2005年12月18日日曜日

マタイ1章18~25節「その子はイエス」

第68号

最近続いて起こっている子供たちの痛ましい出来事は、わたしたちの心を暗くし、不安にさせます。今月の十日の川越市民クリスマスで、説教者の山岡磐牧師(日本基督教団初雁教会)は、大人が子供に話しかけることの出来ない社会が来るとは考えられなかった、とおっしゃっていました。わたしが小さい頃は、学校の帰りに寄り道をし、家に帰るのが遅くなることが度々でした。人を信用できない社会、それは神を信じることの出来ない社会でもあります。聖書には、終わりの日にはお互いの愛が冷えるとありますが、今日の社会を見ると、その時が近いのを知らされます(2テモテ三:一~三)。
 主イエスのお生まれになった時もまた暗い時代でした。イスラエルはローマの植民地でした。「ローマの平和」(Pax Romana)は武力で押さえつけられた平和でもありました。ユダヤを治めていたヘロデ大王もイドマヤ人で、しかも王の座を守るためなら何でもした人でした。そのような時代に主イエスはお生まれになったのです。

 ヨセフはまだ一緒にならない前に、婚約者マリアが身ごもったのを知りました。どれほど驚いたことでしょう。幾日も眠られぬ夜を過ごしたに違いありません。どうして、何故、といった問いがヨセフを苦しめたに相違ありません。婚約者に裏切られる、それは経験した人でなければ分からないかもしれません。マリアを人々の前に公にすることも出来ました。当時のユダヤでは婚約は、法的には結婚と見做されていました。告発すればマリアは裁かれ、その罪の故に死の判決が下されたでしょう。姦淫に対する裁きは今日では考えられないほど厳しかったのです。しかし、ヨセフはマリアを辱めず、命を救おうとしました。それは、生まれてくる子を自分の子と認めた上で、ひそかにマリアと離縁するということでした。「夫ヨセフは正しい人」とありますが、それは「やさしい人」、「思いやりがある人」の意です。しかし、離縁された身重のマリアはどうやって生きていくことが出来るのでしょうか。夫の、あるいは父や兄の経済的支えなしに生きていくことの出来なかった時代でした。それは今日にも言えるかもしれません。
 このように考えていたヨセフに夢の中で天使が現われ、生まれてくる子は聖霊によるものであり、神がその子の父である、それ故、恐れずマリアを妻としなさい、と言われました。
 ヨセフはこのように語る天使の言葉をさえぎって、聖霊によって身ごもるなんてそんな非科学的なことは信じられない、そのような女と結婚したくはない、と断っても世間的には充分正しい人であり得たのです。マリアと離縁し、他の人と結婚し、別の家庭を作ることも出来たのです。しかし、ヨセフは自分の考えを固辞せず、天使の言われたことを信じ、マリアを妻としたのです。

 ナザレの村を訪ねたことがありますが、丘の斜面に立てられた古い町でした。多分主イエスの頃とそれほど変わっていないのではないかと思われました。その時、顔を輝かせた少年イエスが弟や妹たちの手をとって走って来る姿が目に浮かびました。ヨセフとマリアの家庭は主イエスを中心に愛と信頼に満ちた家庭ではなかったでしょうか。ヨセフは主の御使いの言葉を聞いたときから、心の広い人に変えられていました。主イエスが一緒にいるということはそのようなことです。「インマヌエル」とは「主が共にいる」ということです。そして、イエスこそ、「自分の民を罪から救う」お方なのです。ヨセフはおそらく自分の本当の息子や娘よりも主イエスを愛したのではないでしょうか。主イエスが一二歳になった時の宮もうでの出来事がルカの福音書に記されています。主イエスがいなくなった時のヨセフの心配、そして見つかった時の安堵はどれほどのものであったでしょうか(二:四一~四八)。ヨセフは亡くなる時、主の御使いの言葉に従ってマリアと結婚したことを神に感謝したに違いありません。貧しく、苦労の多い生活であっても、主イエスが共にいてくださった生活は、満ち溢れるばかりの祝福に包まれたものだったからです。

 マリアは「聖霊」によって身ごもったということが二度繰り返されています(一八、二〇節)。主イエスはわたしたちの心にも宿られます。わたしたちの内に主イエスが誕生するなら主が共にいてくださる人生を送ることが出来るのです。それが「インマヌエル」です。主が一緒におられるので「わたしたちの罪は許されている」のです。人間の罪と悲惨さとは神から離れていることから生じます。
 この暗い時代に、一人でも多くの方が、わたしたちを罪から救って下さる主イエスを心に宿されるようにと祈ります。そして主が共にいて下さるというこの喜びを多くの人と共にクリスマスに共に分かち合いたいと思います。

2005年11月20日日曜日

マタイ11章20~30節「神に知られているわたしたち」

第67号

わたしたちは時にあの人は自分にとって好ましい、あの人は好ましくないと判断することがあります。どのような基準でそのように考えるのでしょうか。一つには「好ましい人」とは自分の思いどおりになる人のことを指すように思われます。民にとっての良い王とは自分たちの必要を満たしてくれる王です。子供にとっての良い母親は何でも言うことを聞いてくれる母親です。反対に「好ましくない人」とは自分の為に何もしてくれない人です。この世はお互いの栄光を求めます(ヨハネ五:四四)。民は王が自分たちの為に働く限り王として敬い、従います。しかし、自分たちの思うようにならないと反抗し、敵対することになります。
 しかしながら、本当の意味での良い母親は子供の言いなりにはなりません。子供が甘いものを求めても必要以上には与えません。主イエスもまた、人々がどのようなものであるかを良く「知って」いました。それ故、「人々が王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」のです(ヨハネ六:一五)。主イエスは人々の意向に常に沿う意味での王ではありませんでした。

  当時のイスラエルの人々は、メシアはイスラエルをローマの支配から開放して神の国とし、近隣諸国、ついには世界をご自身の支配下に置かれると考えていました。主イエスがメシアであるなら馬に乗って威風堂々と周囲を圧倒しながら来られ、律法を守らない民を裁かれる筈でした。しかし、主イエスがロバの子(謙遜、柔和、平和の象徴)に乗ってエルサレムに入城なされたことから分かるように、人々が考えるような王とは懸け離れていました(ヨハネ一二:一二~一五)。主イエスがどれほど貧しい人たちや弱い人たちの上に目を注がれようとも、又、奇跡を行おうとも彼らはメシアと認めることはできませんでした。
 かって神の人モーセはエジプトの王ファラオの前で多くの奇跡を行いましたが、ファラオはイスラエルの神を信じようとはしませんでした(出エジプト記五~一二章参照)。ファリサイ派の人たちも主イエスに「今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう」と言いました(マタイ二七:四二)。このような考え方では主イエスがどれ程奇跡を行おうとも神と認めることは出来ないでしょう。
 主イエスは「数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので」叱られました。ベトサイダよ、ゴラジンよ、そして、カファルナウムよ、お前たちは不幸だ。裁きの日にはわたしを知らなかった町々の人々よりあなたがたはもっと多く裁かれる。福音はファリサイ派の人々や律法学者などの知恵ある者、賢い者たちに隠され、貧しい者、弱い者に示されたのだ、と言われました。わたしたちは自分の知恵や知識、信仰によって、主イエスを知ることは出来ません。自分の力に頼らない幼子のような者だけが主イエスのところに来て救われるのです。

  主イエスを「知る」ということは知識ではありません。妻を、夫を「知る」といったように人格的なものです。それは「秘密がない」、「全てが露わ」にされるということで、主イエスと天の父との関係が良い例です。わたしたちは自分から神のところに来ようとはしません。自分の全てが神に知られてしまうと考えるからです。わたしたちは行いが悪いので、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないのです(ヨハネ三:一九~二〇)。しかし、神に「知られている」ということは、本当は心安らぐことなのです。実際、わたしたちは神の前に露わです。髪の毛の数まで「知られている」からです。わたしたちの全てが神に「知られている」ことを「知る」ことによって、わたしたちと神との間に初めて新たな人格関係が生まれます。主イエスとスカルの井戸のところで対話したサマリアの女が良い例です(ヨハネ四:一~四二参照)。この女にとっては初めての出会いであっても、主イエスはこの女の全てを御存知でした。犯して来た罪も含まれていました。「あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われたとき、この女は自分と話しているお方はメシアであることを知ったのです。同じようにナタナエルを弟子にする時、主イエスは彼に「あなたが…いちじくの木の下にいるのを見た」と言われました(ヨハネ一:四三~五一)。その前にナタナエルは主イエスに「どうしてわたしをし知っておられるのですか」と問いかけています。
 主イエスによって啓示される神は柔和で、謙遜なお方です。わたしたちの全てを御存知で、裁かれず、受け入れてくださるのです。罪の重荷に疲れている者、罪の重荷を負う者は主イエスのところに来ることによって救われるのです。神であるにもかかわらず主イエスはわたしたちの友となってくださり、重荷を代わって負ってくださるのです。

2005年10月16日日曜日

マタイ10章16~33節「だから、恐れるな」

第66号

 ある動物園の一角に覗き窓があり、そこに「世界で最も恐ろしい動物」という立て札が掲げてありました。覗くと人の姿が映りました。動物が人を殺すことはめったにありません。しかしながら、人類の歴史は戦争の歴史でもあります。どれほど多くの人が憎しみ合い、殺し合って来たか計り知れません。また、わたしたちは人を恐れて生きています。
 公式の席にネクタイを締めていなかったため、いたたまれない思いをした経験をお持ちの方がいるのではないでしょうか。皆と違った服装をしていただけでそのように冷や汗をかくくらいですから、人と違った考えを持ち、生きることは大変なことです。周りから浮き上がってしまうこともあるでしょう。そしてそれはキリスト教の信仰を持つ者にとってもいえます。せっかく教会に導かれて洗礼に至っても、そのことを知られないように生活する人もいます。信じることを心の問題とし、外側は普通の人と何ら変わらない生活をする人です。その結果、周りの人は長年一緒にいるにもかかわらず、その人がクリスチャンであることに気が付きません。
 信仰を持っていても人に伝えない、つまり行いの伴わない信仰は死んだ信仰です(ヤコブ書、特に二:一七)。もし、人前で信仰を言い表すならば親しい友が去っていくかもしれません。職場では仕事がしにくくなり、昇進に差し障りが出るかもしれません。また、家族の反対に会うかも知れません。主イエスへの信仰を告白するためには人を恐れる自分の心を克服しなければなりません。正しい信仰には不利益や迫害といった踏み絵がしばしば伴うのです。

 人への恐れを克服する唯一の道は「神への恐れ」を持つことです。それは死を見つめて生きるということでもあります。神だけが「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる」お方だからです。人は「体を殺しても、魂を殺すこと」はできません。人の手に落ちるより生ける神の御手に落ちることの方がもっと恐ろしいことなのです。
 「死ぬこととは人のことと思いきや、これ我のこととはこりゃたまらん」という川柳があります。死を考えないようにして生きるのが日本人です。神道の影響です。神道は死を「忌むべき」もの、「汚れ」として触れないようにしてきました。死から目をそむけて生きるその結果、人々は現世中心となり、刹那的、快楽的になるのです。「やれ打つな、ハエが手をする足をする」と小林一茶が詠ったように仏教は命の大切さを教えますが、人間も他の動物も同じ「いのち」と教えます。しかし、それでは牛や豚、鶏を殺してわたしたち人間の食用にするのに、何故、人は殺してはいけないのかが説明できません。キリスト教だけが、人は他の動物とは異なると教えます。それは人だけが神に「かたどり」「似せて」造られたからです(創一:二六、二七)。人だけが神の霊を心に宿すことができます(二:七)。人だけが永遠を思い、愛を求め、生きがいを求めるのです。ただ食べて、寝て、息をするだけでは生きているとはいえないのです。動物にとって死は単に偶然であり、必然ではあっても、人間にとって死はそれだけではありません。罪の結果が死であり、死は神の怒りだからです。死は人にとって神の前に立つ恐ろしい裁きとなるのです。
 神のことを考えずに自分のことだけを考えて生きることは良いことなのでしょうか。神の裁きである死を見つめて生きることはわたしたち人間にとって大切なことです。死を見つめることが生を見つめることであり、生を見つめることは死を見つめることでもあります。わたしたちは常に死に目を向けて生きなければなりません。アダムとエバはエデンの園で絶えず神の掟をみて生きていました(二:一六)。また使徒パウロもまた肉体にとげを与えられました(二コリント一二:七)。死を見つめることはわたしたちに神の存在を覚えさせ、正しく生きなければならないことを教えるのです。

 「だから、恐れるな」、それは固く神の「摂理信仰」に立つということでもあります。全ての出来事の背後には神がおられます(創三七~五〇章、ヨセフ物語)。この世の出来事は現象に過ぎません。「二羽の雀は一アサリオンで売られて」います。しかし神の「お許しがなければ、地に落ちることは」ないのです。わたしたちの「髪の毛までも一本残らず数えられて」います。これらのことは終わりの時に全てが明らかにされます。最後まで耐え忍ぶものは救われるのです。その時、主イエスを知らないと言う者は、主イエスもまたその人を知らないと言われます。神は生きておられます。主イエスを救い主と告白し、行動する者は永遠の命に導かれるのです。「だから、恐れるな」、人を恐れてはならないのです。神を恐れなければならないのです。

 

2005年8月21日日曜日

マタイ6章1~15節「主の祈り」

第64号

 
「主の祈り」は主イエスが弟子たちに「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい」と教えられたものです。二人以上のキリスト者の集まりで祈られ、公同の祈りとして教会の礼拝で用いられます。
 主の祈りは六つの祈願から成っています。前の三つは神に関することです。後の三つは人に関することです。

 まず、「天におられるわたしたちの父よ」との呼びかけで始まります。天地の創り主を「父よ」と呼びかけることのできる恵みを感謝したいと思います。神の霊を与えられることなしにすべての被造物の創造者である神を「父よ」と呼ぶことはできません(ロマ書八:一三~一七)。わたしたちの心に、「神の霊」、「キリストの霊」が宿っているのです。わたしたち自身の霊もまたそのことを証しています。子であれば相続人でもあります。キリストと共に神の国を継ぐことができるのです。
 天の父への呼びかけに続く最初の祈りは「御名が崇められますように」です。主イエスを信じる前、わたしたちは神の御名を崇めませんでした(ロマ書一:二一、二五)。自分自身が神でした。しかし、主イエスの十字架の贖いを知った時、自分の罪を知らされ、御名を畏れ、讃美するようになりました。アダムとエバの犯した罪によって虚無に落されてしまった被造物全体もまた御名を崇めたいと思っているのを知らされるのです(ロマ書八:二〇~二二)。
 二番目の祈りは「御国が来ますように」です。「御国」は神が王として支配する国です。それは罪が除かれている新しく創造された国です。この御国の完成こそがわたしたちキリスト者の最大の希望です。この王国は主イエスの来臨と共にもう既にはじまっております。わたしたちは新しいエルサレムである新天新地の一員としての自覚を持って生きることが大切です。
 三つ目の祈りは「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」です。神に関する最も大切な祈りで、主イエスもまた十字架に渡される前夜、ゲッセマネの園で、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈りました(マタイ二六:三九)。
 人に関する最初の祈りは「わたしたちに必要な糧(パン)を今日与えてください」です。モーセに率いられてエジプトを出たイスラエルの民は荒れ野で朝、一日分だけのマナが与えられました。主イエスは愚かな金持ちのたとえを語られました。その人は大きな蔵を建て生涯の食べ物を蓄えました。しかし、天の父は「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、いったいだれのものになるのか」と言ったのです(ルカ一二:一三~二一)。内村鑑三は「一日一生」のなかで、人は朝、生まれ、夜、死ぬ、と書いています。一日の苦労はその日一日だけで十分です。
 人に関する二つ目の祈りは「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」です。「負い目」とは本来なすべきことをしていないことを意味します(マタイ二五:四二~四三)。赦しには「悔い改め」が伴います。罪を告白し、悔い改めることによってはじめて和解が生まれます。神に自分の罪を赦してくださいと祈りながら、相手の自分への罪は赦さないとすることは出来ないのです。「赦すこと」と「赦されること」は不可分です。同時に、わたしたちは相手を「赦す」ことはできても受けた痛みを「忘れる」ことはできないことを知らなければなりません。
 人に関する三つ目の祈りは「誘惑にあわせないで下さい」です。「誘惑」とは悪魔が人を神から切り離そうとすることです。悪魔は人格を持った存在で、神に敵対し、この世を支配しています。悪魔との戦いは、神に委ねる外に勝ち目はありません。
 「主の祈り」の最後は「み国も力も栄光も、とこしえにあなたのものだからです」です。この箇所は福音書にはありません。教会の礼拝の祈祷文として唱えられるようになったとき、追加されたものと思われます。

 神学者バルトは人間の父性は神の父性に似せて造られた、と言います。独り子のイサクを神から焼き尽くす捧げものとするように求められたアブラハムの苦悩は、天の父が御子イエスを十字架につけた苦悩に通じます。主イエスはすべての人の罪を赦すために十字架に付けられ、神との和解を人々にもたらしました。信じる者は誰でも救われます。人種や国籍の違いはありません。先に救われた者は主イエスに感謝し、まだ救われていない者へのとりなしの祈りをするようになります。
 八月は初めて原爆が投下された月であり、日本の敗戦の月です。主イエスがもたらされた和解のため、平和のため祈りたいと思います。

2005年7月17日日曜日

マタイ5章1~12節「大きな報い」

第63号

 
 山上の説教の「幸福への八つの態度」はいずれも同じ形の文です。すなわち前文は「…は、幸いである」と現在形で、後文は未来形となっています。最初は「心の貧しい人」です。貧しいとは地位も名誉も財産もない人です。社会で踏みつけられ、見放され、頼ることの出来るのは神だけという人です。二つ目は「悲しむ人」です。地位、名誉、財産を失うのは悲しいことです。親しい友人、親族、配偶者を失うとき、そして、自分の死を前にして悲しむのです。三つ目は「柔和な人」です。それは問題を神に委ねることの出来る人です。ですから、うろたえたり、あせったり、怒鳴ったりしません。語源的には「貧しい」と同じですが、人や神に対しもっと積極的に対応しています。神に対して謙虚で、人に対しては堂々としているのです。四つ目は「義に飢え乾く人」です。「義」とは神との平和です。それは主イエスの十字架の贖いによるものです。「義」とは社会的な正義を求めるということでもあります。「義を行う人」という意味ではありません。五つ目は「憐れみ深い人」です。他の人の心の中に入ってものを見、考え、感じることの出来る人です。他者との間に対立、嫉妬、脅威がないということでもあります。わたしたちの他者への憐れみは神に憐れみを要求する権利とはなりません。神の憐れみを受ける立場であるが故に人にも憐れみ深くなるのです。六つ目は「心の清い人」です。自己中心でない、二心なく純粋に神の栄光を求める人です。七つ目は「平和を実現する人」です。平和はヘブル語で「シャローム」です。それは争いがないことを意味することはもちろん、それ以上の意味を持っています。体と心が満足している状態です。旧約聖書のソロモンの時代、外にも内にも敵がなく、災いがありませんでした。それが平和と繁栄を招いたのです(列王記上五章)。最後は「義のために迫害される人」です。上記の実行のために戦い、迫害される人です。そして上記文すべてに該当する「幸い」とは「神に祝福される」ということです。「幸い」が神の贈り物として与えられるのです。

 「幸福への八つの態度」は、主イエスが荒れ野の誘惑で悪魔に試みられたとき示された態度でもあります。そして、その態度は生涯変わることはありませんでした。荒れ野での悪魔の最初の誘惑は、最初は飢えによる死の問題でした。主ご自身四十日四十夜の断食で飢えられ、死の淵に立たされていました。その時悪魔は神の子なら石をパンに変えたらどうだと誘惑したのです。それは、主イエスご自身の問題のみならず、今日多くの人が抱える問題でもあります。しかし、主イエスはご自分の意志で石をパンに変えられませんでした。あくまで天の父の御心に従うことをを優先されました。ご自分を無にして天の父の御心に委ねられ、わたしたち人間のあるべき模範となられました。ご自分のすべてを棄てられ二心なく天の父に仕えられた主イエスは、天の父との間に完全な平和がありました。主イエスこそ「心の貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢え渇く人」、「憐れみ深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」でした。しかし、そのすべてが人々の主イエスへの迫害につながり、十字架の死でご生涯を終えられたのです。

 主イエスはガリラヤの湖畔で、ペトロ(シモン)とアンデレ、そしてヤコブとヨハネに会うと「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしよう」と言われました。弟子たちにとって主イエスに従うことは大きな「決断」でした。それは「回心」であり、それまでの生き方の「悔い改め」でした。旧約聖書においては、救われるためには神殿礼拝、安息日の厳守、そしてシナゴグ(ユダヤ人会堂)での聖書の学びなどが義務づけられていました。新約聖書でも教会での礼拝、良い行い、そして聖書の学びが義務としてわたしたちに課せられています。しかし、それも大切ですが、もっと大きなことで、真の「幸い」は主イエスを「信じ」、「従う」ことにあります。それには主イエスを愛しているかどうかが問われます。それは主イエスと生きた交わりを持っているかどうかということであり、主イエスがあなたと共におられるかどうかということです。主イエスの御言葉に耳を傾け、その声を聴きながら生きることは、永遠のいのちの確かさの中に生きることでもあります。なぜなら主イエスは死んで甦られたお方だからです。それは、死とその力による恐怖から自由にされていることです。そのように主イエスに従った人は、主イエスの態度に似た者に変えられていきます。従って「幸福への八つの態度はわたしたちの態度でもあります。迫害と共に、「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には『大きな報い』がある」という約束が確かなものとして与えられているからです。

 

2005年6月19日日曜日

マタイ5章1~12節「大きな報い」

第62号

 
山上の説教の「幸福への八つの態度」はいずれも同じ形の文です。すなわち前文は「…は、幸いである」と現在形で、後文は未来系となっています。最初は「心の貧しい人」です。貧しいとは地位も名誉も財産もない人です。社会で踏みつけられ、見放され、頼ることの出来るのは神だけという人です。二つ目は「悲しむ人」です。地位、名誉、財産を失うのは悲しいことです。親しい友人、親族、配偶者を失うとき、そして、自分の死を前にして悲しむのです。三つ目は「柔和な人」です。それは問題を神に委ねることの出来る人です。ですから、うろたえたり、あせったり、怒鳴ったりしません。語源的には「貧しい」と同じですが、人や神に対しもっと積極的に対応しています。神に対して謙虚で、人に対しては堂々としているのです。四つ目は「義に飢え乾く人」です。「義」とは神との平和です。それは主イエスの十字架の贖いによるものです。「義」とは社会的な正義を求めるということでもあります。「義を行う人」という意味ではありません。五つ目は「憐れみ深い人」です。他の人の心の中に入ってものを見、考え、感じることの出来る人です。他者との間に対立、嫉妬、脅威がないということでもあります。わたしたちの他者への憐れみは神に憐れみを要求する権利とはなりません。神の憐れみを受ける立場であるが故に人にも憐れみ深くなるのです。六つ目は「心の清い人」です。自己中心でない、二心なく純粋に神の栄光を求める人です。七つ目は「平和を実現する人」です。平和はヘブル語で「シャローム」です。それは争いがないこと以上を意味します。体と心が満足している状態です。旧約聖書のソロモンの時代の平和は、外にも内にも敵がない、災いがありませんでした。それが平和と繁栄の時代を招いたのです(列王記上五章)。最後は「義のために迫害される人」です。上記の実行のために戦い、迫害される人です。そして上記文すべてに該当する「幸い」とは「神に祝福される」ということです。「幸い」が神の贈り物として与えられるのです。

 「幸福への八つの態度」は、主イエスが荒れ野の誘惑で悪魔に試みられたとき示された態度でもあります。そして、その態度は生涯変わることはありませんでした。荒れ野での悪魔の最初の誘惑は、最初は飢えによる死の問題でした。主ご自身四十日四十夜の断食で飢えられ、死の淵に立たされました。その時悪魔は神の子なら石をパンに変えたらどうだと誘惑したのです。それは、断食で飢えた主イエスご自身だけでなくパレスチナの多くの人の問題でもあり、今日の問題でもあります。しかし、主イエスはご自身の意志で石をパンに変えられませんでした。あくまで天の父の御心に従うことをを優先されました。自分を無にして天の父の御心に委ねられ、わたしたち人間のあるべき模範となられました。主イエスは御自分のすべてを棄てられ二心なく天の父に仕えられ、天の父との間に完全なに平和がありました。主イエスこそ「心の貧しい人」、「悲しむ人」、「柔和な人」、「義に飢え渇く人」、「憐れみ深い人」、「心の清い人」、「平和を実現する人」でした。しかし、そのすべてのが人々の主イエスへの迫害につながり、十字架の死で生涯を終わられました。

 主イエスはガリラヤの湖畔で、ペトロ(シモン)とアンデレ、そしてヤコブとヨハネに会うと「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしよう」と言われました。弟子たちにとって主イエスに従うことは大きな「決断」でした。それは「回心」であり、それまでの生き方の「悔い改め」でした。救いは旧約聖書においては義務として神殿礼拝、安息日の厳守、そしてシナゴグ(ユダヤ人会堂)での聖書の学びがありました。新約聖書でも教会での礼拝、良い行い、そして聖書の学びが義務としてわたしたちに課せられています。しかし、それも大切ですが、もっと大きなことで、真の「幸い」は主イエスを「信じ」、「従う」ことにあります。それには主イエスを愛しているか、主イエスの御言葉に耳を傾け、その声を聴きながら生きているかどうかが問われます。それは主イエスと生きた交わりを持っているかどうかということであり、主イエスがあなたと共におられるかどうかということです。このように語りかける主イエスを知っているということは、永遠のいのちの確かさの中に生きることでもあります。なぜなら主イエスは死んで甦られたお方だからです。それは主イエス自身の約束が確かなものとされていることを知ることだからです。主イエスの言葉を聴くことは、永遠の命の確かさを知っているということであって、死とその力による恐怖から自由にされることです。それこそ「喜びなさい。大いに喜びなさい。天には『大きな報い』がある」ということなのです。

2005年5月15日日曜日

コリント二12章1~10節「わたしの恵みは十分である」

第61号


「誇り」は自分を高くし人を低くします。わたしたちは自分は頭が良いと誇り、また名誉、地位、財産を誇ります。信仰に熱心な人はそのことを誇ります。人は神に対してですら誇り、神を神と認めず、自らを神として生きようとします。サタンは人類の祖先であるアダムとエバを誘惑し、「神のように善悪を知るものとなる」と言いました。(創世記三:四)。そのサタンも「わたしは天に上り…いと高き者のようになろう」と高慢になり、天から地に落されました(イザヤ一四:一三~一四)。

 パウロの誇りは何だったのでしょうか。それは他の人にはない宗教体験にありました。彼は楽園(口語訳、パラダイス)にまで引き上げられ、そこからまたこの世に戻って来たのです(二~四節)。「楽園」と言う言葉は新約聖書ではこの他二箇所で使われています。その一つは主イエスが一緒に十字架につけられ犯罪人の一人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と約束された箇所です(ルカ二三:四一~四三)。パウロはここで「楽園」のことを「第三の天」とも呼んでいます。それは当時、人々は天は三層からなっており第三層は神の臨在するところと考えていたからです。時代によって天は五層、七層あると考えられました。いずれにせよ楽園は死ななければ行くことはできないところです。その楽園でパウロは「人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にした」と言います(四節)。パウロは楽園は確かに存在し、主イエスの約束は確かなことを知りました。それはわたしたちの復活の確かさをも教えます。楽園を知ったことはパウロにとって宣教への大きな力となったことでしょう。しかし、このような素晴らしい体験は人間的な誇りにもなったことは間違いありません。

 わたしたちの人生に何故、苦痛、苦難があるのかは大きな疑問です。しかし、ダビデは「苦しみ(苦痛、苦難)にあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」と言いました(口語訳、NIV等、詩一一九:七一)。ダビデは他人の妻バト・シエバを自分のものにし、彼女の夫、ウリヤを殺しました。預言者ナタンの叱責により、ダビデははじめて自分の罪に気がつき、悔い改めました。神はダビデの罪を許されましたが、ダビデは自分の蒔いた罪の結果を刈り取らなければなりませんでした(サムエル下一二章)。ダビデの苦痛、苦難は彼を敬虔な品性に練り上げました(サムエル下一二:一~二二、詩五一編)。
 ヨブに起こったことはもっと複雑です。ヨブは「人は女から生まれ、人生は短く苦しみは絶えない」と言いました(ヨブ一四:一)。苦痛、苦難を受けることによって、いかに義人であっても神の前に立てないことを知りました。そして神と自分との間に立って調停をして下さるお方、すなわち主イエスを求めました(同九:三二b~三三)。
 エドウィン・ライシャワー博士はアメリカの在日大使として有名でしたが、博士の両親は日本への宣教師でした。夫妻に二人の男の子の後、女の子、フェリシアが生まれましたが、彼女が一歳になった時、高熱のため聴力が失われてしまいました。この夫妻の受けた大きな苦痛と苦難は、日本での使命の達成のために必要なことでした。この癒され難い傷は日本に奉仕するための「恵みの棘(とげ)」となり、彼らの祈りによって「日本聾話学校(ライシャワー・クレーマー学園)」が設立されました。
 パウロの身に刺さった「棘」は何だったのでしょうか。それは彼に肉体的、精神的な苦痛をもたらしただけでなく、伝道者として致命的とも思えるものだったに違いありません。パウロは三度それを去らせてもらうよう主に願いました。しかし、彼の願いは聞き入れられませんでした。それは彼が常に謙虚な使徒であるために必要なことだと言うのです。

  主イエスは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました(九節)。主イエスご自身、神でありながら弱い人間の体をとられてこの世に来られました。わたしたちは主イエスの十字架への歩みの中に神の力が秘められているのを見ます。主イエスはわたしたちにも自分の十字架を負い主イエスに倣ってこの世で苦痛、苦難の道を歩むよう求められます(マタイ一六:二四)。わたしたちにはその力はありません。しかし、主イエスの愛に応え、主と共に歩もうとする時、主イエスの力がわたしのうちに宿るのです。「(わたしのうちに)宿る」は原義では「テントの中に宿る」です(九節)。テントは丈夫な建物ではありません。この弱い体のわたしたちに対しても主イエスが宿るなら「わたしの恵みは十分である」と言われるのです。

2005年3月20日日曜日

コリント二7章2-16節「御心に適った悲しみ 」

第60号

 
 人は誰でも出来ることなら「悲しみ」に会わず、毎日楽しく暮らしたいと思っています。しかし、現実の生活で「悲しみ」を避けて通ることは出来ません。悲しみの極みは死ですが、その死を人は避けて通ることはできません。聖書には、イスラエルの王ダビデは、三男アブサロムによって殺された長子アムノンを悼み続けたとあります(サムエル記下一三:三七)。そのアブサロムも殺されました。ダビデは「わたしの息子アブサロムよ、…わたしがお前に代わって死ねばよかった…」と身を震わせて泣きました(一九:一)。族長ヤコブも溺愛していた息子のヨセフが死んだと聞かされ、幾日もその子のために嘆き悲しみ、慰められることを拒みました(創世記三七:三四~三五節)。
 死だけでなく人は持っている地位、名誉、財産、そして健康を損なうとき悲しみます。裏切りに会ったとき、失恋したとき、友が去っていくとき悲しみます。罪を犯したとき、そして、鍛錬に会うときそれを悲しいものと思うのです(ヘブライ一二:一一)。

 パウロは「神の御心に適った悲しみは…悔い改めを生じさせ、この世の悲しみは死をもたらします」と述べています。彼は第二回伝道旅行のとき一年半コリントに滞在し、その働きによって教会が建ちました。しかしながら第三回伝道旅行でエフェソに三年滞在している間、コリントの教会には、ユダヤ主義者が入り込んで来ました。彼らはエルサレム教会の指導者を自らの権威とし、彼らの教えを根拠としました。その教えは主イエスの福音に律法の遵守を必要条件としたもので、パウロの教えとは異なるものでした(ガラテヤ二:一一~一四)。主イエスの十字架によって与えられた自由を再び律法の下に拘束するものでした。彼らはパウロを非難し、彼の持っている使徒の権威を否定しました。そして教会を私物化し、集めているエルサレムの聖徒への募金を横領しているなどと中傷したのです。彼らの扇動により、コリント教会の人たちはパウロとその教えから離れて行きました。パウロはそれを知りどれほど悲しんだことでしょう。彼らを訪問してさとし、いわゆる「涙の手紙」を書き、そしてテトスを派遣しました。パウロはエフェソからトロアスに行き、そこからマケドニアに渡り、テトスの帰来を待ったのです。そのときパウロは「身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました」。テトスが戻って来たときパウロはどのような気持だったでしょうか。テトスはパウロに、コリントの人たちが涙を流して悔い改めているというのです。彼らはパウロに敵対する人たちとその影響を断ったといいます。それこそパウロが祈り、待ち望んでいたことだったのです。それを聞いたパウロの喜びはどれほどのものだったことでしょう。

 罪を犯したキリスト者は悔い改めが必要です(Ⅰヨハネ一:一〇)。主イエスを銀三〇枚で売った十二弟子の一人ユダはそのことを後悔しましたが、悔い改めることをしませんでした。そして自分で自分の命を絶ちました。ペトロは三度も主イエスを否みましたが、悔い改め、主イエスのところに立ち返りました。黙示録には小アジアの七つの教会の内、四つまでが悔い改めを求められています(二、三章)。
 神との和解は悔い改めによって生まれます。そうすることによって、人は神との正しい関係を取り戻します。そして、それによってはじめて人間相互の和解もまた可能になります。パウロもまたコリントの人たちが悔い改めることによって、彼らと和解することができました。それには不正を行った者を罰することと、自分の不正な態度を悔い改めることが含まれます。中途半端な和解は問題の解決とはなりません(アモス三:三)。
 わたしたちは悔い改める前と後では変わります。それまで自分のものであったのが主イエスのものとなり再び与えられるからです。そこには新しい関係が生まれるのです。アブラハムは百歳になって与えられたサラとの独り息子イサクを神に返すことによって再びその子を得ました。。ダビデは後継者アムノンとアブサロムを失いましたが、ソロモンを得ました。、ヤコブは死んだと思っていたヨセフがエジプトで生きているのを知りました。主イエスを否んだペトロは復活の主イエスから「わたしの羊を養いなさい」と言われました。同じことはわたしたちにもいえるのです。主イエスのために「家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」のです(マタイ一九:二九)。
 わたしたちは神の「御心に適った悲しみ」を経験することによって、もはや揺り動かされることのない永遠の命に至るまで継続する、堅固なものを再び得るのです(ヘブライ一二:二七)。それがキリストにある新しい交わりなのです。

2005年2月20日日曜日

コリント二4章16-5章10節「転移ある永遠の住みか」

第59号

 
 二月十一日、大宮教会で「信教の自由と平和を求める」集会がありました。講師は都公立中学校教員の飯島信先生。先生は学校で生徒たちに「パン、平和、土地」のうち、どれが最も大切だと思うかと質問したそうです。するとどのクラスでも三分の二以上の子供たちが「平和」と答えたと言います。先生は「パン」と答えると思っていたのでその結果に驚かれたそうですが、多くの人はこの答えに共感するのではないでしょうか。しかし、今日、教育の現場ではこれとは違った意味での平和を求めているようです。平和は軍事力の均衡によってもたらされるとし、軍備の増強によって近隣諸国の脅威に対抗しようとしています。その結果、戦える人、国家のために命を捨てることが出来る若者の育成を考えているそうです。個人より公共の幸せを考える公民思想が教育の方針となり、このような国家主義の具体的な表れが、君が代斉唱、国旗掲揚ということになっているようです。明治のキリスト者、内村鑑三は日清戦争では戦争やむなしの考えでしたが、戦勝後の社会道義の低下、軍人の慢心などの弊害を見、日露戦争では非戦論を唱えました。わたしたちもまたこの内村鑑三に見習わなければならないと思います。

 パウロは人を「内なる人」と「外なる人」に分けて考えています。「内なる人」とは何なのでしょうか。以前NHKテレビで、大江健三郎氏が若者に「二つの目で外の世界を見ているこの『わたし』とは何なのでしょう」、と問いかけていました。貧しく、生きるのが困難な時代には却って自分の存在が意味を持っていたかもしれません。今日、多くの人が精神科の窓を叩き、わたしが何者なのかを教えてください、というのです。ただ食べ、寝て、息をしている存在は決して生きていることにならないからです。わたしたちは、自分以外の者、すなわち神から自らの存在の意味を問われています。従って、この問いに正しく答えることが出来るまで心は安らぐことはありません。パウロは「内なる人」である「わたし」は、「外なる人」である「身体」を住みかとしていると言っています。「外なる人」は「幕屋」、すなわちテントです。テントは仮の住みかです。すぐに古び、雨漏りや隙間風が入ってきます。わたしたちの身体もまたすぐに、目や耳が衰え、髪や歯が抜けてくるのです。わたしたちは死ななければならない存在です。そのとき「内なる人」は一体どうなるのでしょうか。
 多くの人は「外なる人」の終わりは同時に「内なる人」の終わりと考えます。生まれる前にもどるのです。ある人はいや「外なる人」が滅びても「内なる人」は生き続けると考えます。昔ギリシャの人たちはそのように考えていました。霊だけの世界があり、そこに入ると信じていたのです。わたしたち日本人も「草葉の陰で見ている」と言うような表現をします。わたしが死んでもあなたを見守っている。だから強く正しく生きなさいということです。古代エジプトの人たちは「内なる人」が死に旅立ってもいつかまた「外なる人」のところに戻ってくると考えました。そのため「外なる人」をミイラにしました。
 キリスト教はどうでしょうか。パウロは「地上の『幕屋』を脱いでも『裸』のままではいない」、「神によって『建物』が備えられている」と言います。それは復活の新しい身体で、神による新しい「人」の創造です。それは美しく、永遠に朽ちない身体です。

 わたしたちはこの復活の希望によって救われています。希望は「ある」ことが前提となっているのです。わたしたちは何故死を恐れるのでしょうか。肉体的な苦痛でしょうか、愛するものとの永遠の別れでしょうか、無に帰することでしょうか。そうかもしれませんが、本当の理由はわたしたちは神の前に立って、裁きを受けることを恐れているのではないでしょうか。この世でしてきたことの総決算をしなければならないからです。希望と同じように信仰もまた目に見えないものを「ある」と確信することです。「苦しみもだえている」、それは今、「天にある永遠の住みか」を持っていないからに他なりません。主イエスはわたしたちに身体の復活を約束され、ご自身がその初穂となられました。主イエスは今も生きておられます。「神は、その保証として(ご自身の)“霊”を(わたしたちの心に)与えてくださったのです」。聖霊はまだ自分のものとなっていない新しい「外なる人」が与えられることの手付金です。
 この世の為政者たちが若者たちに、パンのため、平和のため、土地のために命を捨てることを求める時代が来るのを許してはなりません。心の、そして世界の平和を求めるには主イエスのところに来る以外にはないのです。わたしたちに「天にある永遠の住みか」を約束されているのは主イエスだけだからです。

2005年1月16日日曜日

ルカ11章5-13節「門をたたきなさい」

第58号

 〈埼玉(二区)新年合同礼拝〉

 主イエスは、どのように祈ったらよいのかとの弟子たちの求めに応じて、「主の祈り」を教えられました。そして引き続きたとえ話をされました。
 友人が真夜中に立ち寄りました。パレスチナでは、旅行者は熱い日中を避け、日が陰ってから旅をしました。何か起こるとすぐに真夜中になってしまいます。その家には突然着いた友人に食べさせるパンはありませんでした。人々は一日必要な分だけのパンを朝焼いたからです。それで別の友人の家までパンを借りに行ったのです。
 このたとえ話の前提となっているのは、「あの人のところには必ずパンがある」ということと「それが唯一の解決方法」だということです。わたしたち日本人の多くには慎み深い、淡白、潔い、気が弱い、無理強いは嫌い、遠慮がちといった言葉が当てはまります。ですから、その人のところにいく前から「今時分行ったのでは悪い」、「起きていればいいのだが」という気持があります。友人の家に着いても遠慮がちに声をかけます。しかも、中から「面倒をかけないで下さい。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけには行きません」という声がすれば、きっと驚いて、来なければよかった。立ち寄った友人には我慢してもらおう、とすぐにあきらめて帰ってしまうでしょう。しかし、この人は決してあきらめませんでした。与えられるまで戸をたたき続けたのです。

 主イエスは祈りは簡単にあきらめてはならないと言われるのです。「執拗に頼みなさい」、与えられるまで「門をたたきなさい」、そうすれば必要なものは何でも与えられると言われます。事実、生前、主イエスのところに来て断られた人はいませんでした。病気の人、体の不自由な人、その全てが癒されたのです。中には一見断られたように見える人もいます。例えばシリア・フェニキアの女の人は、娘が悪霊にひどく苦しめられていたため、主イエスのところに来て癒してほしいと頼みました。すると、主イエスは自分はイスラエルの民に遣わされているのだと答えられました。それに対しこの女は、小犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです、と答えました。主はこの女の信仰をほめ、癒されました(マタイ一五:二一~二八)。主イエスはこの女の願いを拒絶されたのではなく、謙虚な信仰を試されたのです。

 主イエスはわたしたちに何が第一に必要かを教えられています。それは聖霊です。その霊によってわたしたちの「死ぬはずの体をも生かしてくださる」からです(ロマ八:九~一一)。聖霊によってわたしたちの体は聖なる宮となり、神がわたしたちを支配するようになります。わたしたちは「神の国」の民となるのです。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」のです(マタイ六:三三)。
 パンはわたしたちの飢えを癒します。同じように聖霊はわたしたちの心の飢えを癒すのです。水のたとえと同じように永遠の命の糧となるのです(ヨハネ四:一三~一四)。
 ルカの福音書には「放蕩息子」のたとえが書かれています(一五:一一~三二)。父から財産を分けてもらった息子は遠い外国に行き、そこで放蕩の限りを尽くし財産をすべて使ってしまいます。そして飢饉が起こるのですがこの息子には食べるものがありません。そこで初めて父親を思い起こします。そこにはたくさんのパンがあるからです。帰ってきた息子を遠くから見つけた父親は飛んで行って食事だけでなく必要なものをすべて与えます。このたとえの前提もまた「あの人のところには必ずパンがある」ということと「それが唯一の解決方法」だということです。

 主イエスはわたしたちの心の扉をたたいておられます。わたしたちが扉を開けるなら入って来て一緒に食事をされるのです(黙三:二〇)。聖霊を与えることは天の父の御心なのです。わたしたちの周りには人生という旅の途中に立ち寄った多くの友人がいるのではないでしょうか。真夜中、それは光のない世界で、心の飢え渇きに苦しんでいることを示しています。わたしたちもまた「あの人のところには必ずパンがある」ということと「それが唯一の解決方法である」ことを知らされています。今は恵みの時、救いの時です。しかし、ノアの洪水の時のように、世界は暴虐に満ちています。主イエスの再臨の日は近いのです。終わりの日が来るまでにわたしたちは執拗に祈り続けることが求められています。教会が霊に満たされ、リバイバルが起こること、そして家族、友人、隣人のために祈ることです。祈り続けることをわたしたちのこの一年間の課題にしようではありませんか。