2011年6月19日日曜日

使徒2章1-13節「一同は聖霊に満たされて」

第134号

 
 主イエスは過越祭の時に十字架につけられ、三日目に死から甦られました。復活した主イエスは四〇日に亘って弟子たちに御自身を示され、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」と言われ、彼らの見ている前で天に上げられました(使徒一章四、五節)。
 五旬祭の日が来て、弟子たちはエルサレムにある家の二階に集まり鍵を閉めていました。彼らはユダヤ人を恐れていたのです。すると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、炎のような舌が現れ、一人ひとりの上に留まりました。一行は聖霊に満たされ、「霊」が語らせるままに、様々な国の言葉で話しだしました。五旬祭には世界各国からユダヤ人たちがエルサレムに来ていました。彼らはこの出来事に驚いて集まって来ました。そして弟子たちが自分たちの故郷の言葉で神の御業を語っているのを不思議に思ったのです。しかしある者たちは「新しい酒に酔っているのだ」と言いました。
 過越祭はイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトの地を出たのを記念して行うようになりました。エジプトで奴隷だったユダヤ人にとって過越祭は民族の誕生を祝う日でした。荒野に出て行ったイスラエルの民は五〇日後にシナイ山で神から律法を与えられました。それを記念するのが五旬祭で、律法によって生きる信仰の民、イスラエルの誕生を祝う日です。
 キリスト教徒にとって、過越祭は主イエスの甦りを祝う復活祭(イースター)になり、五旬祭は教会の誕生を祝う聖霊降誕日(ペンテコステ)となりました。

 主イエスとニコデモの対話に見られるように誰でも霊によって新しく生まれなければ神の国に入ることは出来ません(ヨハネ三章参照)。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって」と書いてあるとおりです(Ⅰコリント五章一七節)。
 聖霊だけがわたしたちに命を与えます。神は土でアダムを形づくり、「命の息を吹き入れられ」ました(創世記二章七節)。同じように主イエスもまた弟子たちに御自身の息を吹きかけられ「聖霊を受けなさい」と言われました(ヨハネ二〇章二二節)。それによって初めてわたしたちは命を得ることが出来るのです。主イエスと同じように復活し、御国に入ることが許されるのです。
 教会の誕生は主イエスの誕生と比べられます。主イエスの母マリアはまだ結婚する前に天使ガブリエルから、聖霊によって男の子が生まれる、と告げられました(ルカ一章三五節参照)。弟子たちも主イエスに、あなたがたは間もなく聖霊を受ける、と言われました(使徒一章五節参照)。いずれも神の約束の成就であって、わたしたちの努力や信仰の結果ではなく、神御自身が働かれたのです。

 聖霊を与えられる前の弟子たちのように、わたしたちもまた、心の扉に鍵をかけ、自分の殻に閉じこもっているのではないでしょうか。わたしたちは自我という生まれつき頑固で固い石の心を持っています。自分で自分の石の心を砕くことが出来ません。
 そのような中にあって弟子たちは、主イエスの約束されたものが与えられるようにと、皆「心を合わせて熱心に祈って」いました(使徒一章一四節)。そして、聖霊を与えられることによって初めて彼らは変えられたのです。同じことがわたしたちにも言えます。教会が本来の教会となるためには先ず、聖霊に満たされるよう祈ることから始めなければならないのではないでしょうか。
 聖霊によらなければだれも「イエスは主である」とは言えません(Ⅰコリント一二章三節)。聖霊が与えられて、初めて主イエスがどのようなお方であるかを知るようになります。そして、御言葉がそのまま素直に心に入って来るようになります。神の国の民の一員にされるからです。それまで外国語で書かれているようであった聖書が自分の国の言葉として書かれているのを知るようになるのです。同じように、御言葉を聞く人たちも自分の国の言葉として理解するようになります。そこにはもはや人種や民族の違いはありません。
 「一同は聖霊に満たされて」、初めて教会に人が集まって来ました。同じことがわたしたちにも言えるのではないでしょうか。教会の使命は御言葉を述べ伝えることにあります。それは「あなたがたは行って、全ての民をわたしの弟子にしなさい」という、今年の教会標語でもあります。

 

2011年5月15日日曜日

出エジプト記3章1-10節「今、行きなさい」

第133号

 
 創世記は天地の創造で始まり、エジプトに下ったヤコブとヨセフの死で終わっています。出エジプト記はモーセの誕生から幕屋の完成までが記されています。創世記と出エジプト記の間にはおよそ三百年の時間の隔たりがあります。通常でしたら、七〇人に満たないヤコブの一家はそのような長い年月の間に、エジプト人に同化してしまったのではないでしょうか。しかしそのようにはなりませんでした。その理由として幾つか考えられます。先ず、人種の違いです。ユダヤ人はセム系で、エジプト人はハム系でした。次に、住んでいる場所も別でした。イスラエルの人たちはゴシエンの地に寄留していました。彼らは羊を飼っていましたが、それはエジプト人にとっては忌むべき仕事でした。イスラエルの人たちは彼らの先祖であるアブラハムに与えられた神の約束を信じていました(創世記一二:一~三)。ヨセフは死を目前にし、神は必ずイスラエルの民をエジプトからカナンの地に連れ戻して下さること、そしてその時には自分の骨を持ちだし先祖の墓に入れるようにと言い遺しました。従ってその間、ヨセフの棺はエジプトでイスラエルの民と共にあったのです。そのようなことを母親から子へと語り継がれていきました。

 ヤコブがエジプトに下った時代が去り、ファラオが新しい王朝に代わると彼らは奴隷とされました。彼らは厳しい使役に就かされピトムやラムセスなどの町の建設に駆り出されました。この過酷な労働の中でイスラエルの人たちは増え続け、三百万人を数えるまでになりました。ファラオは彼らに脅威を抱き、生まれて来る男の子を殺すように命じました。まさしくイスラエルの民の滅亡の危機でした。
 モーセが生まれたのはそのような時でした。母親は三カ月まで隠し育てましたが、遂に隠し通せなくなり、籠を作り、その子を入れてナイル川の葦の中に置きました。ファラオの娘がその籠を見つけ、中で泣いている子を自分の子として育てました。
 モーセは成人になると、自分の民の置かれた現実に心を痛めるようになりました。そして、何不自由のない王宮での生活を捨てて、同胞のために生きる決心をしました。しかし、イスラエルの民は彼に従いませんでした。ファラオへの反逆者となった彼は遠くミディアンの地に逃れました。そこで祭司エトロの家に入って、彼の羊を飼うことになりました。そして、エトロの娘と結婚し、二人の子をもうけました。
 羊飼いは通常五〇匹から一〇〇匹の羊を養いながら旅を続けます。どこに行くかを決め、危険が及べば自分一人で対応しなければなりません。また、羊飼いには自分の羊への愛情と忍耐が何よりも必要でした。
 遠いミディアンの地で羊を飼っていてもエジプトの情報は入って来ました。そこにいる同胞の悲惨な生活を耳にするたびにモーセは心を痛めました。しかし、彼は既に人生の敗北者でした。エジプトの王ファラオの家族の一員として必要な学問は全て身につけていたにもかかわらず、少しもそれを生かせずにいました。そして四〇年の歳月が流れたのです。しかし、これもまた神の御計画でした。このような生活が、その後の彼の歩みにとって宮廷での学びと同じように、いやそれ以上に、役に立ったのです。

 モーセは羊を飼いながらホレブの山に来ました。その時、柴が燃えているのが目に入りました。柴はいつまでも燃え尽きません。不思議に思って近づくと、「モーセ、モーセ」と呼ぶ声がありました。これがモーセにとって神との出会いでした。神はこのようにモーセに御自身を顕現され、「今、行きなさい。わたしがあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と言われました。
 「今」、まさしくそれは神の時でした。イスラエルの民の新たな出発の時でもあったのです。昔、カナンに飢饉が襲った時は、ヤコブの家族の生存の危機でしたが、同時に、エジプトに下る時でもありました。「行きなさい」、それはモーセに決断を促す言葉でした。モーセの目を御自分に向かせると同時に、イスラエルの民にも向かせたのです。モーセにとってイスラエルの民のために立ちあがるには、乗り越えなければならない壁は余りにも高かったのです。かつて彼らはモーセを自分たちの指導者にすることを拒否しました。ファラオも彼を殺そうとしました。そして今、モーセには妻と二人の息子がいる上、義父エトロを養っているのです。しかも、モーセは既に八〇歳でした。神はこのようなモーセの全てを御存じの上で、「今、行きなさい」とエジプトに行くことを命じられたのです。
 「今、行きなさい」、この御言葉はモーセだけにではなく、わたしたちキリスト者にも向けられているのです。この言葉を聞くことなしに、主イエスに従うことは出来ません。

2011年4月17日日曜日

創世記47章1-12節「わたしの生涯の年月」

第132号

 ファラオとヤコブとの会見は短い時間ながら印象的な場面となっています。ファラオはエジプトの王でしたが、ヤコブは一介の族長にすぎませんでした。普通であればこのような会見は実現しなかったことでしょう。全てはヨセフの力によるものでした。ファラオはヨセフに惜しみない好意を示しています。「エジプトの国のことはお前に任せてある」と言い、「最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシエンの地に住まわせるのもよかろう。もし一族の中に有能な者がいるなら、私の家畜の監督をさせるがよい」とまで言っています。ファラオはヨセフの父にも親しみを見せます。

 会見でファラオはヤコブに「あなたは何歳におなりですか」と聞いています。どこの国でも長生きは神の祝福です。特にエジプトではそのように考えられていました。また、人は生き様が年齢と共に外面に表れて来るものです。ファラオは立っているヤコブの風貌に強い印象を受けたと思われます。
 ヤコブはその問いに対し「わたしの旅路の年月は一三〇年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみは多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」と答えました。
 祖父アブラハムの生涯は一七五歳、父イサクは一八〇歳でした。神はアブラハムに三つの約束をしました。子孫と土地を与えること、全ての人の祝福の源になるということでした。族長たちはその約束に生きたのです。
 ヤコブも同じでした。彼は若い時、兄エサウから長子の権と父の祝福を奪い、父の財産を自分のものとしました。しかし、それによって兄の怒りを買い、ハランの地に逃れなければなりませんでした。父の家を出た時、持っていたのは杖一本だけでした。ハランでは伯父ラバンのもとに身を寄せ、そこで結婚し、二〇年の歳月を送りました。その間、ヤコブは狡猾な方法を用いてラバンの家畜の多くを自分のものとしました。ラバンはヤコブを欺きましたがそれ以上にヤコブもまた伯父を欺いたのです。しかし、郷里のカナンに戻る時、兄に財産や家族だけでなく、自分の命すら差し出しました。エサウはそれらを受け取りませんでした。長い別離の年月が兄を変え、弟に対する怒りは収まっていたのです。
 ヤコブは四人の妻を持ちましたが、ラケルだけを愛しました。しかしその妻をベニヤミンが生まれる時に失いました。また息子たちの内、ラケルが生んだヨセフだけを偏愛しましたが、その息子を失いました。兄たちが、父が弟ヨセフだけを溺愛するのを妬んだためでした。
 ヤコブは富と愛に執着して生きて来ました。しかし、結局その全てを失ったのです。神の約束がこの世で成就すると信じていたが故に、ヤコブ自身が告白するように「わたしの生涯の年月」は短かったのです。ヤコブほど苦しみ、悲しんだ人は多くないのではないでしょうか。
 ヨセフがいなくなってから二〇年の歳月が流れ、ヤコブは息子たちからヨセフが生きていることを告げられました。それを信じた時、彼の魂は生き返りました。心の目が開かれたのです。ヨセフを生かし、エジプトに遣わし、宰相としたのは神御自身だったのです。飢饉に苦しんでいたヤコブの一族をエジプトに導き、そこで大いなる民とし、カナンの地に再び戻される、それが神の御計画でした(創世記四七章三、四節)。神はそのためにヤコブの欠点や息子たちの罪をも用いられたのです。それらの一つ一つが細い一本の綱で結ばれて事が運ばれていきました。ペヌエルやヤボクの渡しでヤコブに顕現された神は真実なお方でした。族長たちは神からの約束を受け、信じて待ち続けるのですが、すぐに実現しないことが分かるにつれ悲しみ苦しむようになるのです。しかし、成就されるのは神ご自身です。そして、この世ではなく永遠の命に生きることが大切であることを知るようになるのです。

 この会見でヤコブはファラオを二度祝福しています。共同訳聖書では「祝福の言葉を述べた」と言い、「別れの挨拶」をしたとあります。いずれも「祝福した」と同じ意味です。英語の聖書には「ヤコブはファラオを祝福した」と簡潔に訳されています(NIV)。ファラオは高齢であるヤコブの祝福を喜んで受けたことでしょう。しかし、祝福は持っている者が持っていない者に対してするのです。ファラオはエジプトの王であり、エジプトの神々を代表していました。それに対し、ヤコブは寄留者にすぎませんでした。本来であればファラオがヤコブを祝福するのです。しかし、この世で何も持たない者が永遠の命を持つのです。この世に執着する者は永遠の命を持たないのです。聖書はこのことをわたしたちに教えています。
 ヤコブはファラオを祝福しました。神の聖なる民を代表してエジプトの王ファラオに神の加護があることを祈ったのです。

2011年2月20日日曜日

ヨハネ4章7-26節「わたしが与える水」

第130号

 主イエスの時代、カナンの地はユダヤ、サマリア、ガリラヤの三つの行政区に分かれていました。主イエスはガリラヤのナザレで育ち、三十歳の公生涯の始まりと同時にカファルナウムを伝道の本拠地にされました。サマリアはかつてのイスラエル、つまり北王国で、七二二年にアッシリアに滅ぼされました。その時、多くの異民族が入植者として入って来ました。彼らはモーセの五書だけを信じ、紀元前四三二年にはエルサレムの神殿に対抗してゲリジム山に自分たちの神殿を造りました。ユダヤはかつての南王国ユダでした。ユダもまた五八七年にバビロニアによって滅ぼされました。
 しかしながらユダヤとサマリアは、以前は兄弟であったにも関わらず親しく交わることはありませんでした。

 主イエスはユダヤからガリラヤに行こうとされました。ヨルダン川はガラテヤ湖から死海に注いでいますが、その長さは蛇行しているため三百キロぐらいあります。直線にすると百キロと少々です。この川と地中海の間にサマリアの町シカルがありました。ゲリジム山の北側斜面にあり、町はずれには彼らの族長ヤコブが掘った井戸がありました。
 主イエスは「旅に疲れ」井戸のそばに座られました。その時、女が井戸に水を汲みに来ました。弟子たちは食事を買いに行っていました。普通、女たちは朝一番に水を汲むのですが、このような昼下がりに来たのは他の女たちと顔を合わせたくなかったからでしょう。
 その女に主イエスは「水を飲ませてください」と声をかけられました。女は驚き「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言いました。すると主イエスは「もしあなたが、神の賜物を知っており、また『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことだろう」と言われました。
 女はこの男が誰であるかを知りませんでしたし、神御自身であるとは考えてもみませんでした。女は「あなたはわたしたちの父、ヤコブよりも偉いのですか」と尋ねました。ヤコブはその時代より千七百年ぐらい前の人です。それ以来この井戸は人々や家畜に水を与え続けて来ました。そのヤコブとあなたとでは比較出来ない、というのです。主イエスは「この水を飲む者は、だれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して乾かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水がわき出る」と答えられました。そして、この女の罪を言い当てることにより、御自身が誰であるかを示されました。それは神しか出来ないことで、女にとって確かな「しるし」となったのです。

わたしたちは、井戸のそばで疲れて座っているお方が神であると分かれば直ぐに駆けつけ、いくらでも水を汲んで差し上げたことでしょう。しかし、主イエスの方からわたしたちに御自身を啓示されない限り、このことはわたしたちの目に隠されているのです。神が人となられ、しかも旅に疲れ、のどを渇かせ、「水を飲ませてください」と言われるということは信じられないことです。神であるなら自分でその必要を満たすことが出来るはずです。神はあくまでわたしたちの必要を満たしてくださる存在なのです。
 それではなぜ主イエスは貧しく弱くなってわたしたちのところに来られたのでしょうか。家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされ、またヨセフが死んだ後、残された家族を支えるために大工となられ生活の苦労をされました。公生涯に入られてからは枕する家もありませんでした。そしてその最後は弟子たちにさえ裏切られ十字架に付けられました。このような主イエスの御生涯で、この方が神であると認めるのは困難です。
 わたしたちは神の愛、強さ、偉大さの中に主イエスを見い出そうとします。そのような神を信じることにより、自分もまた少しは今よりましな者になろうと思うのです。何かより大きなことをして、世の中に貢献できたらと思うのです。しかし、主イエスがわたしたちに求めているのはそのような人生ではありません。
 主イエスは「あなた方の最も小さい者に水を与えるならそれはわたしに与えるのである」と言われました(参照、マタイ二五:三一~四六)。そして、主イエスは亡くなる前、十字架の上で「乾く」と言われました。それは「わたしに水を飲ませてください」という意味です。主イエスがわたしたちに求めているのは、わたしたちの周りにいる最も小さなものに仕えなさいと言うことです。それによって彼らの中に主イエスを見ることが出来るようになるのです。そして、主イエスが言われる「わたしの与える水」がわたしにも注がれているのが分かるのです。

2011年1月16日日曜日

黙示録21章9-21節「都は神の栄光に輝いていた」

第129号

 ヨハネは二度に亘って「聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見た」と言っています。一度目は地上の平地で見ていたと思われますが、二度目は高い山から見たのです。この光景は主がモーセをピスガの頂に導き、カナンの地を全て見渡されるようにされた出来事と重なります。そこで主はモーセにこのように言われています。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」(申命記三四:四)。
 今日でも、オリブ山から見るエルサレムの全景は美しいものです。町のほぼ中央に岩のドームがあります。ドームは金伯で覆われ、周りの家々はこの地で産出される少し赤みをおびた石で造られています。夕日を浴びると町全体が黄金色に輝くのです。
 ヨハネが見た聖なる都エルサレムの大きさは正方形で、人間の物差しで一辺が一万二千スタディオンでした。十二はユダヤでは完全数で、その千倍です。一スタディオンは一八五メートルなので二千二百キロメートルになります。エルサレムからバビロンまで約八百キロ、ローマまでは千五百キロです。日本ですと北は北海道から南は沖縄まで、そして西は中国の北京までとなります。平面だけでなく高さも同じだけあるのです。新しい都エルサレムはわたしたちが考えるよりずつと大きいのです。そしてこの都の大通りは、透き通ったガラスのような純金でした。
 この聖なる都エルサレムが天から下って来るのを見た時、ヨハネは玉座から語りかける大きな声を聞きました。「見よ、神の幕屋が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録二一:三、四)。
 幕屋はモーセがシナイ山で示されたものの型です。幕屋の内側は金で覆われ、ローソクがその明かりでした。至聖所の大きさは一辺が一〇アンマの正方形でした。一アンマは〇.四五メートルですから、四.五メートルとなります。至聖所には契約の箱があり、その上にはケルビムが置かれていました。ケルビムは神の臨在の象徴でした。
 この至聖所の一辺の長さを約五〇万倍したのが聖なる都エルサレムで、主イエスがこの都を照らす明かりです。

 天使はヨハネに「ここに来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう」と言って聖なる都エルサレムが天から下って来るのを見せました。小羊とは主イエスのことで、花嫁は聖なる都エルサレムのことです。加藤常昭先生は著書「ヨハネの黙示録」でこの都は「明らかに将来のキリスト教会の姿です」と言っています(日本キリスト教団出版局、一一三頁)。礼拝という観点から見るならこの都は確かに「教会」だと思うのです。この教会は神の栄光に輝いていました。この世にある時、教会はこのように輝いていませんでした。それは生前の主イエスと同じです。主イエスが神の栄光で輝いていたのなら人々は十字架につけるようなことはしなかったでしょう。主イエスが神の子であることは隠されていたのです。同じように教会もその栄光はこの世では人々の前に隠されています。しかし、聖なる都エルサレムとして現れる時、その隠されていた栄光はこのように輝き出るのではないでしょうか。同じことはわたしたちにも言えます。わたしたちも死んで滅んだ後、聖なる都エルサレムの住民にふさわしい栄光の姿となって復活するのです。
 この聖なる都エルサレムを囲む城壁の高さは一四四ぺキスで、完全数十二の十二倍です。ぺキスはアンマと同じ〇、四五メートルですから、六五メートルです。非常に高い城壁ですが、この都の大きさと比べると線にすぎなくなります。

  ヨハネが見た聖なる都は神の栄光に輝いていました。その輝きは主イエスの輝きです。主イエスは十字架につけられる前、このように祈られました。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせて下さい。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」。
 主イエスの国はこの世には属していません。「もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったであろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」と言われています(ヨハネ一八:三六)。
 わたしたちを罪から清めこの聖なる都エルサレムの住民にすることこそ、天の父が御子イエスをこの世に遣わされたことです。わたしたちは主イエスと共にこの新しい天と新しい地に永遠に住むことになるのです。

2010年12月19日日曜日

ヨハネ1章19-28節「あの預言者」

第128号

申命記18章15節~22節

 預言者モーセはイスラエルの民に「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わなければならない」と言いました。それ以降、イスラエルの民にとって「あの預言者」と言えばモーセのこの約束を指すようになりました。
 神はモーセをエジプトに遣わし、そこで奴隷となっていたイスラエルの民を救われました。エジプトの王ファラオはモーセの声に従いませんでしたが、神はモーセを通して様々なしるしを行った末、エジプト中の初子を撃ち、それによってイスラエルの民は、遂にエジプトから出て行くことができたのです。
 自由の民となったイスラエルは一ヶ月後にシナイ山に着き、そこで神から十戒を授かりました。律法は神の民にふさわしい倫理基準です。そして、それを守ることによりアブラハムに約束されたカナンの地で繁栄し、全国民の模範の民となることができたのです。しかし、律法を守らないなら彼らは滅びなければなりませんでした。
 しかし、その後のイスラエルの歴史は、指導者も民も律法を守ることができませんでした。結局、北王国(イスラエル)はアッシリアに、南王国(ユダ)も五八七年にバビロニアに滅ぼされました。それ以来、イスラエルは自分の国を持つことはできませんでした。
 このように、モーセから律法の時代が始まりました。イスラエルの民に与えられた律法はその前の時代と後とを明確に分けたからです。モーセは神と民の仲介者となり、それまでは自分の良心に従って歩むほかなかった民に、何が神の前に良いのか悪いのかを明らかにし、それによって神の救いと裁きとを指し示しました。

 モーセからおおよそ六百年の歳月が経ち、洗礼者ヨハネがイスラエルの前に現れました。荒野から出て来たヨハネはラクダの毛衣を着、イナゴと野蜜を食物としていました。ヨハネはイスラエルの民にアブラハムの子であることは救いとは何の関係もないとしました。そして、罪からの悔い改めの洗礼を授け始めると、祭司やレビ人たちは「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねました。それに対し、ヨハネは「そうではない」と明確に答え、「あの預言者」は、わたしの後に来られると言いました。
 ヨハネは「わたしは、その履物をお脱がせする値打もない。そのお方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と言われました。そして、罪の赦しの洗礼を人々に授けたのです。貧しい人、罪人、虐げられている人がヨハネのところにやって来て洗礼を受けました。
 主イエスもまたヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、伝道の生涯に入られました。公生涯に入られた主イエスも質素で、上着と下着だけが所持品の全てでした。夜、寝る家もなかったのです。
 主イエスは、律法に捉われず、厳格な食事や安息日の規定から自由に生きられました。神は霊だから礼拝する場所は神殿だけでなく、どこでもいいこと、そして、人は律法を守ることによっては救われないと教えられました。

 民の指導者たちは主イエスを十字架に付けました。彼らは主イエスの教えを否みました。彼らは指導者として地位と名誉を守ろうとし、アブラハムの子孫として救いはあくまでユダヤ人だけのものとしたかったのです。しかし、バビロニアに滅ぼされたイスラエルの歴史と主イエスの十字架の出来事は、わたしたちに律法を守ることによっては決して救われることはないことを教えます。
 十字架に付けられた主イエスは三日目に甦られました。それによって御自身がまことの神であることをお示しになられました。御自身は罪を犯されず、わたしたちの罪の身代わりとなってその血を流され、わたしたちの贖罪の小羊となられたのです。復活の事実と主イエスが約束された聖霊が人々に与えられることによって福音は世界に広がり、恵みの時代が始まったのです。行いによってではなく、主イエスを神の子と信じる者が救われるのです。
 モーセによって律法が支配する時代がイスラエルで始まったように、主イエスを信じる信仰によって救われる新しい時代が世界に始まりました。モーセは神の人でした。しかし、主イエスは神の子です。モーセが「わたしのような預言者」とはそのような意味でした。わたしたちにこのような主イエスが与えられているにも拘らず、自分の良い行いによって救われようとするなら、モーセの律法の時代に生きているのと変わらなくなってしまいます。
 主イエスはベツレヘムの家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされました。わたしたちの心に主イエスの宿るところがないなら、もっと低い心の人に宿られるのではないでしょうか。

2010年10月17日日曜日

創世記26章23-25節「わが僕アブラハムのゆえに」

第126号

 
 「イサクは更に、そこからベエル・シェバに上」りました。母のサラは亡くなって既に久しく、父アブラハムもまた地上の人ではありませんでした。神はアブラハムを祝福されましたが、イサクも祝福され、彼は「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つように」なっていました。
 ベエル・シェバ、それはイサクにとって忘れられない所でした。神はそこに滞在していたアブラハムに、モリアの地に行って独り子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげるように求められた所だったからです。モリアの地とは後のエルサレムでソロモン王が神殿を建て、主イエスが十字架に付けられた所でした。

 アブラハムにとってイサクは特別な存在でした。神から約束された子で、百歳になってから与えられた子でした。その名は「笑い」で、子のなかったサラとの間に笑いの源となったのです。二人はイサクの乳離れの日に盛大な宴会を開きました。また、二人はイシマエルを家から出しました。サラにとってエジプトの女ハガルの子は、自分の子とアブラハムの財産を分け合う相手ではありませんでした。これほどまでにイサクを愛していたにもかかわらず、父アブラハムは神の言葉を聞くと、躊躇せずイサクを連れて出立したのです。
 不思議なことにアブラハムは理不尽な要求をした神に反抗したり、苦しんだり、取り乱したりしたようには思えないのです。アブラハムはイサクを与えてくださったのは神であることを知っていました。目に入れても痛くないほど愛していてもイサクは神のものでした。神は自分を愛しているが故にイサクを与えてくれたのであって、その愛をないがしろにはできませんでした。しかし、それ以上にアブラハムは「神が人を死者の中から生き返らせることもお出来になる」ことを信じていたのです(ヘブライ一一:一九)。
 イサクは父が小羊を連れていないのが不思議でした。父はこれまでにも祭壇を築き、小羊をささげていたからです。イサクが「小羊はどこにいるのですか」と尋ねるとアブラハムは「神が備えてくださる」と答えました。人を死から贖うことのできるお方を信じていたのです。
 モリアの地に着くとアブラハムはためらうことなくイサクを屠ろうとしました。それまで優しかった父親が刃物で自分を殺そうとしたのです。その時のイサクの気持ちはどうだったでしょうか。逃げる、暴れる、泣くといったことはしなかったように思われます。小羊のようにされるままだったのでしょう。イサクがべエル・シエバに上るということは、その時のことを思い起こすことでした。
 その夜、主がイサクに現れました。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である」。イサクはあの時、自分を屠ろうとしたのは父ではなく、神であったことをよく知っていました。神は身代わりの雄羊を用意されていたのです。そして神は「恐れてはならない」と言われました。神は人の生き死にを決めることのできる権威あるお方でした。そのお方が「わたしはあなたと共にいる」と言われたのです。イサクはその言葉にどれ程勇気づけられたか知れません。主はイサクに父アブラハムと同じ約束を与え「わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす」と言われました。父の信仰が子に継承されたのです。

 わたしたちは神が存在することを信じることはできても、神が御自身を顕現されない限りどのようなお方であるかを知ることはできません。神はこれらの約束をイサクに与え「わが僕アブラハムのゆえに」と言われました。約束、そして愛も同じですが、それらは関係性によって初めて成り立ちます。神はアブラハムを愛し、イサクを与えました。その神にアブラハムはイサクをささげました。神はそのアブラハムに応えて御自身の独り子をわたしたちに与えられたのです。そのお方こそ主イエスでした。
 父アブラハムが祭壇を築いたように、イサクもまた祭壇を築きました。イサクは父アブラハムの神を信じ「その御名を呼んで礼拝した」のです。それによってイサクもまた「更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」のを知るのです。
 祭壇を築くこととわたしたちの礼拝とは同じです。イサクはそこに天幕を張り、留まりました。わたしたちも教会にしばし留まり御名を呼ぶのです。イサクの僕たちは井戸を掘りましたが、わたしたちもまたそこから命の水を飲むのです。
 アブラハムもイサクもわたしたちと同じように主イエスを見ていたのです(ヨハネ八:五六)。それはこれから来るお方として見るか、既に来られたお方として見るかの違いです。神は「わが僕アブラハムのゆえに」わたしたちを愛して十字架という祭壇に独り子をささげました。そのことを知って、わたしたちもまたこの神の愛に応えるのです。