第128号
申命記18章15節~22節
預言者モーセはイスラエルの民に「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わなければならない」と言いました。それ以降、イスラエルの民にとって「あの預言者」と言えばモーセのこの約束を指すようになりました。神はモーセをエジプトに遣わし、そこで奴隷となっていたイスラエルの民を救われました。エジプトの王ファラオはモーセの声に従いませんでしたが、神はモーセを通して様々なしるしを行った末、エジプト中の初子を撃ち、それによってイスラエルの民は、遂にエジプトから出て行くことができたのです。
自由の民となったイスラエルは一ヶ月後にシナイ山に着き、そこで神から十戒を授かりました。律法は神の民にふさわしい倫理基準です。そして、それを守ることによりアブラハムに約束されたカナンの地で繁栄し、全国民の模範の民となることができたのです。しかし、律法を守らないなら彼らは滅びなければなりませんでした。
しかし、その後のイスラエルの歴史は、指導者も民も律法を守ることができませんでした。結局、北王国(イスラエル)はアッシリアに、南王国(ユダ)も五八七年にバビロニアに滅ぼされました。それ以来、イスラエルは自分の国を持つことはできませんでした。
このように、モーセから律法の時代が始まりました。イスラエルの民に与えられた律法はその前の時代と後とを明確に分けたからです。モーセは神と民の仲介者となり、それまでは自分の良心に従って歩むほかなかった民に、何が神の前に良いのか悪いのかを明らかにし、それによって神の救いと裁きとを指し示しました。
主イエスもまたヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、伝道の生涯に入られました。公生涯に入られた主イエスも質素で、上着と下着だけが所持品の全てでした。夜、寝る家もなかったのです。
主イエスは、律法に捉われず、厳格な食事や安息日の規定から自由に生きられました。神は霊だから礼拝する場所は神殿だけでなく、どこでもいいこと、そして、人は律法を守ることによっては救われないと教えられました。
モーセによって律法が支配する時代がイスラエルで始まったように、主イエスを信じる信仰によって救われる新しい時代が世界に始まりました。モーセは神の人でした。しかし、主イエスは神の子です。モーセが「わたしのような預言者」とはそのような意味でした。わたしたちにこのような主イエスが与えられているにも拘らず、自分の良い行いによって救われようとするなら、モーセの律法の時代に生きているのと変わらなくなってしまいます。
主イエスはベツレヘムの家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされました。わたしたちの心に主イエスの宿るところがないなら、もっと低い心の人に宿られるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿