2006年12月17日日曜日

マタイ28章1~15節「あの方は復活された」

第80号

 マグダラのマリアともう一人のマリアは、週の初めの日の朝早く墓に行きました。すると地震が起こり、墓石が取り除かれ、天から降って来た天使から「恐れることはない。…あの方は、ここにはおられない。…復活なされたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」と告げられました。彼女たちがこのことを弟子たちに知らせに行く途中、主イエスが現われ「おはよう」と言われました。彼女たちは主イエスの足を抱いてひれ伏しました。ギリシャ哲学では、肉体は滅んでも霊魂は生き続けると教えられています。しかし、復活の出来事はそのようなことではありません。もし、主イエスが霊であるなら足を抱くことは出来ません。主イエスは生きた身体を持って復活されたのです。
 弟子たちは彼女たちから主イエスが復活されたことを聞いたとき誰一人信じませんでした。信じない弟子たちの前に主イエスが現われた時、彼らは主イエスの亡霊が現われたと思いました。それに対し、主イエスは「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなた方に見えるとおり、わたしにはそれがある」と言われました(ルカ二四:三九)。弟子の一人、トマスはこのことを聞いてもなお信じようとはしませんでした。「あの方の手に、釘の跡を見、この指を針跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言い張りました。主イエスはそのトマスの前に立たれて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。
 主イエスはご自身の手足とわき腹の傷を弟子たちにお見せになっただけでなく、彼らと一緒に食事をされました。主イエスが霊であるなら焼いた魚を食べることはできません。復活された主イエスは弟子たちに神の国について教えられました。このようにして主イエスは四〇日にわたって五百人以上の弟子たちにご自身の復活の確かなことを示された後、天に上られたのです(使徒一:三、Ⅰコリ一五:六)。

 ペンテコステの日に聖霊を受けた弟子たちは大胆に主イエスの復活を証し始めました。ペトロは集まって来た人たちに説教しました。「(ダビデは)キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることはない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」。この日、回心した人は三千人ほどでした(使徒二)。
 パウロも「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、…」と言っております(Ⅰコリント一五:三以下)。
 このことは、主イエスが生前、何度も繰り返して弟子たちに教えられたことでした(マタイ一六:二一、他)。

 主イエスの「霊」を見たと弟子たちが証したのであれば信じることができるかもしれません。しかし、主イエスの復活は「生きた身体」を伴うものでした。そのため復活は最も信じられない出来事となりました。しかし、もしギリシャ哲学が教えるように霊魂の不滅を信じるのであれば、今の自分が連続して永遠に生きることになってしまいます。わたしたちのこの罪の性質がそのまま新しい天と新しい地を継ぐことになるのです。そうではなく、わたしたちの霊魂と身体が一度死んで滅ぼされ、そこから再び新しい霊魂と身体が創造されるのです。永遠の命にふさわしい罪のない心と永遠に生きるにふさわしい身体が新しく生まれるのです。この世と永遠との連続性はそこにはありません。
 同じことは主イエスを信じるときわたしたちに起こったことでした。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者なのである。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」。(口語訳・Ⅱコリ五:一七)。回心の時わたしたちの心に主イエスを信じる新しい心が与えられ、身体もまた永遠のいのちにあずかる希望を持つことができるように変えられます。
 七つの悪霊を主イエスによって追い出してもらったマグダラのマリアは、それまで罪の生活をしていたといわれています。そのような生活から贖われたのは主イエスと出会ったからでした。マリアは復活の主イエスに会って「おはよう」すなわち「喜びなさい」と言われました。復活の主イエスに出会うときわたしたちの人生もまた喜びに変えられるのです。「あの方は復活された」と証することができるようになるのです。

2006年11月19日日曜日

ヨハネ18章28~38節「わたしの国」

第79号

〈召天者記念礼拝〉

 今年は一月二二日に石川久夫兄、三月一三日に生原優先生を主の御許に送りました。親、兄弟を天に送った者は主イエスの言われる「わたしの国」を身近に感じることでしょう。しかしながら、わたしたちが御国をどれだけ身近に感じるかは、その国についてどれだけ知っているかによります。誰も、天に上り、そこから戻ってきた者はいません(ヨハネ三:一三)。主イエスだけが神の国から来られ、戻って行かれました(ヨハネ一六:二八)。「わたしの国」を知るためには、わたしたちは聖書を読み、主イエスの御言葉に耳を傾ける以外にはありません。

 わたしがアメリカに行ったのはもう三四年前になります。二八歳でした。デトロイト国際空港に降りましたが、その時までは五大湖周辺は工業地帯なので日本の川崎のようなところだと想像していました。しかし、空港もミシガン大学に向かう道路も周りは林でした。大学のキャンパスは信じられないほど広く、芝生が見渡す限り続いていました。建物や寄宿舎を無料のバスが結んでいました。広大な土地と豊かさに驚かされました。また、言葉に関してはアメリカの生活に慣れるまで、しばらく通じませんでした。そのようなわたしを助けてくれた多くの人がいました。ボランティアの学生が英語を熱心に教えてくれました。四ヵ月後に、ホィートン大学に入学しましたが、そこでも同じでした。三年半のアメリカでの生活で、日本がどのような国であるかを外から見ることができ、自分が日本人であることを自覚することができました。
 「人」は一人では自分が分かりません。同じように神を知って初めて人間が何であるかを知ることができます。神を知ることなくして、人はどこから来てどこに行くのか、何をしなければならないかを知ることはできません。

 主イエスは「『わたしの国』は、この世に属していない」と言われました。この世は神によって創られました。そして、いつか終わりを迎えますが、神はわたしたちのために新しい天と地を用意されているのです。それは全く新しいものであって、この世とは別のものです。
 「わたしの国」である天の国は、新しいエルサレムとも呼ばれ、縦、横、高さが同じで、一万二千スタジオン(二千二百キロ)の大きな都です(黙二一)。日本と中国の北京が入る大きさですが、十二はユダヤでは完全数ですのでただ都が広大であることを意味しているだけかもしれません。この天の国には終わりはなく、永遠に続きます。太陽や月はなく、神ご自身が都を照らします。都の中心に川が流れていて、その両岸には命の木があり、その実は毎月実って、葉は民をいやします。きっと人々に聖霊が豊かに注がれていることを意味しているのでしょう。温度は一定で熱くも寒くもないでしょう。わたしたちは復活してその都に永遠に住みます。身体は永遠に生き、死も、病も、苦しみ、悲しみ、痛みもありません。心も新しく創造され、罪のない清い心となっています。戦争や争い、怒鳴りあうことも、いじめもありません。事故や、地震、津波、台風、竜巻といった自然災害もありません。全ての人の語る言葉を理解し、国籍や人種の違いもありません。そこには霊的な成長があり、喜びが満ち溢れています。
 この世のものを引き継がない全く新しい更新を、この世のものを借りて説明することはおおよそ不可能なことです。主イエスは「わたしの国」は素晴らしい国であることを、わたしたちに伝えようとされているのです。

 「わたしの国」にはどのような人が入れるのでしょうか。主イエスの言葉を信じる人が入れるのです。主イエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と言われました(ヨハネ一八:三七)。ピラトは主イエスに「真理とは何か」と尋ねましたが、それは主イエスが証しする「わたしの国」に他なりません。この世は移り行き、滅びますが、主イエスの言葉は真理なのです。祭司長たちや律法学者たちは「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか」、と言いました(ヨハネ六:四二)。主イエスの言葉を信じない人たちは「わたしの国」に入ることは出来ないでしょう。神ご自身を偽りものとするからです。
 「わたしの国」を知ることは、「この世」を知ることであって、それによりこの世での生き方は変わります。この世だけではないことを知るからです。
 召天者の存在は「わたしの国」が確かなことの証拠です(ヘブライ一二:一)。彼らはその国を信じて死んでいったからです。わたしたちもまた彼らに続き、御国を仰ぎ見ながらこの世を歩もうではありませんか。

2006年10月15日日曜日

マタイ26章57~68節「お前はメシアなのか」

第78号

主イエスは大祭司カヤファのところに連れて来られ、そこからサンヘドリンとよばれる最高法院に引き出されました。既に律法学者や長老からなる議員たちは集まっていました。最高法院は大祭司を議長とする七一人の構成でしたが、裁判は二三人の定員数だったと言われます。
 ユダヤ人指導者たちは以前から主イエスを殺そうとしていました(一二:一四)。多くの人たちがファリサイ派の人たちや律法学者たちの教えから離れ、主イエスに従うようになったためです。民の心をつかんでいる主イエスへのねたみと、自分たちの教えがないがしろにされた怒り、民の指導者としての地位を失う恐れ、それによる社会的、政治的混乱とローマ軍の介入を危惧したからです(マタイ二七:一八、ヨハネ一一:四五~五四)。彼らはユダの裏切りによって「真夜中」、「武装した群衆」により主イエスを連行しましたが、昼間は群衆を恐れ捕まえることはできませんでした(二六:五、一四~一六、ルカ一九:四七~四八)。夜、主イエスが弟子たちと集まりローマに陰謀を企てていたとの疑惑の演出をも、もくろんでもいたのでしょう。裁判は最初から死刑判決を目的としたものでした。

 裁判が始まると、証人たちの証言はいずれも不完全なものであることが分りました。最後に一番有力な起訴事由が提出されましたが、それは主イエスが「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」というものでした。主イエスは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われましたが、自分が壊すと言ったのではなく、また、「イエスの言われる神殿とは、御自分の身体のことだった」のです(ヨハネ二:一九~二二)。この最後の二人の証言も証拠とはなりませんでした。
 死刑宣言を下すのが難しい状況の中で、大祭司は主イエスに「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」と言い「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は生ける神の子、メシアか」と尋ねました。
 主イエスは「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と言われました。
 主イエスが黙り続けていたなら、彼らは死刑を宣告できなかったでしょう。主イエスもこのように答えることによって死刑が宣告されるのを知っていました。何故、答えられたのでしょうか。それはこの問いの持つ本質的な事柄を無視することができなかったからです。
 主イエスは、かつてフィリポ・カイザリアからの帰途、弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねたことがありました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。すると主イエスは「…あなたはペトロ、わたしはこの岩(ペトロの告白)の上にわたしの教会を建てる。…」と言われました(一六:一三~二〇)。
 主イエスが「わたしは神の子、メシアである」と宣言されるなら、わたしたちはその御前にひざまずき、礼拝しなければなりません。しかし、大祭司も法廷にいた人たちも誰一人として主イエスが生ける神の子、メシアとは信じていませんでした。大祭司は「服を引き裂きながら…(この男は)『神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。どう思うか』」と言い、人々もまた「『死刑にすべきだ』と答えた」のです。
 主イエスの答えは、わたしたちに主イエスが神の子、メシアであるかどうか信仰の表明を促がすものでした。無視することも、中立の立場を取ることもできません。もし、主イエスが神の子、メシアであることを否定するなら、今度は再臨の主イエスに裁かれることになるのです。

 主イエスはご自身が神の子、メシアであることを示すため、力を顕示されることはありませんでした(二六:五三)。無力な者となって人に裁かれる道を選ばれました。それが人々の罪を贖う唯一の道であることを知っておられたからです。人々は「イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ち」ました。
 「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げて」しまいました(二六:五六)。一番弟子のペトロですら主イエスから「遠く離れて」安全な場所で事の成り行きを見守っていたのです。
 自分の力で主イエスに従うことはできません。しかし、御自分のために力を用いなかった主イエスに神の力を見い出す時、わたしたちは救われます。自分の罪を認め、悔い改め、聖霊を与えられることによってはじめて主イエスに似た者に変えられていくのですが、すべては主イエスの導きの内にあるのです。

2006年9月17日日曜日

マタイ26章1~16節「香油を注ぎかけた」

第77号

主イエスがベタニアで重い皮膚病の人マタイの家で食事を取られていると、一人の女が高価なナルドの香油の入った壺を砕いて主イエスの頭に注ぎかけました。その香油の価値は三百デナリオン以上と言いますから、おおよそ労働者一年分の賃金に当たります(マルコ一四:五)。それを見た弟子たちは憤慨して「なぜこんな無駄遣いをするのか。高く売って貧しい人に施すことができたのに」と言いました。過越祭では貧しい人に施しをしたのです。弟子たちは主イエスも同じ考えで、この女をとがめると思ったことでしょう。しかし、主イエスは「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ」と言われました。
 わたしたちもこの弟子たちと同じように考えるのではないでしょうか。主イエスが二日後に十字架につけられるのを知っていたなら話は別ですが、こんなに高価な香油を主イエスに注ぎかけるのは余りにも、もったいないからです。しかし、そのことを知っていたのは主イエスだけでした。

 わたしたちには神の思いは分かりません。神の思いとは別の、自分の考えを持っているからです。哲学者デカルトは「我考う故に我在り」と言いました。デカルトは考える自分の存在はどうしても疑いえない。従って他人や外界とは独立に自分が存在している、と結論づけました。わたしたち人間だけが物事を客観的に見ることが出来るのです。
 アインシュタイン以前、人々はニュートンの考えに従って、宇宙は星を入れる無限の器であり、時間もまたそれから独立して初めも終わりもない存在だと考えられていました。今、わたしたちはアインシュタインの相対論によって、宇宙と時間は無から生まれたことが分かるようになりました。しかしこの事実は聖書が数千年前から教えていたことなのです。
 無から創られた被造物にすぎない人間は神について知ることはできません。主イエスを知ることによって初めて神がどのようなお方であるかが分かるのです。神に「仕える」ということの意味もまた、わたしたちの考えでは理解できません。このことについてもわたしたちは聖書から学ばなければならないのです。
 エズラ記には七十年間バビロンで捕囚だったイスラエルの民の帰還について書かれています。八章にはエズラが四~五千人の人たちを率いて金銀など時価数億円を携えエルサレムに上ったことが記されています。これらの金銀はペルシャの王アルタクセルクセスと高官たちから、そしてイスラエルの民で帰還できない者たちからの神殿への献げものでした。バビロンからの帰還は第二の出エジプトです。モーセに率いられたイスラエルの民はエジプト人からの分捕りものとしての金銀を携え、荒野に出て行き、約束の地を目指しました。それらの金銀などは幕屋の建設に使われたのです。
 主イエスの頭に香油を注ぎかけた女も同じです。自分の持っている物の中で最も大切な香油を主イエスに献げたのです。この女はかつて罪の「奴隷」だったのかもしれません。主イエスによって罪が赦され「自由」の身にされたに違いありません。「香油を注ぎかけた」のは主イエスへの愛と感謝のしるしだったのでしょう。それに対して弟子たちは「なぜこのような無駄遣いを」と言い、わたしたちもまた「高く売って貧しい人に施すことが出来たのに」と思います。しかし、主イエスはわたしたちが何をするかより、何故そうするかに関心を持つておられます。この女の人にとって「香油を注ぎかけた」ことは自分の命を主イエスに注ぎかけたことに他ならなかったのです。
 この女のしたことは結果的に主イエスの埋葬の準備となりました。また、油を注ぐことはイスラエルでは王となる儀式でもありました。主イエスは死んで復活され、メシアとしてわたしたちを支配されるのです。

 「仕える」は「栄光を帰する」ことです。ウエストミンスター信仰基準、第四章「創造について」の一には、神はご自分の永遠の力、知恵、栄光のためにすべてのものを無から創られた、とあります。この宇宙を、そして人を創られたのは、ご自身の栄光の現われるためであり、わたしたちが神に栄光を帰するためなのです。「主の祈り」に「み名をあがめさせたまえ」とあるとおりです。
 この女は「香油を注ぐ」ことによって主イエスに栄光を帰し、主イエスはそのことを喜ばれました。罪を赦され永遠の命を約束されたわたしたちもまた、自分の最も大切なものを主イエスに捧げることによって主に栄光を帰することが求められているのではないでしょうか。わたしたちにとって最も大切なものは何でしょうか。それは「いのち」に他なりません。わたしちのいのちでもって主イエスに仕えることが求められているのです。

2006年8月20日日曜日

マタイ24章1~35節「天地は滅びる」

第76号

マタイによる福音書二四章は小黙示録と呼ばれています。「黙示」とは黙していることが示されることであって「終末に関すること」です。聖書によればこの世の終わりは神によって決定されています。「この世」を創られた神が「この世」に終わりを来たらせるのです。
 旧約聖書の「ノアの洪水」の物語には、神が古い世界を滅ぼされたのは「地が暴虐に満ちていたから」とあります(創世記六章)。神がソドムとゴモラの町を滅ぼされたのも同じ理由でした(創世記一八~一九章)。
 預言者サムエルは、隣国からの脅威に対抗するため王制を求めた民にこのように警告しました。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ…」る(サムエル記上八章一〇~一八節)。
 王国はソロモン王の後、北王国と南王国に分裂しました。多くの王は神に代わって自ら国の主権者となり、神に罪を犯しました。神は北王国イスラエルをアッシリアに、南王国ユダをバビロニアに渡して滅ぼされました。「神が民を滅ぼされたのは民の罪の故」でした(列王記下一七、二四章)。
 主イエスは紀元七〇年のエルサレムの滅亡と神殿の崩壊について預言し、「神の訪れてくださる時をわきまえなかった」彼らの罪の故であると言われました(ルカ一九:四四)。
 神がこの天地を滅ぼすのはわたしたちの罪の故で、そのことが終末に起こることであるなら、わたしたちの平和への努力には一体どんな意味があるのでしょうか。将来、良い世界が訪れることを願って、わたしたちは平和のために努力するのではないでしょうか。

  この世の悪の勢力と戦うためには武力の行使もやむ終えないとする相対的平和主義の立場を取る人が多くいます。二〇〇一年、ニューヨークの貿易センタービル崩壊で、ブッシュ大統領はテロとの戦いを戦争と呼びました。今日、アメリカでは福音派(エバンジェリカル)、原理主義者(ファンダメンタリスト)のキリスト教が力を得、ブッシュ政権を支えていますが、自国を神の側につけ、敵対するものを悪としています。このような聖書理解はアメリカの国益にも沿うものでしょう。同盟国イスラエルへの徹底的な支援も聖書の言う「神の国」を来たらせる道と信じているようです。
 アメリカの多くの人たちは自分たちの豊かさは神の祝福と信じ、神に感謝していますが、世界の貧しい国々の実情についてはほとんど知らないようです。イラク戦争は核疑惑とサダム・フセインの圧政から国民を救うためというものでしたが、実際にはそれは介入のための大義名分だったと思われています。アメリカはこれら貧しい国の資源を搾取して自らの豊かさを享受しています。世界は豊かな国と貧しい国、善と悪とに分けられていることが、様々な対立やテロの原因となっているのではないでしょうか。

  日本は戦前、政治家と軍部は天皇を神として、隣国に利権を求め、武力により満州国を建設し、朝鮮や台湾を植民地にしました。
 一九三七年、内村鑑三の門下生、矢内原忠雄は中央公論に『国家と理想』と題して「正義と平和こそ国家の理想、これを失った国家と民族は滅びる」と書きました。そして同じ年、藤井武記念講演会で、「我々のかくも愛した日本の国の理想、或は理想を失った日本の葬りの席であります。…若しわたしの申したことが御解りになったならば、日本の理想を生かすために、ひと先づ此の国を葬って下さい」と述べ、東京帝国大学教授の地位を追われました。
 その八年後、一九四五年八月六日、原爆が広島に、九日には長崎にも投下され、十五日、日本は遂にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしました。中国東北戦争から太平洋戦争の十五年に渡る長い戦争により、三百万以上の人が死にました。広島と長崎は一瞬にして壊滅し、二十四万人と十二万二千人が亡くなりました。中国人、一千万人以上、他のアジアの国々の人々、一千万人以上が犠牲となりました。
 わたしは絶対的平和主義の立場に立ちます。このことは隣国から侵略されないことを保証するものではありません。平和の戦いは忍耐と苦難、そして多くの命の犠牲を伴うものです。
 主イエスは「神と人との和解」のためにご自身の命を捧げられました。それによってわたしたちは御国の住民とされました。それ故わたしたちも「人と人との和解」のために命を捧げることが求められていると思います。このようなわたしたちにとって、敗戦によって与えられた日本の平和憲法には特別な意味があると信じます。
 「天地は滅びる」、それは平和のための努力が無に帰するのではなく、神の子たちに新しい天と新しい地が用意されているということです。

2006年4月16日日曜日

マタイ28章1~10節「あの方は復活された」

第72号

〈イースター礼拝〉

 「あの方は復活された」、これは聖書が伝える最も大切な出来事です。主イエスの復活の事実があったからこそ、わたしたちの復活も確かであると信じることが出来るからです。聖書によれば死は決して自然なことではありませんでした。「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」のです(創世記一:三一)。そこには、死はありませんでした。しかし、最初の人であるアダムとエバは「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と神が言われた善悪を知る木の果実を食べたのです(二:一七、三:六)。神の言葉に背くことが罪で、罪の結果は死です。御言葉どおりアダムとエバは死ぬ者となりました。彼らの罪によって全ての人は神の栄光を受けられなくなったのです。この世は滅びに向かい、全ての生き物もまた死ぬようになりました。その後、罪の世界を救うために救い主が与えられるという神のご計画は、アダムとエバに伝えられました(三:一五)。そのお言葉どおり、長い年月を経て主イエスは世の罪を取り除くお方としてお生まれになりました(ヨハネ一:二九)。

 主イエスは神が人となられたお方です。人間の母マリアから生まれたが故に、人の心を持ち、人の弱さを知り、罪の誘惑をお受けになられました。しかし、神の子であるが故に少しの罪も犯されませんでした。罪の結果が死であるなら、罪のない主イエスは死ぬことのない存在でもありました。しかし、主イエスはわたしたちの罪を負って十字架につかれ、罪の裁きをお受けになったのです。「わが神わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」という十字架上の叫びは、それがどれほどの苦しみであり、悲しみであったか、わたしたちには想像もつきません(マタイ二七:四六)。神はその独り子をわたしたちの身代わりにされましたが、そこにわたしたちの神に背く罪の深さとわたしたちへの神の愛があります(ヨハネ三:一六)。しかし、死は罪のない主イエスを墓に閉じ込めておくことはできませんでした。三日目に復活して死に打ち勝たれたのです。
 アダムとエバの子孫であるわたしたちは彼らの罪を引き継ぎ、神に背いて生きています。それ故、例外なくわたしたちは死ななければなりません。しかし、復活された主イエスは今も生きて天の父の右に座しておられ、また、霊となってわたしたちの心に宿られるのです(Ⅰコリント一五:四五)。これがペンテコステの時に弟子たちに起こったことでした(使徒二:一~四)。主イエスは生前の約束を今も果たされているのです。それは、わたしはあなたがたをみなしごにはしない。あなた方のところに再び戻って来ると言われていたことでした(ヨハネ一四:一五~三一)。
 律法学者ニコデモは、神の戒めを犯した者は生きることはできない、「もう一度母親の胎内に入って生まれることができるのでしょうか」と言いました。それに対して主イエスは人は霊によって新たに生きることができると言います(ヨハネ三:一~一五)。人は主イエスの霊を心に受けることによってその心は神に反逆している死から神に従順に生きようとする命に変えられるのです。それは主イエスの十字架によって罪なき者とされた恵みによるもので、この世でも、また死んでも復活にあずかることが出来るようにされます。
 わたしたちは回心を経験し、主イエスの霊を心に受けるなら死後の復活を信じることができるようになります。回心も復活も「死」を経験するということで共通しています。

 パウロはわたしたちは死んで眠り続けるのではなく、主イエスの再臨のとき、ラッパの音と共に復活し、今とは異なる状態に変えられる、と言います(Ⅰコリント一五:五二)。そして、わたしたちは、わたしたちのために用意された新しい天と地の住民となるのです(黙示録二〇:一一~二一:八)。
 わたしたちが復活するとき、この体は朽ちるものから朽ちない天的な体に変えられます。卵からひよこが孵るように、種から芽が出るように、そしてさなぎから蝶が生まれるようにです。体だけでなくわたしたちの心も変えられます。この地上にいる間はわたしたちの心には生まれながらの罪があり、その罪と神の霊との間に戦いがあります(ロマ七:一五~二五)。しかし、復活したわたしたちの心には少しの罪もないのです。心と体は新しい天と地で永遠に生きるにふさわしく新しい被造物に変えられるのです。
 「あの方は復活された」。それは死んで霊となられた主イエスが、再びわたしたちの心に宿られることによってわたしたちを永遠の命にふさわしい者とされることに他なりません。それはわたしたちがこの世でも自分ではなく、主イエスによって新しく生きることが出来るようになるためでした。

2006年3月19日日曜日

マタイ15章32~16章12節「パン種に注意しなさい」

第71号

「パン種」はパンの中で急速に全体に広がり、膨らませ、食べ易くします。イスラエルにあって「ファリサイ派とサドカイ派の人々の教え」もそうでした。主イエスは彼らの「教え」、すなわち「パン種」に注意しなさい、と言われました。
 律法は二種類あります。一つは書かれた律法である聖書、その中でも特に「十戒」と律法書であるモーセの五書です。もう一つはファリサイ派の人々やサドカイ派の「言い伝え」です。「十戒」も「言い伝え」もいずれも大切なものとして厳格に守らなければなりませんでした。しかし、実際にはファリサイ派やサドカイ派の人々は「十戒」以上に彼らの「言い伝え」を大切にしました。例えば、十戒の第五戒には「父と母を敬え」とあります。「それなのに、あなたたちは言っている」と主イエスは言われました。「『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている」(マルコ七:一一~一三)。
 神殿への捧げものは任意です。しかし、十戒に背くものは「呪われよ」、と言われ、また「死ななければならない」のです。どちらが大切かは明らかです。ファリサイ派やサドカイ派の人々の「言い伝え」は自分を他の人に対して宗教的に見せかけ、尚且つ、父と母への扶養の義務を怠り、自分の財産を不当に所持し続けることが出来たのです。十戒の第四番目にある安息日の戒めについても同じでした。主イエスの弟子たちが麦の穂を摘んで食べたとき、主イエスが病気を癒したとき、また癒された病人が床を持って歩いたときなど、自分たちの「言い伝え」を根拠に彼らは主イエスの言動を批判しました。それに対し、主イエスは安息日の主は誰なのですか、善いことをするのと悪いことをするのとどちらがよいのですかと彼らに反論しました。

 ファリサイ派とサドカイ派の人々は大勢の人たちが主イエスに従っているのを知って、エルサレムからガリラヤに人を派遣しました。主イエスが彼らの「言い伝え」を守っているかどうかを調べるためでした。もし、主イエスが「言い伝え」を守っているのであれば彼らの権威は保たれます。しかし、守っていないのであれば、彼らの権威や地位、名誉は脅かされることになります。「言い伝え」を守っていないのを知ると彼らは主イエスを殺そうと相談し始めました(一二:一四)。民衆もまた、ファリサイ派とサドカイ派の人たちの「言い伝え」を「十戒」より好んだのです。「コルバン」がよい例で、守るのが容易だったからに他なりません。ファリサイ派やサドカイ派の人たちに主イエスは「偽善者よ」と呼びかけました。常識的な考え方やこの世の知恵によって「書かれた律法」を骨抜きにしてしまったからです。そして彼らの「教え」を「パン種」と呼ばれ、その「教え」に注意しなさいと言われたのです。
 使徒時代の教会で起こったアナニアとサフィラの出来事は、わたしたちに神に偽ることは赦されないことを教えます。アナニアとサフィラは、自分たちの土地を売り、代金をごまかし、その一部を偽って使徒の前に置きました。その結果は死でした(使徒五:一~一一)。中世の教会は、献金すれば罪が赦されると免罪符を売りました。ルターの宗教改革は献金、すなわち「良い行いが人を救う」という教会の「パン種」(行為義認)を否定しました。

 十戒はイスラエルの民が約束の地であるカナンに入って作る「神の国」の憲法であり、倫理基準でした。同じ事は、この世を生きる「神の国の民」であるわたしたちキリスト者にも言えます。
 十戒の第六戒は「人を殺してはならない」です。罪人であるわたしたちは神によって救われました。そのわたしたちは人を殺すことは出来ないのです。「正義」のためなら「人を殺してもよい」のではなく「正義」のために「身を捧げる」ということです。たとえ正当防衛であっても人を殺すことはできません。
 この教えは、個人だけでなくその集合体である国家にも当てはまります。日本は戦争により多くの人命を失い、また広島と長崎には原爆が投下されました。日本の憲法第九条は平和国家として立つことを目的とし、他国との交戦権を否定しています。しかし、時代の流れと共に国家固有の権利としての自衛権を認めるようになりました。神から与えられた日本の使命は、非武装により世界平和に貢献することです。
 個人においても国家においても「人を殺してはならない」は人間的解釈を入れる余地のない神の戒めです。

2006年2月19日日曜日

マタイ14章13~21節「パンを群衆に与えた」

第70号

主イエスは洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパスによって殺されたと聞くと、舟に乗ってそこを去り、人里離れたところに退かれました。それを知ると群衆は湖岸を回って後を追いました。その数は男だけで五千人、女と子供を加えるなら少なくとも一万人はいたと思われます。彼らは異邦人であるローマに税金を課せられ、生活は苦しく、貧しかったことでしょう。主イエスは彼らを憐れみ、御言葉を語り、多くの病人を癒されました。
 夕暮れになると、弟子たちは主イエスに、群衆を解散させ、めいめいが村へ食べ物を買いに行くように言いました。しかし、主イエスは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われ、五つのパンと二匹の魚で彼らの胃の腑を満たしました。

 ユダヤでは食事を一緒にすることには大きな意味がありました。それは特別に親しい関係にあること、すなわち運命共同体であることを示しました。人種や文化や物の考え方、また身分、階級、教養が異なっていても、それらの相違を越えて一つとなったのです。主イエスは彼らをご自分の食卓に招かれました。
 たった五つのパンと二匹の魚で一万人以上の人々の胃の腑を満たしたこの出来事は、昔、モーセに率いられてエジプトを出てきたイスラエルの民のことを思い起こさせます。その数は成人男子だけで六〇万人と言われ、総数では二百万人を越えたと思われます(出エジプト一二:三七)。神は彼らをマナで養われました。それは約束の地に入るまで四〇年間続きました(出エジプト一六)。しかし、民は結局、荒野で滅ぼされてしまいました。約束の地に入ることが出来たのはごく僅かでした。何故でしょうか。彼らはエジプトの生活を恋しがり、絶えず神に不平不満を言ったからです。(民数記一四:二~四))。ああ、エジプトには美味しい肉鍋があった、家族の団欒があった、しかしここには何の楽しみもない、と(出エジプト一六:三)。それだけでなく彼らは異教の神モレクの神輿やライファンの星を担ぎ回り、また、金の子牛を造ってこれが我々を導く神だと礼拝したのです(使徒七:四〇~四三)。
 主イエスのところに集まって来た人々にも、これと同じことが言えます。彼らは主イエスにパンを求め、病人が癒されることを求めました。そして、ローマからの独立を求め、この世に神の国を建設しようとしました。人々は主イエスを自分たちの王にしようとしました(ヨハネ六:一五)。それは彼らの必要を満たす存在になるということで、その限りにおいて彼らは主イエスを王として敬うということです。かつてイスラエルの民がエジプトを恋い慕ったように、人々の思いもこの世のことだけでした。イスラエルの民が「約束の地」に目を向けることがなかったように、彼らもまた主イエスの説かれた「永遠の御国」に目が開かれることはありませんでした。主イエスはこのような彼らの思いをご存知で、一人、山に退かれたのです。主イエスがこの世に来られたのは、この世のパンを与えるためではなく、永遠に生きることのできる命のパンを与えるためでした。それは物質的な糧ではなく心の糧です。これこそわたしたちの心の深層にある飢え渇きを満たす「聖霊」です(ヨハネ四:一~四二)。多くの人たちは、このような主イエスに失望して去って行きました(同、五:三九~四〇)。十字架を前に、主イエスのもとに最後まで残ったのは僅かな人々に過ぎませんでした。「招かれる人は多いが選ばれる人は少ない」のです(マタイ二二:一四)。

 主イエスは渡される前夜、弟子たちと一緒に食事(「主の晩餐」)をされました(マタイ二六:二六~三〇、1コリント一一:二三~二五)。そこには「パンを取り」、「賛美の祈り」、「パンを裂き」、「弟子たちに与えられた」等の言葉に「五千人の給食」との類似点を見ることができます。しかし、弟子たちとの最後の晩餐には特別な意味があります。昔、ユダヤでは契約を結んだ者同志は、その後一緒に食事をする習慣がありました。主イエスは最後まで留まった弟子たちと契約を結ばれたのです。主イエスは神であるにもかかわらず、ご自身の命でもってわたしたちの罪を贖われました。十字架で流された罪のないその血は、わたしたちの罪を贖う契約の血となりました。この「契約」により、主イエスの贖いを信じ、自分の罪に死に、主イエスの命に生きるなら、わたしたちもまた復活に与ることが出来るのです。
 教会は御言葉を聴くことと聖餐を大切にしますが、聖餐において主イエスはその場にご臨在されると同時に、十字架の出来事をわたしたちに想起させます。大切なのは、わたしたちが今生きておられる主イエスとの食事に与るということだけでなく、二千年前の十字架の契約が確かであることを知ることです。

2006年1月15日日曜日

コリント二5章16~21節「新しいものが生じた」

第69号

《元旦礼拝》

 歴史学者エリアーデの「永遠回帰の神話」を読みますと、世界のほとんどの民は、正月を新しい世界の始まりだと考えているのが分かります。日本の古典落語にも大家さんが何とかして店子の家賃を年内に取り立てようとするのがあります。新しい年になれば借金は帳消しになるからです。新しい世界に古い世界の出来事では、舞台は台無しになってしまいます。そのような世界にあって唯一の神を信じたユダヤ人だけが新しい歴史観を持つようになりました。宇宙には初めと終わりがあり、罪に落ちた人を救われる神のご計画があると信じたのです。キリスト教は、主イエスこそ旧約聖書で約束されたメシアであって、主イエスを信じた者には新しい天と新しい地が用意されていると教えるのです。
 神の本質は聖であって、聖は義と愛です。天の父は御子をこの世に遣わされ、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言われました(マタイ三:一七)。父の役割は子を守り、助けることにあります。しかし、人々が御子の顔に唾をし、平手で打ち、鞭で打っても静観されているだけでした。わたしたちであれば自分の子供が悪くても助けようとします。我が子が無実の罪で殺されようとするなら助けずにはいられません。主イエスは父に対して「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで息を引き取られました(マタイ二七:四六)。

 聖書では独り子や初子の死には特別な意味があります。列王記下三章にはモアブの王メシャのことが書かれています。モアブは四〇年間イスラエルの王アハブの支配下にあり、十万匹の小羊と雄羊十万匹分の羊毛を貢物として納めていました。メシャはアハブの子ヨラムの治世に反旗を翻しました。イスラエルはユダとエドムと同盟して対抗しました。メシャは勝ち目がないのを知ると世継ぎである長男を城壁の上で生贄として捧げました。イスラエルの上に怒りが下り、状況が一変しました。「新しいものが生じた」のです。モアブはイスラエルのくびきから自由になったのです。
 イスラエルの民はかつてエジプトで奴隷でした。モーセが現われイスラエルを自由の民としましたが、そのためには過越が必要でした。エジプトの民の初子の死によって状況が一変し、「新しいものが生じた」のです。
 アブラハムは百歳になって与えられた独り子イサクを焼き尽くす捧げものにするよう神に命じられました。アブラハムはその言葉に従いました。刃物で息子を屠ろうとしたとき、天から声がありました。「その子に手を下すな。…あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。…」。それによって「地上の諸国民はすべてあなたの子孫(キリスト)によって祝福を得る」との約束が確かなものとされました。「主の山に、備えあり」、「主は備えてくださる」のです。イサクを捧げることにって「新しいものが生じた」のです(創世記二二章、ガラテヤ三:一六)。

 主イエスは十字架にかからなくてもこの世の王となることが出来ました。しかし、それではわたしたちと神との間に和解は生まれません。罪の問題の解決なくして死の解決もありません。死はわたしたちにとって恐ろしいものです。この世と愛する者との別れです。自らの存在が無に帰することでもあります。自然の死ですら恐ろしいのですが、死が神の裁きであるなら、なおさら恐ろしいものとなります。神の前に立ち、生前の行いに応じて裁かれなければならないからです。神との和解とは罪が赦され、神に裁かれない者にされることに他なりません。この和解のために神は御子をこの世に遣わされたのです。主イエスは十字架によりわたしたちの罪を御自分の上に置かれ、御自身を罪ある者とされました。そして罪あるわたしたちが主イエスの十字架の故に罪のない者とされたのです。神の独り子の死によって状況が一変しました。「新しいものが生じた」のです。

 イエスの十字架により、この世界が古いものとされ、わたしたちに新しい天と新しい地が用意されました。そして、その約束の故にわたしたちはこの世においても既に神の国の民とされているのです。
 わたしたちが主イエスの十字架に倣って自分に死ぬとしたら、それは神の初子の死に連なることに他なりません。神に自分自身を捧げることによって「新しいものが生じる」のです(ロマ書六:一~一四参照)。「新しく創造された者」となるのです(2コリント五:一七)。主イエスの命がわたしたちを生かすようになるからです。神を愛し、人を愛するために生きることができるように作り変えられます。後に続く者のために和解の務めを果たすことになるのです。