2013年11月17日日曜日

コリント一15章35-49節「死者はどんなふうに復活するのか」

第163号

「死後の世界はあるのか」、これはわたしたちに対する永遠の問いかけです。古代の多くの民にとって霊魂の不滅は疑いのない事実だったようです。ギリシャ哲学では魂の不滅を教えます。プラトンは「パイドン―魂の不死について」で、ソクラテスの死の有様を書いています。毒薬を飲んだソクラテスは死ぬまでの間いろいろなことを弟子たちと話しています。その中には借りていた鶏のことまで思い出し、返すように頼んでいます。死に向き合う切迫感に欠けているようですが、それは死は終わりではなく、霊魂の不滅を信じていたからです。インドで生まれた仏教も輪廻転生の輪を断ち切るのが目的だったようです。生きることは苦痛に過ぎなかった当時ではそこからの脱出こそが切実な思いだったのでしょう。その仏教も中国に伝わると、東方正教の一派であるネストリウス(景教)の影響を受け、死後の世界を教えるようになったと言われます。真言宗の教祖、空海が遣唐使の学生として中国に渡った頃です。同じように神道も霊魂の不滅を教えます。

 ユダヤ教の初期においては、人は死ぬと陰府に下ると考えられていました。陰府は死者が眠る場所でした。モーセの五書には死後のことは書かれていません。神はモーセを通してユダヤ人に十戒を与えられました。律法は神の国の民にふさわしい倫理基準を教え、十戒に従って正しく生きるなら神はその人を祝福し、従わないのなら裁かれるのです。その祝福は土地や家畜などの財産が増えること、良妻と多くの子供が与えられ子孫が繁栄すること、また健康を守られ長寿を全うするといったことでした。しかし、旧約聖書の後期になると、人々はこのような因果応報の考え方に疑問を持つようになります。義人が必ずしも祝福を受けるとは限らないからです。反対に、義のゆえに苦しみ、迫害を受け、悲惨な生涯を送ることも多くありました。正しく生きることはこの世だけで決着がつかない問題でした。そのため、人々は次第に死後に神の裁きがあると信じるようになりました。同時に、人々はメシアを待望するようになりました。モーセに約束した預言者が与えられること、それは預言者ナタンがダビデに告げたメシアの成就であって、そのお方によってこの世に神の国が生まると信じるようになりました(申命記一八章一五節、サムエル記上七章参照)。その神の国はエルサレムから始まり世界に広がるのです。
 主イエスはこのように時が満ち、生まれました。群衆は主イエスがなされた奇跡を見、その説教を聞いてこのお方こそメシアであると信じました。弟子たちはこのお方と一緒に神の国を支配することを夢見たのです。イスラエルの民はローマ帝国からの解放を願っていました。ローマが税金を徴収し、平和もまた彼らの圧倒的な軍事力によって維持されたのです。しかし、主イエスはユダヤ人指導者によってローマ総督ポンティオ・ピラトの前に引き出され、十字架に付けられました。十字架刑は神に呪われた者であることの象徴でした。しかし、主イエスは三日目に墓から甦り、弟子たちに手足の釘跡、脇腹の槍跡を見せられ、触れなさいと言われました。それはご自身が確かに霊でなく体をもったキリストとして復活されたことを示されたのです。主イエスは弟子たちと一緒に食事をされましたが、これも霊であれば出来ないことでした。そして四十日に亘って聖書からご自身のことを教えられ、彼らの目の前でご自身の再臨を約束し、天に上げられたのです。

 聖書は、人は体と霊から成ると教えます。体だけ、あるいは霊だけでは人とは言えません。同じことが主イエスにも言えるのです。しかし、弟子たちは復活された主イエスを見ても、すぐにはそのお方が誰であるか分かりませんでした。生前の主イエスとはどこか違っていたのでしょう。主イエスと認めるためには彼らの心の目が開かれなければなりませんでした。同じことがわたしたちにも言えます。主イエスは今も生きておられますが、そのお方と出会うためには私たちの心の目も開かれなければなりません。わたしたちの心に聖霊が宿ることにより主イエスを神の子と告白することができるようになります(ヨハネの手紙四章一、二節)。そして、わたしたちのうちに宿った神の霊こそ、わたしたちが復活することの確かな証拠であって、それは生きた種となるのです。
 わたしたちの前に植物の種が二つあり、そのどちらかが生きていると言われても見分けることはできないでしょう。生きた種を見分ける唯一の方法は土に埋めることです。芽が出るほうが生きた種だからです。同じようにわたしたちも生きた種であるなら、死んで葬られ、そこから新しい体をまとって復活するのです。それは主イエスの再臨の時で、その体こそ永遠の命に耐えるものであって、神のみ前に生きるにふさわしい栄光に輝くものなのです。

 

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