第148号
ヨセフの父ヤコブは、家族七五人を連れてカナンの地からエジプトに移住しました。それから四〇〇年経ち、イスラエルの民は二百万から三百万に増えていました。その間、イスラエルの民は自由の身ではなくエジプト人の奴隷となっていたのです。
アブラハムへの約束を実現する時が来たため、神はモーセをエジプトに遣わし、奴隷から解放しようとしました。しかし、民はモーセを受け入れませんでした。そのことをステファノは神が独り子、主イエスをこの世に遣わしたのに従わなかった民に重ねています(使徒七章五一、五二節)。民はいつも神に、そして預言者に従わないのです。わたしたちにも同じことが言えます。主イエスを受け入れないなら、モーセを受け入れなかった民と同じなのです。
ヤコブの家族が住むようになった地はゴーシェンでした。そこはメソポタミヤにつながるカナンの地への通商路の入口にあり、敵が最初に侵入するエジプトの要所でした。エジプトを救った宰相ヨセフのことを知らない王が支配するようになると、増え続けるヘブル人が侵入して来る敵方に付き、自分たちを支配するようになるのではないかと恐れました。そのためピトムやラムセスの町造りに従事させ、重労働を課しました。それにも拘わらずイスラエル人が増え続けると、ファラオは助産婦に命じ、生まれて来る男の子を全て殺すように命じました。しかし彼女たちはファラオより神を恐れ、丈夫なイスラエルの妊婦は自分たちが着く前に生んでしまうと言い訳をしました。遂にファラオは全国民に命じ、男の赤子は皆ナイル川に放り込むように命じました。
そのような時にモーセは生まれたのです。両親は三カ月間、隠しておきましたが、隠し通せなくなると籠を作りその中に入れてナイル河畔の葦の茂みに置きました。ファラオの娘がその場所に沐浴に来ることを知っていたのです。ファラオの娘は泣いている赤子を見つけ、かわいそうに思い自分の子として育てることにしました。モーセはファラオの家族の一人となり、将来の王にふさわしい教育を受けたのです。モーセは四○歳になると、このまま王家の一員として一生を送るか、奴隷となっている同胞を助けるために命を掛けるか思い悩むようになりました。ある日、エジプト人がヘブル人を打っている場に遭遇し、そのエジプト人を打ち殺しました。次の日、モーセはヘブル人同士が争っているのを見て仲裁に入ると、男は「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」とモーセを突き飛ばしました。それを聞いて彼はミディアンの地に逃げました。自分のしたことがファラオにも知られると思ったからです。そして、その地で結婚し二児の父となって義理の父の羊を飼う者になりました。
神の民はエジプトにいたのでは神を礼拝できません。神を礼拝するためにそこから出て行かなければなりませんでした。わたしたちも同じで、この世だけに目を向けていたのでは神を礼拝できません。主イエスは罪の奴隷であったわたしたちをこの世から救われ、神の民とするのです。そして、モーセが四〇年後再びエジプトに戻って来たように、主イエスも再び戻って来られ、ご自身が神であることを全ての国民の目に明らかにされ、信じる者を御国の民とされるのです。
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