2006年8月20日日曜日

マタイ24章1~35節「天地は滅びる」

第76号

マタイによる福音書二四章は小黙示録と呼ばれています。「黙示」とは黙していることが示されることであって「終末に関すること」です。聖書によればこの世の終わりは神によって決定されています。「この世」を創られた神が「この世」に終わりを来たらせるのです。
 旧約聖書の「ノアの洪水」の物語には、神が古い世界を滅ぼされたのは「地が暴虐に満ちていたから」とあります(創世記六章)。神がソドムとゴモラの町を滅ぼされたのも同じ理由でした(創世記一八~一九章)。
 預言者サムエルは、隣国からの脅威に対抗するため王制を求めた民にこのように警告しました。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ…」る(サムエル記上八章一〇~一八節)。
 王国はソロモン王の後、北王国と南王国に分裂しました。多くの王は神に代わって自ら国の主権者となり、神に罪を犯しました。神は北王国イスラエルをアッシリアに、南王国ユダをバビロニアに渡して滅ぼされました。「神が民を滅ぼされたのは民の罪の故」でした(列王記下一七、二四章)。
 主イエスは紀元七〇年のエルサレムの滅亡と神殿の崩壊について預言し、「神の訪れてくださる時をわきまえなかった」彼らの罪の故であると言われました(ルカ一九:四四)。
 神がこの天地を滅ぼすのはわたしたちの罪の故で、そのことが終末に起こることであるなら、わたしたちの平和への努力には一体どんな意味があるのでしょうか。将来、良い世界が訪れることを願って、わたしたちは平和のために努力するのではないでしょうか。

  この世の悪の勢力と戦うためには武力の行使もやむ終えないとする相対的平和主義の立場を取る人が多くいます。二〇〇一年、ニューヨークの貿易センタービル崩壊で、ブッシュ大統領はテロとの戦いを戦争と呼びました。今日、アメリカでは福音派(エバンジェリカル)、原理主義者(ファンダメンタリスト)のキリスト教が力を得、ブッシュ政権を支えていますが、自国を神の側につけ、敵対するものを悪としています。このような聖書理解はアメリカの国益にも沿うものでしょう。同盟国イスラエルへの徹底的な支援も聖書の言う「神の国」を来たらせる道と信じているようです。
 アメリカの多くの人たちは自分たちの豊かさは神の祝福と信じ、神に感謝していますが、世界の貧しい国々の実情についてはほとんど知らないようです。イラク戦争は核疑惑とサダム・フセインの圧政から国民を救うためというものでしたが、実際にはそれは介入のための大義名分だったと思われています。アメリカはこれら貧しい国の資源を搾取して自らの豊かさを享受しています。世界は豊かな国と貧しい国、善と悪とに分けられていることが、様々な対立やテロの原因となっているのではないでしょうか。

  日本は戦前、政治家と軍部は天皇を神として、隣国に利権を求め、武力により満州国を建設し、朝鮮や台湾を植民地にしました。
 一九三七年、内村鑑三の門下生、矢内原忠雄は中央公論に『国家と理想』と題して「正義と平和こそ国家の理想、これを失った国家と民族は滅びる」と書きました。そして同じ年、藤井武記念講演会で、「我々のかくも愛した日本の国の理想、或は理想を失った日本の葬りの席であります。…若しわたしの申したことが御解りになったならば、日本の理想を生かすために、ひと先づ此の国を葬って下さい」と述べ、東京帝国大学教授の地位を追われました。
 その八年後、一九四五年八月六日、原爆が広島に、九日には長崎にも投下され、十五日、日本は遂にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしました。中国東北戦争から太平洋戦争の十五年に渡る長い戦争により、三百万以上の人が死にました。広島と長崎は一瞬にして壊滅し、二十四万人と十二万二千人が亡くなりました。中国人、一千万人以上、他のアジアの国々の人々、一千万人以上が犠牲となりました。
 わたしは絶対的平和主義の立場に立ちます。このことは隣国から侵略されないことを保証するものではありません。平和の戦いは忍耐と苦難、そして多くの命の犠牲を伴うものです。
 主イエスは「神と人との和解」のためにご自身の命を捧げられました。それによってわたしたちは御国の住民とされました。それ故わたしたちも「人と人との和解」のために命を捧げることが求められていると思います。このようなわたしたちにとって、敗戦によって与えられた日本の平和憲法には特別な意味があると信じます。
 「天地は滅びる」、それは平和のための努力が無に帰するのではなく、神の子たちに新しい天と新しい地が用意されているということです。

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