2012年8月19日日曜日

使徒7章17-29節「約束の実現する時」

第148号

 
 この個所はステファノの最高法院での弁明です。族長ヨセフからモーセに話を移し、歴史を通して働く神の支配を説いています。それはわたしたちへの神の救いのご計画です。
 ヨセフの父ヤコブは、家族七五人を連れてカナンの地からエジプトに移住しました。それから四〇〇年経ち、イスラエルの民は二百万から三百万に増えていました。その間、イスラエルの民は自由の身ではなくエジプト人の奴隷となっていたのです。
 アブラハムへの約束を実現する時が来たため、神はモーセをエジプトに遣わし、奴隷から解放しようとしました。しかし、民はモーセを受け入れませんでした。そのことをステファノは神が独り子、主イエスをこの世に遣わしたのに従わなかった民に重ねています(使徒七章五一、五二節)。民はいつも神に、そして預言者に従わないのです。わたしたちにも同じことが言えます。主イエスを受け入れないなら、モーセを受け入れなかった民と同じなのです

ヤコブの家族が住むようになった地はゴーシェンでした。そこはメソポタミヤにつながるカナンの地への通商路の入口にあり、敵が最初に侵入するエジプトの要所でした。エジプトを救った宰相ヨセフのことを知らない王が支配するようになると、増え続けるヘブル人が侵入して来る敵方に付き、自分たちを支配するようになるのではないかと恐れました。そのためピトムやラムセスの町造りに従事させ、重労働を課しました。それにも拘わらずイスラエル人が増え続けると、ファラオは助産婦に命じ、生まれて来る男の子を全て殺すように命じました。しかし彼女たちはファラオより神を恐れ、丈夫なイスラエルの妊婦は自分たちが着く前に生んでしまうと言い訳をしました。遂にファラオは全国民に命じ、男の赤子は皆ナイル川に放り込むように命じました。
 そのような時にモーセは生まれたのです。両親は三カ月間、隠しておきましたが、隠し通せなくなると籠を作りその中に入れてナイル河畔の葦の茂みに置きました。ファラオの娘がその場所に沐浴に来ることを知っていたのです。ファラオの娘は泣いている赤子を見つけ、かわいそうに思い自分の子として育てることにしました。モーセはファラオの家族の一人となり、将来の王にふさわしい教育を受けたのです。
 モーセは四○歳になると、このまま王家の一員として一生を送るか、奴隷となっている同胞を助けるために命を掛けるか思い悩むようになりました。ある日、エジプト人がヘブル人を打っている場に遭遇し、そのエジプト人を打ち殺しました。次の日、モーセはヘブル人同士が争っているのを見て仲裁に入ると、男は「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」とモーセを突き飛ばしました。それを聞いて彼はミディアンの地に逃げました。自分のしたことがファラオにも知られると思ったからです。そして、その地で結婚し二児の父となって義理の父の羊を飼う者になりました。

 ヘブライ書は、モーセは人としてイスラエルの民に忠実であったが、主イエスは御子として天の父に忠実であった、と言います(三章二節)。モーセ以来、イスラエルには彼以上の預言者は現われませんでした。モーセは顔と顔を合わせて神を見、その言葉を聞いて民に伝えたのです(申命記三四章一〇節以下)。
 モーセと主イエスとの間には幾つかの共通点があります。主イエスも生まれてすぐ命の危機に遭いました。ヘロデ大王が主イエスが生まれたベツレヘムとその近郊の二歳以下の男の子の殺害を命じたからです。赤子の主イエスは飼い葉桶に寝かされましたが、マリアとヨセフの目が注がれていました。モーセの両親の目もまた籠の中の幼子に注がれていました。神の目が無防備な赤子に注がれていたということです。モーセが民から排斥され遠いミディアンの地に逃げたように、主イエスも民に捨てられ十字架に付けられました。モーセは四〇年後、神によって再びエジプトに遣わされ、ご自身が何者であるかをイスラエルの民に示し、エジプトから彼らを解放しました。主イエスも三日目に復活し、御自身が神であることを弟子たちに示され、御自身を信じる者を救われました。
 神の民はエジプトにいたのでは神を礼拝できません。神を礼拝するためにそこから出て行かなければなりませんでした。わたしたちも同じで、この世だけに目を向けていたのでは神を礼拝できません。主イエスは罪の奴隷であったわたしたちをこの世から救われ、神の民とするのです。そして、モーセが四〇年後再びエジプトに戻って来たように、主イエスも再び戻って来られ、ご自身が神であることを全ての国民の目に明らかにされ、信じる者を御国の民とされるのです。