2009年10月18日日曜日

ペトロ一2章1-10節「生きた石」

第114号

 
 「生きた石」とは「死んだ石」に対応しています。それでは「死んだ石」とは何でしょうか。旧約聖書において神の言葉である十戒は石の板に刻まれていました。十戒とは神の民が守るべき掟で、神とイスラエルの民が交わした契約でした。その契約とは、民が十戒を守るならカナンの地で豊かな生活が約束され、守らないなら滅ぼされるというものでした。この石の板は契約の箱に入れられ、神殿の至聖所に置かれました。契約の箱の蓋は贖いの座と呼ばれ、その上に一対の翼を広げたケリビムが置かれました。その翼で囲まれた空間に神は臨在され、御言葉を発すると信じられていました。大祭司は年に一度、自分と民の贖いのための小羊の血を持って至聖所に入り神の臨在の前で罪の許しを祈りました。イスラエルの民はエルサレムの中心は神殿で、神はそこから世界を支配されると信じていました。神殿と祭儀で大切なのは、十戒は神の言葉で、民はその戒めを守らなければならないこと、しかし、守れない民の罪を生贄の動物の命で贖うということでした。
 このように神の裁きは小羊の血によって贖われるという恵みの下にあったにも拘らず、イスラエルの民は約束の地でこの神に替えて土着のバアルやモレクといった異教の神々を礼拝するようになりました。神は預言者を遣わし、民にご自身の元に立ち帰るよう促しましたが、民の心は頑なで回心することはありませんでした。神は遂にそのような民を契約に基づいて滅ぼされました。それが七二二年に北王国イスラエルで、五八七年に南王国ユダで起こったことでした。両国はそれぞれアッシリアとバビロニアによって滅ぼされたのです。
 「死んだ石」とは石の板に書かれたモーセの十戒のことです。十戒は民に何が罪であるかを教えますが、それを守って生きる力を与えませんでした。それゆえ「死んだ石」なのです。

 神の子である主イエスがこの世に来られたのは、ご自身に反逆して生きる民が真実な神に立ち返り、十戒を守って生きることのできるようにされるためでした。主イエスに先立って洗礼者ヨハネが遣わされましたが、ヨハネは主イエスをイスラエルの民に紹介し「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました(ヨハネ一:二九)。主イエスはわたしたちの罪の身代わりとなり、十字架で血を流されたのです。しかし、天の父は主イエスを墓から甦らされました。主イエスは天に上られ、そこから弟子たちに約束の聖霊を送られたのです。聖霊は神であり、主イエスの霊でもあります。主イエスは神の「ことば」でもあり、このことは神の言葉がわたしたちの心に宿ることでもあります。それがペンテコステの出来事でした(使徒二:一~四)。聖霊は今日に至っても信じる者に与えられるのです。そして、そのことによりわたしたち自身が神殿となるのです(一コリント三:一六~一七)。

キリストの霊を与えられた人たちの集まりが教会です。そこにはもはや人種や民族の違いはありません。「聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿と」なるのです(エフェソ二:一九~二二)。従って教会もまた神殿なのです。神はイスラエルの人々が十字架につけて捨てた石を用いて神殿を立てられたのです。
 主イエスは生前フィリポ・カイザリアからの帰路、弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねました。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えると、主イエスは「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われました(マタイ一六:一五~一六)。ペトロとは石、岩を意味します。カトリック教会ではペトロに教会の権威が与えられたと理解します。教皇はペトロの権威を継承する者としてカトリック教会の正統性の根拠としています。それに対し、プロテスタント教会はペトロではなく彼の告白の上に教会が立てられると理解します。ペトロの信仰告白はわたしたちの内に神の霊が宿って初めて言うことができるのです。神の選びは、わたしたちに聖霊が与えられたということにあるのです。

  神はイスラエルの民に十戒を守るならカナンの地を与えると約束されました。しかし、主イエスはわたしたちに、ご自身の声に従って歩むなら新しい天と新しい地を与えると約束されました。御言葉に従って歩む時に私たちには大きな喜びが与えられるのです。そのことこそ「死んだ石」である十戒と、「生きた石」であるキリストの言葉との違いです。わたしたちに、従おうとする意志と同時にそうすることのできる力をも与えられたのです。そうであるが故に、「生きた石」となったのです。

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