2010年2月21日日曜日

ペトロ二1章16-21節「預言の言葉」

第118号
 
 ペトロの手紙二の著者は伝統的には主イエスの十二弟子の一人、使徒ペトロと言われています。しかし、書かれている内容はもう少し後の時代のことなので、使徒ペトロを著者とするには無理があるようです。一三〇年から一五〇年頃に書かれたものと思われます。執筆した場所は不明です。教会全体に宛てた公同の書簡で、その背景には、主イエスは何時になったら再臨されるのか、本当に天から降って来られるのか、と疑う人が当時の教会に多くいたからです。復活や昇天と同じく主イエスの再臨は、この世の常識に反しているため、信じるのが難しかったのです。このことは今日の教会においても言えます。この手紙はそれに対して、主イエスの再臨の確かさを証しするものとなっています。

ペトロはそのために、「わたしたちは主イエスの威光を目撃した」と言います。主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登りました。そこで「主イエスの姿が彼らの目の前で」変わったのです(参照、マタイ一七章)。「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く」なりました。そして「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り」合いました。その時、「荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。
 もしこれがペトロだけの経験であれば、人はそれを「巧みな作り話」と退けることもできます。しかし、「わたしたち」とペトロが言っているように証人は複数なのです。
 しかし今やこのような主イエスの証人であった使徒や弟子たちの多くは迫害のため殉教し、残された者たちもまた高齢化していました。ペトロ自身も「自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないのをよく承知して」いたのです。それゆえ、世を去る前に自分たちが語ったことは全て事実であると伝えておかなければなりませんでした。
 ペトロたちはこのように聖なる山で主イエスの神的性質を見ましたが、それによって彼らは主イエスが神であると信じたわけではありません。しかし、十字架と復活、昇天、ペンテコステの出来事、その後の様々な経験を積むことによって少しずつ聖なる山の出来事の意味を知るようになりました。主イエスの変貌の姿は天から降って来られるであろう主イエスの御姿に重なるようになりました。再臨の約束は確かなものとなったのです。

  わたしたちは創造者なる神の存在を信じることができます。そして神は愛の神であって、主イエスがその神の愛の体現者であることも信じることができます。しかし、それにも拘らず本当の意味でわたしたちが神の存在を信じることができるのは、あくまで神との出会いを通してです。それは主イエスの御言葉とそれに伴う御臨在の確かなことによるものです。
 ペトロは聖なる山で神の御臨在に預かりました。その時「ペトロは、どういえばよいのか分からず」、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と言いました。ペトロはこのような出来事が起こったこの場所を特別な所としたかったのでしょう。この場所で礼拝するなら誰でも神の御臨在に預かれるようになると無意識にでも思ったのかも知れません。しかし、それに対する天からの声は「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言うものでした。
 信仰は、あくまで神から人への働き掛けです。わたしたちの方から神に近づくことはできません。わたしたちに出来るのは主イエスの声に聞くと言うことです。マルタとマリアがそのよい例です(ルカ一〇章)。マルタは家に迎え入れた主イエスと弟子たちをもてなすために忙しく、取り乱してしまいました。主イエスのところに行き、足元で話に耳を傾けているマリアに自分の手助けをするように言ってほしいと頼みました。それに対し主イエスは「必要なことはただ一つである」と言われ、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。マリアは語っておられる主イエスの足元に座って、御言葉を聞くことのできるこの機会を逃すことはできなかったのです。
 旧約聖書の「預言の言葉」が主イエスの誕生によって成就したように、時が満ちた時、新約聖書で約束されている主イエスの「預言の言葉」もまた成就するのです。ペトロはわたしたちに「どうかこの『預言の言葉』に留意してください」と言います。それは主イエスの再臨の約束で、世の裁きの時であり、同時に信じる者にとっては救いの時だからです。

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