第60号
死だけでなく人は持っている地位、名誉、財産、そして健康を損なうとき悲しみます。裏切りに会ったとき、失恋したとき、友が去っていくとき悲しみます。罪を犯したとき、そして、鍛錬に会うときそれを悲しいものと思うのです(ヘブライ一二:一一)。
わたしたちは悔い改める前と後では変わります。それまで自分のものであったのが主イエスのものとなり再び与えられるからです。そこには新しい関係が生まれるのです。アブラハムは百歳になって与えられたサラとの独り息子イサクを神に返すことによって再びその子を得ました。。ダビデは後継者アムノンとアブサロムを失いましたが、ソロモンを得ました。、ヤコブは死んだと思っていたヨセフがエジプトで生きているのを知りました。主イエスを否んだペトロは復活の主イエスから「わたしの羊を養いなさい」と言われました。同じことはわたしたちにもいえるのです。主イエスのために「家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」のです(マタイ一九:二九)。
わたしたちは神の「御心に適った悲しみ」を経験することによって、もはや揺り動かされることのない永遠の命に至るまで継続する、堅固なものを再び得るのです(ヘブライ一二:二七)。それがキリストにある新しい交わりなのです。
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