第113号
著者は伝承によれば主イエスの十二使徒の一人であるペトロと言われてきました。しかし今日、多くの学者はそれに対して疑問を持っています。その理由の一つは、ガリラヤの漁師であったペトロがこなれたギリシャ語を書くとは思えないことです。また、書簡の終わりに「バビロンにいる人々…が、よろしくと言っています」(五章一三節)とありますが、ローマをそのように隠語で呼ぶようになったのは七〇年代以降のことで、ペトロは六四年に殉教したと伝えられています。また、この書簡が書かれたのは九〇年代ではないかとも言われています。書簡はパウロの神学的な影響を受けていることが指摘されています。書簡の代筆者であるシルワノがパウロの弟子であったことがその理由と思われます(五章二節)。光である主イエスはこの世で苦難の道を歩まれました。その極みは十字架の死でした。その死によってわたしたちの罪の贖いとなりました。わたしたちを救うために天の父御自身が主イエスの手と足に釘を打たれ、脇腹にやりを刺されたのです。この御子の痛みと苦しみは天の父の痛みと苦しみでもありました。これほどの犠牲を払われるほどにわたしたちを憐れまれたのです。
この主イエスを信じて従うということは、わたしたちもまたこの世にある間、様々な試練に苦しまなければならないことを意味します。しかし、神がすべてのものをご支配なさっておられるなら、わたしたちはどのような試練をも神の御心として受けることができます。それだけでなく、試練にあっても尚、神の力に守られていると信じることができるのです。
ルカの福音書には放蕩息子のたとえ話があります。父親から相続財産の生前贈与を受けた息子は遠い外国に行ってそのすべてを使い果たしました。そこで初めて息子は悔い改め、父の家に帰る決心をしました。それ以外に生きるすべがなかったのです。父親はそのような息子であっても帰ってくるのを待っていました。遠くから歩いてくる我が子を見て憐れに思い駆け寄りました。そして、息子は死んでいたのに生き返った、と喜び祝宴を設けたのです。しかし、放蕩息子の兄はそのような父を理解できませんでした。弟がしたことは自業自得で、父がなぜそのまま許してしまうのかが分からなかったのです。この父の赦しの背後には、主イエスの十字架の贖いがあるのです。人生の挫折を味わい、神に立ち帰った者は放蕩息子に自分を、放蕩息子の父親に天の父を重ねるのです。わたしたちもまた神の憐みにすがる以外に生きるすべがないのです。
旧約聖書にあるヨブ記もまた試練に遭うわたしたちに、神を頭で理解するのではなく、個人的に知ることの大切さを教えます。「主は与え、主が奪う。主の名はほめたたえられよ」…「わたしは、神から幸福をいただいたのだから、不幸をもいただこうではないか」と言いました(ヨブ一:二一、二:一〇)。ヨブは神から憐みを受け、試練で失ったもの以上が与えられました。ヨブ記はわたしたちに神と人格的な交わりを持ち、神を「あなた」と呼べるようになることの大切さを教えます。
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