の姉にとってラザロの死はどれ程の悲しみであったでしょうか。主イエスも涙を流されました。
 主イエスは墓に着くと石を取りのけるように命じられました。マルタが「四日もたっていますから、もうにおいます」と言うと「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われました。
 「神の栄光が見られる」とはどういうことでしょうか。出エジプト記三三章一八節では、モーセは主に「どうか、あなたの栄光をお示しください」と頼んでいます。それに対し主は、あなたはわたしを見ることはできない。わたしを見て、なお、生きることはできない、と答えています。わたしたち人間に神の栄光を見ることは許されていませんでした。
 この世は神によって創られたのであって、神の世界とは異なります。主イエスは神の世界からこの世に遣わされてきたお方です。主イエスは異なる二つの世界の接点となったのです。しかし、わたしたち人間は主イエスを神と認めることはできません。そのため人々は主イエスが御自身を神としたことに躓きました。それは神への冒涜である、と言って十字架につけました。主イエスはその十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と言われ、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。この十字架の出来事こそ「神の栄光」となったのです。
 天の父は御自身の独り子を十字架につけられました。それによってわたしたち人間の罪の身代わりとされたのです。しかし、その時の天の父の気持は、いかばかりであったでしょうか。それは、主イエスのラザロへの気持ちに重なります。そして、それはラザロだけでなく、わたしたちに対する主イエスの気持でもあるのです。ヨハネ三章一六節には「神はその独り子をたまわったほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。主イエスはわたしたちのためにも涙を流されるお方なのです。「神の栄光が見られる」とはこのようなお方が天におられるのを知るということです。

 主イエスの十字架によって、わたしたちの死はこの世の命と永遠の命の接点となりました。十字架を仰ぐとき、主イエスのこの世での働きを覚え、その死の様を思い、今、生きておられることを知ります。人の死の象徴である「墓」もまた、その人のこの世での生を覚え、死の様を思い、永遠の命に想いを馳せるところとなりました。

復活された主イエスを知ること、それは、神の国はもう既にわたしたちのところに到来しているのを知ることです。それによってわたしたちはもう復活に与っているのを知るからです。わたしたちはもう既に新たに生まれ変わっているのです。

主イエスは、「ラザロ、出て来なさい」と言われました。それはわたしたちへの呼びかけでもあります。この世から出て来て、わたしのところに来なさいと言われるのです。主イエスはわたしたちと一緒にこの人生のあらゆる苦しみ、悲しみを天において共にされているのです。そして、わたしたちに永遠の御国に入れられているという喜びを知らされるのです。主イエスの十字架はこのような民を生みました。「この世を旅する共同体」が形成されたのです。それが「教会」です。

2011年10月16日日曜日

マタイ10章34-39節「わたしのために」

第138号
主イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである」と言われました。しかし、主イエスはこの地上に平和をもたらすために来られたのではないのでしょうか。イザヤもまた主イエスについて預言し、このように言っています。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」(イザヤ九章五節)。主イエス御自身も山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言っておられます(マタイ五章九節)。主イエスを信じるわたしたちまた、地上に平和をもたらす使命が委ねられているのではないでしょうか。
 主イエスはなぜこのように言われたのでしょうか。主イエスは御自身に従う者たちの中から、特に十二人の弟子を選ばれたとあります。彼らは主イエスに「呼び寄せ」られたのです。それは彼らを世に遣わされるためでした。主イエスは彼らに「汚れた霊に対する権能をお授け」になりましたが、それは「あらゆる病気や患いをいやすため」でした。主イエスは十二弟子たちが迫害されるのを御存知でした。「わたしのために、あなたがたはすべての人に憎まれる」と言われ、「人々を恐れてはならない…体を殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな、むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」と言われました。この世の本当の主権者は人ではなく、天の父であり、主イエスご自身であることを教えられたのです。

  アフリカでは多くの人たちはイスラムを信じています。そのような中にあってわたしが今回訪ねたガーナ、ガンビア、セネガルの教会ではチャーチ・プランティングと呼ばれる宣教を行っていました。宣教者を二人一組にして村に派遣するのです。彼らはまず長老を訪ね、伝道する許可を得ます。長老は通常、外部の人が来て自分たちの村を活性化するのは良いことと考えます。宣教者たちは一軒、一軒、家を回りマン・オブ・ピース(man of peace)と呼ばれる人を探し出します。神は村に前もって福音に対して心を開く人を用意されているいます。その人を見つけたならその家で家庭集会を持ちます。するとその家に近所の人たちが集まって来るようになり教会が生まれます。
 このような宣教活動は順調に進むとは限りません。しばしばイスラム教徒の反対に会い、その教師たちの抵抗に会います。家で初めてキリストを受け入れた者は、自分の父、母、あるいは自分に最も親しかった者が敵となるのです。
 このようなことが起こるのはアフリカやイスラムの社会だけに限りません。日本や他の西欧諸国でも、またいつの時代にも言えることです。ジョージ・ミューラーは孤児院の父と言われますが、彼が神学生の時、宣教師になることを決心すると父は反対し、学費の仕送りを止めてしましました。父は息子が立派な聖職者になって高給を取り、立派な家に住んでもらいたかったのです。ゆくゆくは息子の家で老後を安楽に暮したいと思っていました。主イエスもまた三十歳になると、伝道の為に家を出ました。主イエスは父ヨセフが亡くなった後、母マリアと一緒に幼い弟や妹のために働いて来ました。母も弟たちもそれが当然と思い、それがいつまでも続くと思っていたのです。彼らは主イエスを家に連れ戻そうとカファルナウムまで追いかけて来ました(マタイ一二章四六~五〇節)。

 主イエスは「わたしよりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」と言われました。イスラエルでは神について教えるのは父母の役目でした。神の言葉を学んだ子は父母を敬ったのです。このような父母を愛するのは当然のことでした。また、子を愛さない親がいるでしょうか。わが子のためであれば自分の命すらいとわないと思うのが普通です。にも拘らず、このような混じりけのない愛すら絶対的に正しいと主張できないのがわたしたち人間でもあるのです。神の被造物であるわたしたちは創造者である神の主権を信じる以外に義はないのです。
 神の愛を信じることは自分や人の愛を信じることとは違います。「自分のいのちを得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」と主イエスは言われました。アウグスティヌスの『告白』にも、「わたしは、死ぬことのないように、あなたのみ顔を仰ぎ見るために死のう」と言うのがあります。
 主イエスの言葉は御自身が選ばれた者たちに与えられたもので、十字架によって生涯を終えられた主イエスの生き方に倣うように促すものです。

2011年7月17日日曜日

使徒2章37-42節「悔い改めなさい」

第135号

 
 ペンテコステの日に聖霊が使徒たちに降りました。聖霊によって聖書の真理が明らかにされ、聖書は全て主イエスを証ししていることが知らされました。そして何よりも主イエスが彼らの内に留まられ、彼らを通して働かれるようになったのです。それまでユダヤ人を恐れて部屋に閉じこもっていた使徒らは大胆に福音を述べ伝え始めました。
 ペトロは物音に驚いて集まって来た人たちを前に、他の十一人の使徒たちと共に立って話し始めました。ペトロの説教はヨエル書からの引用で始まります。そこには「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」とあります。聖霊が使徒たちに与えられることは、主イエスが生前に約束されていたことでした。それが成就したことにより、「終わりの時」が始まったのです。この終わりの時は、主イエスの再臨の日までで、その日は「主の日、大いなる恐るべき日」です。しかし、救い主である主イエスを知っているペトロやわたしたちにとっては、「主の偉大な輝かしい日」です。その日はこの世の裁きの日であり、救いの日です。「太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる」のですが、「主の名を呼ぶ者は皆、救われる」のです。
 旧約聖書では神の名は「ヤハウェ」でした。しかしユダヤ人は余りにも恐れ多いその名を口にすることはありませんでした。その代わりに「主」(アドナイ)と呼びました。しかし、ペテロにとって、この神の名は「主イエス」となりました。「主イエス」こそ「ヤハウェ」であることを知ったからです。主イエスの名を呼ぶ者は皆、救われるのです。
 ペトロは続いてダビデの言葉を引用しました。ダビデは預言者なので自分の子孫が王座に就くのを知っていました。ペトロはダビデの言葉を「わたし(主イエス)は、いつも目の前に主(天の父)を見ていた。…あなた(天の父)は、わたし(主イエス)の魂を陰府に捨てておかない」と理解しました。ダビデは死に、墓が彼らのところにありましたが、主イエスは死んで復活され、その墓は空でした。メシアは死ぬことはないのです。

 ペトロはヨエルとダビデの言葉を引用した後、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」と言いました。この言葉に集まって来ていた人々は心を打たれました。
 人々は主イエスを罪ありとして裁きました。それは主イエスが安息日を守らず、自分を神の子としていたからです。彼らは主イエスを十字架につけましたが、神の子が木にかけられて死ぬことなどありえませんでした(申命記二一章二三節)。しかし、主イエスは復活されたのです。それは神がこのお方を無実とされたことに他なりません。罪のない者を死に閉じ込めておくことは出来ないからです。主イエスの復活は人々の罪を白日の下にさらしました。わたしたちの罪は主イエスを神の子と認められないことにあります。生前の主を神と認められないことは使徒たちも、主イエスに従った女たちも皆、同じでした。彼らは主イエスを神から遣わされた人として理解していたのです。罪とは、わたしたちの犯す一つ一つの行為を指すのではなく、主イエスを神と認められないことにあるのです。聖霊だけがこのようなわたしたちの罪を明らかにされるのです。
 固い心を砕かれた人々は使徒たちに「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と言い、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めました。そのペトロの言葉に従って三千人が洗礼を受けました。

 旧約聖書の時代、油を注がれ、神から聖霊を受けることが出来たのは、王、預言者、祭司だけでした。しかし、今や「悔い改めて」主イエスのところに来る者は、誰でも聖霊を受けることが出来るようになりました。老若男女、地位、名誉、財産のあるなしは関係ありません。また、ユダヤ人と異邦人の区別もなくなりました。
 「主の名を呼び求める者は皆、救われるのです」。今こそ恵みの時、救いの時です。しかし、聖霊を受けない限り主を救い主と告白出来ません。生まれたままのわたしたちは主イエスを神の子と認めることは出来ないからです。
 わたしたちは自分の判断、善悪の基準に従って生きています。このような生き方からの決別が求められています。同様に、物質的な豊かさ快適な生活、便利さの中にわたしたちの求める幸せはありません。本当の幸せは神によって与えられる霊的な幸せなのです。神中心の生活に代わらなければなりません。主イエスを神の子と信じ、全てを捨ててその前に膝まづくことです。そのように決心するすべての人に聖霊が授けられるのです。

2011年6月19日日曜日

使徒2章1-13節「一同は聖霊に満たされて」

第134号

 
 主イエスは過越祭の時に十字架につけられ、三日目に死から甦られました。復活した主イエスは四〇日に亘って弟子たちに御自身を示され、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」と言われ、彼らの見ている前で天に上げられました(使徒一章四、五節)。
 五旬祭の日が来て、弟子たちはエルサレムにある家の二階に集まり鍵を閉めていました。彼らはユダヤ人を恐れていたのです。すると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が現れ、一人ひとりの上に留まりました。一行は聖霊に満たされ、「霊」が語らせるままに、様々な国の言葉で話しだしました。五旬祭には世界各国からユダヤ人たちがエルサレムに来ていました。彼らはこの出来事に驚いて集まって来ました。そして弟子たちが自分たちの故郷の言葉で神の御業を語っているのを不思議に思ったのです。しかしある者たちは「新しい酒に酔っているのだ」と言いました。
 過越祭はイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトの地を出たのを記念して行うようになりました。エジプトで奴隷だったユダヤ人にとって過越祭は民族の誕生を祝う日でした。荒野に出て行ったイスラエルの民は五〇日後にシナイ山で神から律法を与えられました。それを記念するのが五旬祭で、律法によって生きる信仰の民、イスラエルの誕生を祝う日です。
 キリスト教徒にとって、過越祭は主イエスの甦りを祝う復活祭(イースター)になり、五旬祭は教会の誕生を祝う聖霊降誕日(ペンテコステ)となりました。

 主イエスとニコデモの対話に見られるように誰でも霊によって新しく生まれなければ神の国に入ることは出来ません(ヨハネ三章参照)。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって」と書いてあるとおりです(Ⅰコリント五章一七節)。
 聖霊だけがわたしたちに命を与えます。神は土でアダムを形づくり、「命の息を吹き入れられ」ました(創世記二章七節)。同じように主イエスもまた弟子たちに御自身の息を吹きかけられ「聖霊を受けなさい」と言われました(ヨハネ二〇章二二節)。それによって初めてわたしたちは命を得ることが出来るのです。主イエスと同じように復活し、御国に入ることが許されるのです。
 教会の誕生は主イエスの誕生と比べられます。主イエスの母マリアはまだ結婚する前に天使ガブリエルから、聖霊によって男の子が生まれる、と告げられました(ルカ一章三五節参照)。弟子たちも主イエスに、あなたがたは間もなく聖霊を受ける、と言われました(使徒一章五節参照)。いずれも神の約束の成就であって、わたしたちの努力や信仰の結果ではなく、神御自身が働かれたのです。

 聖霊を与えられる前の弟子たちのように、わたしたちもまた、心の扉に鍵をかけ、自分の殻に閉じこもっているのではないでしょうか。わたしたちは自我という生まれつき頑固で固い石の心を持っています。自分で自分の石の心を砕くことが出来ません。
 そのような中にあって弟子たちは、主イエスの約束されたものが与えられるようにと、皆「心を合わせて熱心に祈って」いました(使徒一章一四節)。そして、聖霊を与えられることによって初めて彼らは変えられたのです。同じことがわたしたちにも言えます。教会が本来の教会となるためには先ず、聖霊に満たされるよう祈ることから始めなければならないのではないでしょうか。
 聖霊によらなければだれも「イエスは主である」とは言えません(Ⅰコリント一二章三節)。聖霊が与えられて、初めて主イエスがどのようなお方であるかを知るようになります。そして、御言葉がそのまま素直に心に入って来るようになります。神の国の民の一員にされるからです。それまで外国語で書かれているようであった聖書が自分の国の言葉として書かれているのを知るようになるのです。同じように、御言葉を聞く人たちも自分の国の言葉として理解するようになります。そこにはもはや人種や民族の違いはありません。
 「一同は聖霊に満たされて」、初めて教会に人が集まって来ました。同じことがわたしたちにも言えるのではないでしょうか。教会の使命は御言葉を述べ伝えることにあります。それは「あなたがたは行って、全ての民をわたしの弟子にしなさい」という、今年の教会標語でもあります。

 

2011年5月15日日曜日

出エジプト記3章1-10節「今、行きなさい」

第133号

 
 創世記は天地の創造で始まり、エジプトに下ったヤコブとヨセフの死で終わっています。出エジプト記はモーセの誕生から幕屋の完成までが記されています。創世記と出エジプト記の間にはおよそ三百年の時間の隔たりがあります。通常でしたら、七〇人に満たないヤコブの一家はそのような長い年月の間に、エジプト人に同化してしまったのではないでしょうか。しかしそのようにはなりませんでした。その理由として幾つか考えられます。先ず、人種の違いです。ユダヤ人はセム系で、エジプト人はハム系でした。次に、住んでいる場所も別でした。イスラエルの人たちはゴシエンの地に寄留していました。彼らは羊を飼っていましたが、それはエジプト人にとっては忌むべき仕事でした。イスラエルの人たちは彼らの先祖であるアブラハムに与えられた神の約束を信じていました(創世記一二:一~三)。ヨセフは死を目前にし、神は必ずイスラエルの民をエジプトからカナンの地に連れ戻して下さること、そしてその時には自分の骨を持ちだし先祖の墓に入れるようにと言い遺しました。従ってその間、ヨセフの棺はエジプトでイスラエルの民と共にあったのです。そのようなことを母親から子へと語り継がれていきました。

 ヤコブがエジプトに下った時代が去り、ファラオが新しい王朝に代わると彼らは奴隷とされました。彼らは厳しい使役に就かされピトムやラムセスなどの町の建設に駆り出されました。この過酷な労働の中でイスラエルの人たちは増え続け、三百万人を数えるまでになりました。ファラオは彼らに脅威を抱き、生まれて来る男の子を殺すように命じました。まさしくイスラエルの民の滅亡の危機でした。
 モーセが生まれたのはそのような時でした。母親は三カ月まで隠し育てましたが、遂に隠し通せなくなり、籠を作り、その子を入れてナイル川の葦の中に置きました。ファラオの娘がその籠を見つけ、中で泣いている子を自分の子として育てました。
 モーセは成人になると、自分の民の置かれた現実に心を痛めるようになりました。そして、何不自由のない王宮での生活を捨てて、同胞のために生きる決心をしました。しかし、イスラエルの民は彼に従いませんでした。ファラオへの反逆者となった彼は遠くミディアンの地に逃れました。そこで祭司エトロの家に入って、彼の羊を飼うことになりました。そして、エトロの娘と結婚し、二人の子をもうけました。
 羊飼いは通常五〇匹から一〇〇匹の羊を養いながら旅を続けます。どこに行くかを決め、危険が及べば自分一人で対応しなければなりません。また、羊飼いには自分の羊への愛情と忍耐が何よりも必要でした。
 遠いミディアンの地で羊を飼っていてもエジプトの情報は入って来ました。そこにいる同胞の悲惨な生活を耳にするたびにモーセは心を痛めました。しかし、彼は既に人生の敗北者でした。エジプトの王ファラオの家族の一員として必要な学問は全て身につけていたにもかかわらず、少しもそれを生かせずにいました。そして四〇年の歳月が流れたのです。しかし、これもまた神の御計画でした。このような生活が、その後の彼の歩みにとって宮廷での学びと同じように、いやそれ以上に、役に立ったのです。

 モーセは羊を飼いながらホレブの山に来ました。その時、柴が燃えているのが目に入りました。柴はいつまでも燃え尽きません。不思議に思って近づくと、「モーセ、モーセ」と呼ぶ声がありました。これがモーセにとって神との出会いでした。神はこのようにモーセに御自身を顕現され、「今、行きなさい。わたしがあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と言われました。
 「今」、まさしくそれは神の時でした。イスラエルの民の新たな出発の時でもあったのです。昔、カナンに飢饉が襲った時は、ヤコブの家族の生存の危機でしたが、同時に、エジプトに下る時でもありました。「行きなさい」、それはモーセに決断を促す言葉でした。モーセの目を御自分に向かせると同時に、イスラエルの民にも向かせたのです。モーセにとってイスラエルの民のために立ちあがるには、乗り越えなければならない壁は余りにも高かったのです。かつて彼らはモーセを自分たちの指導者にすることを拒否しました。ファラオも彼を殺そうとしました。そして今、モーセには妻と二人の息子がいる上、義父エトロを養っているのです。しかも、モーセは既に八〇歳でした。神はこのようなモーセの全てを御存じの上で、「今、行きなさい」とエジプトに行くことを命じられたのです。
 「今、行きなさい」、この御言葉はモーセだけにではなく、わたしたちキリスト者にも向けられているのです。この言葉を聞くことなしに、主イエスに従うことは出来ません。