第85号
エフェソの信徒への手紙はパウロの獄中書簡の一つです。執筆した場所はローマ、時期は西暦六〇年から六二年と思われます。内容はパウロがそれまで教えてきたことの要約です。
エフェソは当時、アジアにおける商業、政治の中心でした。港は東と西を結ぶ中継地として栄え、ローマ人やギリシャ人、その他、様々な人種や人々が住んでいました。二万五千人収容できる野外劇場があり、人々は戦車の競争、人と動物との戦いなどを楽しんでいました。しかし、何といってもエフェソといえばアルテミス神殿で知られています。天から下ってきた町の守護神を祭るその神殿は、古代世界の七不思議の一つでした。莫大な金銀が奉納され、その豊かな財源は人々への潤沢な貸付資金となり、巨大銀行となっていました。神殿娼婦も数百人いて、まさに異教的な不道徳で淫らな世界が繰り広げられていました。そのような中に主イエスの福音が伝えられていったのです。弟子たちに聖霊が与えられたのはペンテコステの時でした。天に昇られた主イエスは父の御元から約束の聖霊を弟子たちに注がれましたが、それはご自身が霊となり、弟子たちに宿られたということでもあります(一コリ一五:四五)。その時から弟子たちは人々の前に出て、ユダヤ人を恐れることなく、大胆に主イエスを神の子と証し、福音を述べ伝えました。
聖霊を受けなくても神を信じることはできます。主イエスを十字架につけたファリサイ派の人々や律法学者たちも神を信じていました。わたしたちも聖書を読み、教理問答を学ぶことによってキリスト教の正統的な信仰を持つことはできます。しかし、プリスキラとアキラがアポロの説教を聴いたとき、そしてパウロがエフェソで何人かの信徒から感じたように、聖霊を受けていないクリスチャンと受けたクリスチャンとではどこかが違うのです。
聖霊は、自分の罪を認め、主イエスに自分の人生を捧げる決心をすることによって神から与えられます。聖霊を受けることによって、初めて実を結ぶ信仰となります(ヨハネ一五参照)。それだけでなく、聖霊はわたしたちを御国の相続人としてくださいます。聖霊は神であり、わたしたちの内に住まわれたそのお方が、わたしたちを永久の神の国へと導くからです。聖霊を受けることなくして御国に入ることはできません。聖霊はわたしたちが御国に入ることのできる証印です。そして、それは神の所有とされ、神が守られることの証印でもあります。聖霊によりわたしたちは他の兄弟姉妹と共に「キリストの体」である教会の部分とされます。そして、頭なる主イエスに導かれ、栄光の体とされ、御国の完成に至るのです。
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