第61号
「誇り」は自分を高くし人を低くします。わたしたちは自分は頭が良いと誇り、また名誉、地位、財産を誇ります。信仰に熱心な人はそのことを誇ります。人は神に対してですら誇り、神を神と認めず、自らを神として生きようとします。サタンは人類の祖先であるアダムとエバを誘惑し、「神のように善悪を知るものとなる」と言いました。(創世記三:四)。そのサタンも「わたしは天に上り…いと高き者のようになろう」と高慢になり、天から地に落されました(イザヤ一四:一三~一四)。
エドウィン・ライシャワー博士はアメリカの在日大使として有名でしたが、博士の両親は日本への宣教師でした。夫妻に二人の男の子の後、女の子、フェリシアが生まれましたが、彼女が一歳になった時、高熱のため聴力が失われてしまいました。この夫妻の受けた大きな苦痛と苦難は、日本での使命の達成のために必要なことでした。この癒され難い傷は日本に奉仕するための「恵みの棘(とげ)」となり、彼らの祈りによって「日本聾話学校(ライシャワー・クレーマー学園)」が設立されました。
パウロの身に刺さった「棘」は何だったのでしょうか。それは彼に肉体的、精神的な苦痛をもたらしただけでなく、伝道者として致命的とも思えるものだったに違いありません。パウロは三度それを去らせてもらうよう主に願いました。しかし、彼の願いは聞き入れられませんでした。それは彼が常に謙虚な使徒であるために必要なことだと言うのです。
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