人は愛した人、愛された人をいつまでも覚えているようです。そのような学校の先生、友達のことは忘れません。また、特に初恋の人は忘れられないでしょう。そして思い出すたびに心が熱くなり、心が豊かになっていきます。しかし、今日の社会の大きな問題は、愛されたことのない人が人の子の親になるということです。そこに幼児「虐待」の現実があります。精神科医の斉藤学先生は幼児虐待には四つの型があるといいます。たたく、落とす、傷つけるといった身体的虐待、言葉や仕打ちによる心理的、精神的虐待、これは外的なものより深い傷を心に残すといわれます。それから性的虐待、そして義務、責任の放棄による虐待です。児童相談所への訴えは年間一万件を越え、実数はその数倍に上るといわれます。職員や専門知識を持った人が足りないため多くの場合、適切な対応が取られないまま放置されているようです。親に愛されなかった人は自分の子の愛し方が分かりません。人から愛されたことのない人は人をどのように愛したらよいのかが分からないのです。
わたしがアメリカの大学に留学していた時、中国から来た王常明という方がいました。北京の近くの出身でしたが、第二次大戦後、共産党に追われ、国民党と共に台湾に逃れて来たキリスト者でした。台湾で弁護士になるための勉学の最中、牧師となる召命を受けました。そして牧師になりアメリカに留学して来たのです。既に結婚し、二人の子供がいましたが、留学中は親しくさせていただきました。しかし、卒業と同時に彼はアメリカに留まり二十数年の歳月が流れました。その彼が、わたしが牧師になったと聞いて日本にやって来ました。そして彼の口から出た言葉はわたしを驚かせました。毎朝、一日も欠かさずわたしが伝道者となるように祈っていたのです。その祈りが答えられたというのです。中国人でしかもこのように遠く離れていても祈り続けることができたのは主イエスの祈りを祈りとしてきたからに他なりません。
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