2006年2月19日日曜日

マタイ14章13~21節「パンを群衆に与えた」

第70号

主イエスは洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパスによって殺されたと聞くと、舟に乗ってそこを去り、人里離れたところに退かれました。それを知ると群衆は湖岸を回って後を追いました。その数は男だけで五千人、女と子供を加えるなら少なくとも一万人はいたと思われます。彼らは異邦人であるローマに税金を課せられ、生活は苦しく、貧しかったことでしょう。主イエスは彼らを憐れみ、御言葉を語り、多くの病人を癒されました。
 夕暮れになると、弟子たちは主イエスに、群衆を解散させ、めいめいが村へ食べ物を買いに行くように言いました。しかし、主イエスは「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われ、五つのパンと二匹の魚で彼らの胃の腑を満たしました。

 ユダヤでは食事を一緒にすることには大きな意味がありました。それは特別に親しい関係にあること、すなわち運命共同体であることを示しました。人種や文化や物の考え方、また身分、階級、教養が異なっていても、それらの相違を越えて一つとなったのです。主イエスは彼らをご自分の食卓に招かれました。
 たった五つのパンと二匹の魚で一万人以上の人々の胃の腑を満たしたこの出来事は、昔、モーセに率いられてエジプトを出てきたイスラエルの民のことを思い起こさせます。その数は成人男子だけで六〇万人と言われ、総数では二百万人を越えたと思われます(出エジプト一二:三七)。神は彼らをマナで養われました。それは約束の地に入るまで四〇年間続きました(出エジプト一六)。しかし、民は結局、荒野で滅ぼされてしまいました。約束の地に入ることが出来たのはごく僅かでした。何故でしょうか。彼らはエジプトの生活を恋しがり、絶えず神に不平不満を言ったからです。(民数記一四:二~四))。ああ、エジプトには美味しい肉鍋があった、家族の団欒があった、しかしここには何の楽しみもない、と(出エジプト一六:三)。それだけでなく彼らは異教の神モレクの神輿やライファンの星を担ぎ回り、また、金の子牛を造ってこれが我々を導く神だと礼拝したのです(使徒七:四〇~四三)。
 主イエスのところに集まって来た人々にも、これと同じことが言えます。彼らは主イエスにパンを求め、病人が癒されることを求めました。そして、ローマからの独立を求め、この世に神の国を建設しようとしました。人々は主イエスを自分たちの王にしようとしました(ヨハネ六:一五)。それは彼らの必要を満たす存在になるということで、その限りにおいて彼らは主イエスを王として敬うということです。かつてイスラエルの民がエジプトを恋い慕ったように、人々の思いもこの世のことだけでした。イスラエルの民が「約束の地」に目を向けることがなかったように、彼らもまた主イエスの説かれた「永遠の御国」に目が開かれることはありませんでした。主イエスはこのような彼らの思いをご存知で、一人、山に退かれたのです。主イエスがこの世に来られたのは、この世のパンを与えるためではなく、永遠に生きることのできる命のパンを与えるためでした。それは物質的な糧ではなく心の糧です。これこそわたしたちの心の深層にある飢え渇きを満たす「聖霊」です(ヨハネ四:一~四二)。多くの人たちは、このような主イエスに失望して去って行きました(同、五:三九~四〇)。十字架を前に、主イエスのもとに最後まで残ったのは僅かな人々に過ぎませんでした。「招かれる人は多いが選ばれる人は少ない」のです(マタイ二二:一四)。

 主イエスは渡される前夜、弟子たちと一緒に食事(「主の晩餐」)をされました(マタイ二六:二六~三〇、1コリント一一:二三~二五)。そこには「パンを取り」、「賛美の祈り」、「パンを裂き」、「弟子たちに与えられた」等の言葉に「五千人の給食」との類似点を見ることができます。しかし、弟子たちとの最後の晩餐には特別な意味があります。昔、ユダヤでは契約を結んだ者同志は、その後一緒に食事をする習慣がありました。主イエスは最後まで留まった弟子たちと契約を結ばれたのです。主イエスは神であるにもかかわらず、ご自身の命でもってわたしたちの罪を贖われました。十字架で流された罪のないその血は、わたしたちの罪を贖う契約の血となりました。この「契約」により、主イエスの贖いを信じ、自分の罪に死に、主イエスの命に生きるなら、わたしたちもまた復活に与ることが出来るのです。
 教会は御言葉を聴くことと聖餐を大切にしますが、聖餐において主イエスはその場にご臨在されると同時に、十字架の出来事をわたしたちに想起させます。大切なのは、わたしたちが今生きておられる主イエスとの食事に与るということだけでなく、二千年前の十字架の契約が確かであることを知ることです。

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