2012年5月20日日曜日

使徒1章3-5節「聖霊による洗礼」

第145号

 
 主イエスは復活され「御自分が生きていることを、数々の証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話されました」。主イエスの言われる「神の国」とはどのような国だったのでしょうか。その国を弟子たちはどのように理解していたのでしょうか。
 主イエスは弟子たちと食事をされ、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」と言われました。主イエスは十字架に付けられる前の夜にも弟子たちと食事をされ、同じ約束をされています(ヨハネ一四章~一六章参照)。
 神の国と聖霊とは密接な関係があります。神の国とはその霊が支配する国のことだからです。旧約では預言者、王、祭司はその職務に着く時、油を注がれました。油は見えない聖霊を証するもので、実際、預言者は神から聖霊を受け、神の言葉を民に語りました。世界でイスラエルだけが神の国と呼ばれましたが、同時に神に逆らう国でもありました。預言者を迫害し、殺してきたのがその歴史でした。神は最後に御自身の独り子を遣わしましたが、人々は十字架に付けました。
 弟子たちは主イエスこそメシアであると信じていましたが、その死によってイスラエルを神の国にする夢は砕かれました。しかし、主イエスが三日目に復活されたことによって、弟子たちに「神の国」の夢が蘇ったのです。

 わたしの母は秋田におりますが、九十二歳の誕生日に電話で話しました。二年前の大病からすっかり元気になり「何時もあなたたちのために祈っている」と言っていました。それを聞いて初めて母が危篤から奇跡的に回復した訳が分かりました。親はいつも子のことを気にかけているのです。
 アブラハムはイサクを愛しました。エジプトの仕え女ハガルとの間にもイシマエルがいましたが、イサクとは比較になりませんでした。ヤコブには十二人の子がいましたが、ヨセフを特別に可愛がりました。年取って生まれた子であり、愛するラケルの子だったからです。母マリアは主イエスをどれ程愛していたか分かりません。
 親と子は血で繋がっているので、その愛には深いものがあります。それに対し、神とわたしたちとは神の霊で繋がっているのです。「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与え」、御自身の子としてくださいました。(第一ヨハネ四章十三節)。神は愛する子たちに国を用意されましたが「だれでも水と霊とによって生まれなければ神の国に入ることはできない」のです(ヨハネ三章五節)。
 弟子たちはイスラエルが「神の国」になると信じていました。具体的には、ローマの頸木から解放され、主イエスが王となり、自分たちもまた主イエスを助けてこの国を支配するということでした。しかし、主イエスはその国に代わって、弟子たちに神の霊を授けることによって神の民をこの世に生まれさせようとしました。そして神は弟子たちを通して様々な国籍、民族から御自身の子たちを招集されようとしました。その人たちはこの世では土地を持たない民であってアブラハムの子孫という血による民族の枠を超えた、新しい民となるものでした。

明治の偉大なキリスト教思想家である内村鑑三は、自らの信仰を顧みて、自分は明治十一年(一八七八年)にキリスト教に回心し、明治十九年(一八八六年)にキリストの十字架において罪の贖いを認め、遂には大正七年(一九一八年)にはキリストの再臨を確信したと言っています。
 神とわたしたちとが親子となるという新しい関係に入ることによって、わたしたちもまた内村鑑三と同じこの信仰の道を辿ることになります。神の霊を受けるまでわたしたちは自己中心で、人生の目的は自分の希望を叶えることでした。しかし、聖霊を受けることによって自分の罪が十字架の故に赦されていること、主イエスは今も生きていること、永遠の命の確かなことを信じることが出来るようになるのです。これらのことは自分の頭では理解できないことでした(第一コリント一二章三節参照)。わたしたちは少しずつですが神中心となり、神の御心の実現こそがわたしたちの生きる目的に変えられるのです。神はそのようなわたしたちを通して世界宣教を遂行され、福音が世界に述べ伝えられた後に主イエスが再臨され、神の国が目に見える形で実現されるのです。わたしたちは今、主イエスの昇天と再臨の「間の時」を生きているのです。
 主イエスの再臨の時こそこの世の完成の時であって、この世のものが全て新しくされます。神の霊を与えられたわたしたちはその時に復活しますが、それは永遠に耐える「新しい体」を伴ったものとなるのです(第一コリント一五章四六節)。

2012年4月15日日曜日

マルコ16章1-8節「あの方はここにはおられない」

第144号

《イースター礼拝》

 主イエスが十字架に付けられたのは朝九時で、息を引き取られたのは午後三時でした。安息日が終わると、マグダラのマリアら三人の婦人たちは香油を用意しました。そして週の初めの日の朝早く、彼女たちは主イエスの遺体に香油を塗るため墓に向かいましたが、墓は大きな石で塞がれ、脇には番兵もいるはずでした。
 ところが彼らが墓に着くと石は取り除かれていました。そして墓の中には一人の若者が座っていました。聖書はその若者を天的な存在として描いています。天使は驚く婦人たちに声をかけられ、主イエスは復活してここにはおられないこと、そしてガリラヤで会えると弟子たちとペトロに告げなさいと言いました。婦人たちはこれらの出来事に震え上がり、正気を失いました。
 弟子たちにとって、主イエスが十字架に付けられたことは大きな挫折でした。「あの方こそ、イスラエルを解放してくださる」と信じていたからです(ルカ二四章二一節)。メシアである主イエスがローマ帝国からイスラエルを救い、自分たちも主イエスと共にその王国を支配するはずでした。そのためには自分の命をも捨てる覚悟でした。しかしエルサレムに入城された主イエスは神の国のために戦おうとはされず、無抵抗のまま十字架に付けられてしまいました。そして墓に入れられ三日が経ちました。それは弟子たちの望みにピリオドが打たれ、完全に過去のものとなったということでした。

主イエスは弟子たちにフィリポ・カイザリア以来、御自身の苦難と十字架、そして三日目の復活を繰り返し教えて来ました(マタイ一六章二一節)。それにも拘らず、弟子たちの内、誰一人それを心に留めてはいませんでした。彼らにとってメシアが死ぬなどということは考えられなかったのです。
 ゲッセマネでは弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げました。イスラエルを神の国にしようとする彼らにとって、選択肢は戦うか逃げるかのどちらかでした。それでもペトロは捕らえられた主イエスの後について大祭司の庭に入り、裁判の成り行きを見守ったのです。ところが、あなたもこの人の仲間だったと言われ、わたしはこの人を知らないと三度も否んでしまいました。主イエスはペトロの方を振り向いて見つめられました。ペトロは外に出て激しく泣きました。
 ペトロは主イエスに従う前、ガリラヤの漁師でした。主イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました(マタイ四章一九節)。その言葉を聞いて仕事を捨てて主イエスに従いました。しかし、その結果はペトロの裏切りで終わりとなりました。主イエスは死に、悔い改める機会は失われたのです。
 主イエスは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言われました(ルカ二三章三四節)。「彼ら」とは、自分を十字架に付けた者であって、弟子たちとペトロ、そしてわたしたちも全て含まれるのです。わたしたちは赦されるために、死んで主イエスの前で裁かれる日を待たなければならないはずでした。それまで自分の冒した罪を悔いながら生きるのです。しかし、空になった墓は、そうではないことを教えました。天使は弟子たちとペトロを復活した主イエスの下に再び招かれたからです。

  主イエスが復活されたのは、十字架の上で「彼らの罪をお赦しください」と叫ばれたその祈りが確かに天の父によって聞き届けられ、主イエス御自身がわたしたちの内にあって共に生きるためでした。復活された主イエスはペトロの裏切りを少しも咎められませんでした。御自分を愛するかと三度、尋ねられただけでした。同じことは、他の弟子たち、そしてわたしたちにも言えるのです。主イエスはわたしたちと共に罪の苦しみ、悲しみを分かち合う存在となられたのです。もはや、わたしたちの罪の責任を問うことはされないのです。わたしたちは自由な身となったのです。
 空の墓はわたしたち自身が罪から救われるために努力する必要はないこと、そしてそれに代わって神がわたしたちの救いのために歴史に介入されたことを教えます。空の墓は無を意味し、神はそこからわたしたちと共に生きる主イエスを復活されました。創世記に「初めに、神は天地を創造された」とありますが(一章一節)、ここで言う「創造」は無からの創造で、主イエスの復活があって初めてわたしたちはそのことが信じられるのです。
 弟子たちの考えた神の国はこの世のことでした。しかし、主イエスの神の国は永遠の命のことです。その御国に入るには、わたしたちが主イエスに香油を塗るといった敬虔な行いとは関係なく、神がわたしたちのためになされたことによります。それは神からの一方的な恵みとして与えられるのです。

2012年3月18日日曜日

フィリピ書2章25-30節「主に結ばれて」

第143号

 
 東日本大震災から一年が経ちました。その日、東京神学大学の卒業式に参列していましたが、突然の激しい揺れに驚き、天上の梁が落ちてくるのではないかと思いました。一〇日後、アメリカから来日したパートナーズ インターナショナルの、ボッブ・サーベッジ氏と仙台、石巻を訪ねました。彼の所属する組織に多くの寄付金が送られて来たからでした。そこでわたしたちが見たのは海岸から内陸に広がる瓦礫の原でした。
 日本で多くの外国人が動画を作り、インターネットで世界に配信しています。今回の災害でも自らの体験を語り、また義援金を送るように呼びかけています。海外からも様々な人たちが祈りや激励の言葉を送って来ています。そこには規律を守り、助け合っている被災者たちに感動し、学びたいと言う声が沢山ありました。今日、人々は国や人種という枠を超えて強く「結ばれて」いることを実感しました。

 フィリピの集会はパウロが獄にいると聞いてエパフロディトを送りました。その目的は贈り物を届けることとパウロの世話をすることでした。当時の獄の状況は厳しく、食事も質量共に貧弱でした。ただ、今日ほどには外部と隔離されていませんでした。しかし、エパフロディトはパウロの世話をすることができませんでした。重い病気にかかったからです。そのことはフィリピの人たちにも伝わり、彼らはエパフロディトの身を案じました。しかし、せっかく遣わしたのにと遺憾に思う人もいたようです。
 パウロはやっとのことで病気が回復したエパフロディトをフィリピに帰すことにしました。当時の福音宣教者の中には自らの働きの報酬として金銭や奉仕を当然の権利として受ける人たちも多くいたのです。パウロはそのような人たちとは一線を画していました。自分の利益のために福音を述べ伝えていると見做されたくなかったのです。パウロは彼をフィリピに返すのが良いと判断したのです。
 パウロはエパフロディトを「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼んでいます。兄弟とは主イエスを信じる者同士です。協力者はフィリピの人たちのように宣教者を物心ともに支える人たちです。戦友とはキリストから与えられた任務を果たすために死ぬような目に遭った人を指します。わたしたちは出来たら戦友と呼ばれる当事者ではなく、傍観者のままでいたいのではないでしょうか。しかし、傍観者のままでいるならその心はいつか冷たくなり、遂には錆びついて動かなくなります。戦友になることによって初めてパウロの喜びや苦しみのいくらかが共有でき、燃え尽きることができるのです。パウロはフィリピの人たちにエパフロディトのような人を「敬いなさい」と言います。何故なら「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」からです。

  日本の古い文化は、命より大切なものがあること、そして人の「和」と「共生」を大切なこととして教えて来ました。例えば武士は自分に誇りを持ち、仕える主人のためには命さえ惜しみませんでした。しかし、このことは戦時中の覇権主義と軍国主義に利用され、天皇のため、お国のために死ぬのが美徳とされ、多くの人の命が奪われました。戦後、民主主義の導入により人の命は何よりも大切なものと考えるようになりました。しかし、この教えもまた近代の競争原理の導入と共に自己中心的な生き方に変質し、社会に大きなひずみが生まれました。
 今回の災害でわたしたちが気がついたことは、自分の命をかけて他の人の命を救った多くの人たちがいたこと、また、人々はこのような試練な中で助けあい、分かちあい、励ましあったことでした。日本の古い文化が今も生きていてそれが社会を支えていることを知らされ、わたしたちの心を打ったのです。それは世界の人々にとっても同じでした。
 新渡戸稲造は著書「武士道」で「私は、封建制と武士道がわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだと気づいた」(ちくま新書、一四頁)と記し、日本の古い文化を旧約の律法とし、この上に新約聖書が読まれなければならない、と書いています。わたしたちキリスト者にとっては、自分の命より大切なもの、それが神であり隣人で、それによってわたしたちの和と共生があるのではないでしょうか。
 帰路についたエパフロディトの懐にはパウロからの書簡が託されていました。獄にいたパウロの愛は変わらずにフィリピの人たちに注がれていました。神はエパフロディトを憐れんで下さいました。主イエスは彼に「パウロにしたことはわたしにしたことである」と言われたのではないでしょうか。パウロとエパフロディトとはお互いの命を捧げることによって「主に結ばれて」いたのです。

2012年2月19日日曜日

フィリピ書2章1-11節「イエス・キリストは主である」

第142号

 
 フィリピの教会の人たちは、パウロの身を案じ、ローマの獄での生活を心配していました。そのためにエパフロディトをパウロのもとに遣わしました。パウロには多くの敵がいました。ユダヤ人指導者であるファリサイ派の人たち、律法学者、大祭司たちは彼の命を狙っていました。十字架につけられた主イエスは死から復活したとパウロが宣べ伝えていたからです。教会内にも彼の敵はいました。その人たちは「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられ」、また「自分の利益を求めて、獄中のわたし(パウロ)を一層苦しめようと言う不純な動機からキリストを告げ知らせて」いたのです。
 しかしパウロにとって本当の敵は、内なる敵でした。パウロはフィリピの人たちに「あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています」と言っています。それはキリストを宣べ伝える福音のための戦いで、それに「ふさわしい生活を送りなさい」と勧めていることでもありました。大切なのは自分のことではなくキリストなのです。パウロは自分の投獄が「かえって福音の前進に役立」ったこと、そして自分がどのような目に会ったとしても「キリストが公然とあがめられるようにと切に願」っていると言います。

フィリピの人たちにとってパウロの投獄は理不尽なことであったに違いありません。なぜ、このような目に遭わなければならないのかと問い、一日も早く自由の身になるように望んでいたことでしょう。しかし、神にはその祈りは通じませんでした。わたしたちは簡単に神のなさることに善悪の判断をつけることは出来ません。
 あらゆる生きものの中で人間だけが善悪を判断します。しかし、その判断はあくまで経験と知識によるものであって、その判断が正しく出来るとは言えません。たとえ神を信じていてもそのことは言えます。モーセの十戒の五つ目の戒めは「人を殺してはならない」ですが、同時に神はモーセにカナンの地の民を滅ぼすよう、特にアマレク人に対しては殲滅するように命じています(出エジプト記一七章、申命記七章参照)。その相反する戒めをわたしたちはどのように理解し実践したらよいのでしょうか。今日においてもイスラエルはパレスチナの人たちと戦っています。しかし、それに反対して平和的な解決を求め、共存の道を探る人たちもいるのです。そのどちらも自分たちが正しいと信じているのです。
 ユダヤ人指導者たちは主イエスを十字架につけました。主イエスは御自身を神としましたが、彼らにとってそれは神への冒涜であって、死罪に当たりました。弟子たちも主イエスを一人残して逃げました。剣で戦うか、逃げるかのどちらかしか選択の余地はなかったのです。弟子たちは主イエスをメシアと告白しましたが、神御自身であるとは知りませんでした。わたしたちもまた家畜小屋で生まれ、十字架で死んだお方が神であるとは信じられません。神は主イエスを死から復活させることによって神の子であることを示されましたが、全ての人にそのことが啓示された訳ではありません。

 主イエスは低くされ、貧しい者、弱い者、病にある者の友となられました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の姿で現れ、へりくだって、死に足るまで、それも十字架の死に至るまで従順」になられました。このことによって無限の神の高さを示されたのです。
 主イエスが御自身を低くされたので天の父は「キリストを高くあげ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。
 主イエスのこの世での生涯を知ってわたしたちもまた低くされます。それはアッシリア、バビロニア、ローマに敗れたイスラエルの捕囚の民と同じにされることであって、神の御前に膝まづき、この世において寄留の民とされることです。
 パウロもかつてキリスト者を迫害していました。ステファノが石打たれる時、そこで人々の上着の番をしたのです。しかし、復活の主イエスに出会った時彼は変えられ、迫害される側に立たされました。主イエスは生きておられると宣べ伝えることによって、人々から鞭や石で打たれ、投獄されました。しかしそれによって福音が前進するのを見たのです。この苦難と喜び、それが主にある戦いでした。目に見える敵との戦いではありませんでした。そしてそれはわたしたちの戦いでもあります。イエス・キリストはわたしたちの主であって、その主のために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。

 

2012年1月15日日曜日

フィリピ書1章1-2節「恵みと平和が」

第141号

 この書簡の著者はパウロに間違いないと言われています。一節にパウロの名が記され、初期の教会指導者や神学者もパウロが著者であることを認めています。文体、言葉遣いもパウロ独特の素朴さ、繊細な感情、率直な感情がほとばしり出ています。書かれた時期は六十一年の後半で、場所はローマの獄だと言われます。パウロの獄中書簡にはこの他にエフェソ、コロサイ、ピレモンがあります。
 パウロがテモテ、シラス、ルカを伴いフィリピを訪れたのは第二次宣教旅行の時でした(使徒言行録一六章参照)。アジア州、ビティニア州に行くことを聖霊によって禁じられたため彼らはトロアスに行きました。すると夜、一人のマケドニア人が幻で現れ、パウロに「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と懇願しました。パウロたちは、それは神の召しであると確信し、ネアポリスを経てフィリピに行きました。そこでリディアという婦人に出会いました。彼女は福音を信じ、家族と一緒に洗礼を受けたのです。フィリポの集会はこのようにして生まれました。パウロがカイザリアからローマに送られたのはそれから十年後でした。フィリピの集会はパウロのところにエパフロディトを遣わしました。彼がフィリポに帰る時この書簡が託されたのです。この書簡はパウロの書簡中最も個人的なものだと言われ、また、「喜びの書簡」とも言われます。「喜び」、「喜ぶ」という言葉が十回以上出て来ます。その喜びとは「神が人となってこの世に来られた」ということに尽きるのです。

 一節、二節はパウロのエフェソの人たちへの挨拶です。パウロの他の書簡には自分はイエス・キリストの「使徒」であることが書かれていますが、ここにはありません。彼らにそのことを言う必要はなかったのでしょう。「使徒」とは生前の主イエスに従い、復活の主イエスに会った人たちのことです。主イエスは復活から四〇日後に彼らの見ている前で天に上げられました。「使徒」という名には、この主イエスを証する特別な役目とそれに伴う権威がありました。パウロは自分をその一人としています(Ⅰコリント一五章八節)。パウロは自分は「キリスト・イエスの僕である」と言います。「僕」に当たるギリシャ語(デュロイ)は「奴隷」です。このことはパウロは自分ではなく、主イエスの意志だけに従っていることを意味します。主イエスがパウロの全ての責任を負って下さるのです。パウロはフィリピの人たちを「聖なる者たち」と呼んでいますが、それはあくまで「キリスト・イエスに結ばれている」ことによるものであって、いわゆる立派な人という意味での「聖人」ではありません。主イエスは十字架でわたしたちの罪を贖ってくださり、それによってわたしたちは神の前に罪なきものとされました。それはあくまで神との契約に基づくもので、わたしたちが神の言葉を信じて「洗礼」を受けることによって成立するものです。従って、人の資質の有無によるものではなく、神の意志に基づくものです。フィリピの集会には「監督」と「奉仕者」がいました。「監督」と「長老」とは同意語で、教会の指導者のことです。「奉仕者」とは「執事」のことで、財政、物資、また様々な奉仕で教会に仕えた人たちです(使徒一章参照)。パウロはフィリピの人たちの「恵み」と「平安」を祈りますが、「恵み」とは回心時における恵み、契約によって「主イエスに結ばれている」ということでもありますが、それ以上に毎日の生活で必要な時に受ける「恵み」のことです。「平安」とは主イエスの十字架による和解ということだけでなく、日々の生活における祈りと感謝を通して得られる神の「平和」です。

  「主イエスに結ばれている」、それは主イエスの霊によって結ばれているということに他なりません。テモテとパウロは主イエスと人々への愛と奉仕で結ばれていました。彼らには青年と壮年という年の違いがありました。それは熱意と経験、衝動と知識、ほのかな希望と静かで豊かな確信の違いでもありました。パウロにとってテモテは自分の子以上の存在でした(Ⅰテモテ一章二節、一八節)。パウロとフィリピの集会もまた「主イエスに結ばれて」いました。フィリピの教会はパウロのために祈り、様々な援助をしました。貧しいエルサレムの教会を助けるために、彼らは自分たちが出来る以上のことをしたのです。そうすることにより彼らはパウロの宣教に関わっていたのです。パウロもそのような彼らを覚え、絶えず祈りました。
 わたしたちもまた「キリストに結ばれている」のです。洗礼を受け、聖餐にあずかり、契約の民とされているからです。「聖なる者たち」で、「神によって選び分かたれた聖でない人々(罪人)」です。契約により、同じ天にある故郷を約束されているのです。そこにわたしたちの過去でない、将来でもない今の「恵みと平和」があるのです。

2011年12月18日日曜日

ヨハネ1章14-18節「その栄光を見た」

第140号

 出エジプト記33章12-23

  「言」はギリシャ語でロゴスです。著者ヨハネは「言」(ロゴス)の概念を用いて、主イエスがどのようなお方であるかを教えます。「言」は耳で聞きますが、頭の中で考えることも「言」です。そして「言」は心で聞くことも出来ます。心の内から聞こえて来る良心の声、そして外から「あなたはどこにいるのか」と問いかけてくる声です。サウルはダマスコに行く途上、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」という主イエスの「言」を聞きました。旧約聖書の預言者もそのような神の「言」を聞きました。わたしたちもまた神の声を聞くことが出来るのです。ヨハネは神の「言」が人となられた、それがイエス・キリストであると言います。
  ヨハネは「神」と「言」を区別しますが、「聖霊」はわたしたちにこの「言」が神であることを証します。それ故、神は「三位一体」なのです。三位一体の概念を説明することは難しいですが、次のように例えることが出来ます。わたしは親に対しては子で、子に対しては親です。そして配偶者に対しては夫です。わたし自身は変わることはないのですが、その置かれた立場によって役割は変わります。同じことは神についても言えます。同じ神が「父」、「子」、「聖霊」の三つの役割を担っているのです。

 ヨハネはこの世は「暗闇」であると言います。何故なら神が人となってこの世に来られたのに、人はそのお方を神と認めることが出来ず、そればかりかそのお方を十字架につけてしまったからです。聖書はわたしたち人間は自分の力で主イエスを神と信じることが出来ないと教えます。律法学者ニコデモは民の指導者であり聖書の教師でしたが主イエスを神と認めることは出来ませんでした。同じことは主イエスの弟子たちや母マリアにも言えます。彼らが変えられたのは復活の主イエスに出会ったからです。主イエスは彼らに十字架の傷跡をお示しになり、手で触れることすらお赦しになりました。また一緒に食事をされました。主イエスは聖書を開いてご自身が確かにメシアであることを教えられ、四十日後に彼らの目の前で天に上げられました。主イエスは彼らを御自身の復活の証人とされました。それ故、彼らは「使徒」と呼ばれるようになりました。わたしたちもまた主イエスとの出会いがあり、「使徒」たちの証を信じることが出来るようにされたのです。
  主イエスはローマ皇帝アウグストゥスの時、マリアの子としてお生まれになりました。そして、ローマ総督ポンティオ・ピラトの下に苦しみを受け十字架につけられました。神である主イエスは歴史の中に入って来られたのです。しかし、主イエスの復活はこのような歴史的出来事とは違います。主イエスは御自身の復活を弟子たちだけに示されたからです。他の人は見ることは出来ませんでした。使徒たちはあくまで見たことの証人であって、主イエスの復活に関わったということではありません。
  信仰の父アブラハムは暗闇の中で、煙を吐く炉と燃える松明がいけにえの動物の間を通り過ぎられるのを見ました。それは神がアブラハムに立てられた「契約」でしたが、アブラハムはあくまで傍観者であって「契約」に関与したという訳ではありませんでした(創世記一五章一七、一八節)。主イエスもまた、神がわたしたちと結ばれた「契約」となられましたが、それは神御自身がなされたのであって、わたしたち人間は傍観者にすぎません。その契約を信じるかどうかがわたしたちに求められています。

 ヨハネは「独り子としての栄光」を見たと言います。偉大なイスラエルの指導者であったモーセは民をエジプトから約束の地に導くその重荷に耐えかねて主に「(あなたは)わたしと共に遣わされる者をお示しになりません」、「お願いです。…どうか今、あなたの道をお示しください」、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と祈りました。その祈りは千五百年後、主イエスにおいて聞き届けられたのです。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われました(ヨハネ一四章六節)。ヨハネの見た「栄光」、「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちて」いました。「恵み」、それは神ご自身の命でわたしたちの罪を贖って下さったということで、わたしたちにとって、もはや審かれることはないということです。「真理」、それは主イエスがかつておられ、今いまし、これからも永久におられるお方であって、わたしたちと共におられるお方(インマヌエル)ということです。
  これらのことはすべて神から出たことです。わたしたちに出来ることはこの神に感謝し、すべての栄光を神に帰するということだけです。

2011年11月20日日曜日

ヨハネ11章38-44節「ラザロ、出て来なさい」

第139号

〈永眠者記念礼拝〉

出エジプト記33章18-23

  三月十一日の東日本大震災と津波により、多くの方が被災され亡くなられました。また、喪失の悲しみの中にある人たちも多くおられます。そのような方々のために祈りたいと思います。
  川越教会では昨年の永眠者記念礼拝以降、天沼武子姉を天に送りました。五月十四日で、八十五才でした。埼玉県に生まれ、川越で成長されました。川越女子高等学校に入学した翌月の五月に父親を脳溢血で亡くされました。六月から川越教会に出席するようになり、すぐに受洗されました。キリスト教を信じるようになったのは、父親の死がきっかけだと思われます、また当時の川越教会の鈴木不二麿牧師との出会いも大きかったようです。
  多くの人は生は死で終わると思っております。あるいは、肉体は滅んでも魂は生き続けると信じている人もいるかもしれません。今日の聖書の箇所は、主イエスを信じること、復活を信じることはどのようなことかをわたしたちに教えています。

 マルタ、マリア、ラザロの三姉弟はベタニヤという村に住んでいました。弟のラザロが病気になりました。マルタとマリアは直ぐに主イエスに遣いを出しました。ところが主イエスが村に着いた時にはラザロは死に、墓に入れられて既に四日が経っていました。マリアは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言って泣きました。二人の姉にとってラザロの死はどれ程の悲しみであったでしょうか。主イエスも涙を流されました。
 主イエスは墓に着くと石を取りのけるように命じられました。マルタが「四日もたっていますから、もうにおいます」と言うと「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われました。
 「神の栄光が見られる」とはどういうことでしょうか。出エジプト記三三章一八節では、モーセは主に「どうか、あなたの栄光をお示しください」と頼んでいます。それに対し主は、あなたはわたしを見ることはできない。わたしを見て、なお、生きることはできない、と答えています。わたしたち人間に神の栄光を見ることは許されていませんでした。
 この世は神によって創られたのであって、神の世界とは異なります。主イエスは神の世界からこの世に遣わされてきたお方です。主イエスは異なる二つの世界の接点となったのです。しかし、わたしたち人間は主イエスを神と認めることはできません。そのため人々は主イエスが御自身を神としたことに躓きました。それは神への冒涜である、と言って十字架につけました。主イエスはその十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と言われ、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。この十字架の出来事こそ「神の栄光」となったのです。
 天の父は御自身の独り子を十字架につけられました。それによってわたしたち人間の罪の身代わりとされたのです。しかし、その時の天の父の気持は、いかばかりであったでしょうか。それは、主イエスのラザロへの気持ちに重なります。そして、それはラザロだけでなく、わたしたちに対する主イエスの気持でもあるのです。ヨハネ三章一六節には「神はその独り子をたまわったほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。主イエスはわたしたちのためにも涙を流されるお方なのです。「神の栄光が見られる」とはこのようなお方が天におられるのを知るということです。

 主イエスの十字架によって、わたしたちの死はこの世の命と永遠の命の接点となりました。十字架を仰ぐとき、主イエスのこの世での働きを覚え、その死の様を思い、今、生きておられることを知ります。人の死の象徴である「墓」もまた、その人のこの世での生を覚え、死の様を思い、永遠の命に想いを馳せるところとなりました。

復活された主イエスを知ること、それは、神の国はもう既にわたしたちのところに到来しているのを知ることです。それによってわたしたちはもう復活に与っているのを知るからです。わたしたちはもう既に新たに生まれ変わっているのです。

主イエスは、「ラザロ、出て来なさい」と言われました。それはわたしたちへの呼びかけでもあります。この世から出て来て、わたしのところに来なさいと言われるのです。主イエスはわたしたちと一緒にこの人生のあらゆる苦しみ、悲しみを天において共にされているのです。そして、わたしたちに永遠の御国に入れられているという喜びを知らされるのです。主イエスの十字架はこのような民を生みました。「この世を旅する共同体」が形成されたのです。それが「教会」です。