2012年8月19日日曜日

使徒7章17-29節「約束の実現する時」

第148号

 
 この個所はステファノの最高法院での弁明です。族長ヨセフからモーセに話を移し、歴史を通して働く神の支配を説いています。それはわたしたちへの神の救いのご計画です。
 ヨセフの父ヤコブは、家族七五人を連れてカナンの地からエジプトに移住しました。それから四〇〇年経ち、イスラエルの民は二百万から三百万に増えていました。その間、イスラエルの民は自由の身ではなくエジプト人の奴隷となっていたのです。
 アブラハムへの約束を実現する時が来たため、神はモーセをエジプトに遣わし、奴隷から解放しようとしました。しかし、民はモーセを受け入れませんでした。そのことをステファノは神が独り子、主イエスをこの世に遣わしたのに従わなかった民に重ねています(使徒七章五一、五二節)。民はいつも神に、そして預言者に従わないのです。わたしたちにも同じことが言えます。主イエスを受け入れないなら、モーセを受け入れなかった民と同じなのです。

ヤコブの家族が住むようになった地はゴーシェンでした。そこはメソポタミヤにつながるカナンの地への通商路の入口にあり、敵が最初に侵入するエジプトの要所でした。エジプトを救った宰相ヨセフのことを知らない王が支配するようになると、増え続けるヘブル人が侵入して来る敵方に付き、自分たちを支配するようになるのではないかと恐れました。そのためピトムやラムセスの町造りに従事させ、重労働を課しました。それにも拘わらずイスラエル人が増え続けると、ファラオは助産婦に命じ、生まれて来る男の子を全て殺すように命じました。しかし彼女たちはファラオより神を恐れ、丈夫なイスラエルの妊婦は自分たちが着く前に生んでしまうと言い訳をしました。遂にファラオは全国民に命じ、男の赤子は皆ナイル川に放り込むように命じました。
 そのような時にモーセは生まれたのです。両親は三カ月間、隠しておきましたが、隠し通せなくなると籠を作りその中に入れてナイル河畔の葦の茂みに置きました。ファラオの娘がその場所に沐浴に来ることを知っていたのです。ファラオの娘は泣いている赤子を見つけ、かわいそうに思い自分の子として育てることにしました。モーセはファラオの家族の一人となり、将来の王にふさわしい教育を受けたのです。
 モーセは四○歳になると、このまま王家の一員として一生を送るか、奴隷となっている同胞を助けるために命を掛けるか思い悩むようになりました。ある日、エジプト人がヘブル人を打っている場に遭遇し、そのエジプト人を打ち殺しました。次の日、モーセはヘブル人同士が争っているのを見て仲裁に入ると、男は「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」とモーセを突き飛ばしました。それを聞いて彼はミディアンの地に逃げました。自分のしたことがファラオにも知られると思ったからです。そして、その地で結婚し二児の父となって義理の父の羊を飼う者になりました。

 ヘブライ書は、モーセは人としてイスラエルの民に忠実であったが、主イエスは御子として天の父に忠実であった、と言います(三章二節)。モーセ以来、イスラエルには彼以上の預言者は現われませんでした。モーセは顔と顔を合わせて神を見、その言葉を聞いて民に伝えたのです(申命記三四章一〇節以下)。
 モーセと主イエスとの間には幾つかの共通点があります。主イエスも生まれてすぐ命の危機に遭いました。ヘロデ大王が主イエスが生まれたベツレヘムとその近郊の二歳以下の男の子の殺害を命じたからです。赤子の主イエスは飼い葉桶に寝かされましたが、マリアとヨセフの目が注がれていました。モーセの両親の目もまた籠の中の幼子に注がれていました。神の目が無防備な赤子に注がれていたということです。モーセが民から排斥され遠いミディアンの地に逃げたように、主イエスも民に捨てられ十字架に付けられました。モーセは四〇年後、神によって再びエジプトに遣わされ、ご自身が何者であるかをイスラエルの民に示し、エジプトから彼らを解放しました。主イエスも三日目に復活し、御自身が神であることを弟子たちに示され、御自身を信じる者を救われました。
 神の民はエジプトにいたのでは神を礼拝できません。神を礼拝するためにそこから出て行かなければなりませんでした。わたしたちも同じで、この世だけに目を向けていたのでは神を礼拝できません。主イエスは罪の奴隷であったわたしたちをこの世から救われ、神の民とするのです。そして、モーセが四〇年後再びエジプトに戻って来たように、主イエスも再び戻って来られ、ご自身が神であることを全ての国民の目に明らかにされ、信じる者を御国の民とされるのです。

2012年7月15日日曜日

使徒4章1-22節「救われるべき名は」

第147号

 祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人たちは使徒ペトロの説教をいらだちながら聞いていました。無学な者が神殿で人々に教えていたからです。しかも自分たちが十字架に付けた主イエスが復活したというのです。しかし、五千人も信じたため放置できず、二人を捕らえ牢に入れました。
 翌朝、議会が開かれました。議員の多くはサドカイ派である大祭司一族でした。彼らは使徒たちを真中に立たせ、「何の権威によって…ああいうことをしたのか」と尋ねました。ペトロとヨハネが神殿の門のそばに置かれていた生まれつき足の不自由な男を癒し、それに驚いて集まって来た人たちに話をしたからです。「ペトロは聖霊に満たされて」弁明を始めました。この男が癒されたのは自分たちや男の信仰によるのではなく、主イエスの名によるのである。あなた方はこの方を十字架に付けて殺したが、三日目に甦り、天に昇り、父なる神の右に座し、今も生きて全てを支配している。そして詩篇一一八篇二二節を引用し、この主イエスによってイスラエルの「家」は建てられなければならないと答えました。

サドカイ派の人たちは、人は復活することはないと教えていました。しかし、彼らは主イエスの名によって癒された男を前に反論することが出来ませんでした。彼らに出来たのは二度と主イエスの名によって語ってはならないと脅かすことだけでした。しかし「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」と言われ、ますます立場を悪くしました。それでも更に脅かし、釈放するしかありませんでした。これは使徒たちが受けた最初の迫害でしたが、主イエスも同じように裁判を受けられ、十字架に付けられたのです。

  大祭司たちの持つ本来の役割は、神殿で民の罪の赦しのために祭儀を行うことでした。しかし、この務めはイスラエルの長い歴史の中で、民を支配する権威に変わり、そのため、他のいかなる権威も認めることが出来なくなっていたのです。議員たちは自分たちが殺した主イエスが神であると信じることは出来ませんでした。この世の権威は人を殺し、神の権威は人を生かします。神の他、誰が生まれつき足の不自由な男を癒し、歩けるように出来るでしょうか。
 実はペトロも主イエスを神とは信じていませんでした。主イエスが十字架に付けられるため議会で裁かれていた時、「そんな人は知らない」と三度も否みました。三度目は何と呪いの言葉さえ口にしながら誓って言ったのです(マタイ二六章七四節)。
 ペトロだけでなく全ての人は主イエスが神であると認めることは出来ません。それがわたしたちの持って生まれた原罪なのです。人間の罪はわたしたちの造り主である神を神として礼拝できないことにあります。
 主イエスを神と信じることが出来るように変えられるのは、生ける主イエスとの出会いによります。使徒たちは復活の主イエスに出会い、五旬祭の日に聖霊を受け、新しい人になりました。わたしたちも同じです。自分の努力や信仰ではなく、神の側からの働き掛けがなければ決して変わることはなく、信じることは出来ません。
 わたしたちが信じられるのは復活の主イエスに出会ったからで、このことなくして主イエスが「しるし」を行ったことを信じることは出来ません。「しるし」は主イエスがどのようなお方であるかをわたしたちに教えるのであって、奇跡だけでは主イエスが神であることに結び付くことはありません。ペトロの説教で人々が信じたのはあくまで聖霊の働きによるもので、主イエスの臨在をはっきりと感じ、その男が癒されたのはこの方によると知らされたからです。その時、自分たちが主イエスを十字架に付けたその罪に気が付き回心したのです。
 繰り返しますが、主イエスがご自身をわたしたちに啓示されない限りわたしたちは信じることが出来ません。主イエスがなされたしるしを見て主イエスを神と信じるわけではありません。

 神を信じるということは、わたしたちへの主イエスの主権を信じるということに尽きます。主イエスは生前、生まれつき目が見えない人の目を見えるようにされ、死者を復活させ、ガリラヤ湖の荒れる波風も一言で鎮められました。これらの奇跡は御自身が神であることをわたしたちに教える「しるし」でした。そしてその最後の「しるし」は御自身の復活でした。
 今の時代、ペトロのしたような奇跡を見ることは出来ません。わたしたちに与えられている聖霊と聖書の御言葉こそが「しるし」だからです。わたしたちに与えられている「救われるべき名は」主イエスだけで、その名によって聖霊を受けるのです。聖霊こそがわたしたちの信仰と救いになくてはならない神からの賜物なのです。

2012年6月17日日曜日

使徒2章14-21節「終わりの時に」

第146号

 ペトロは他の十一人の使徒たちと共に立ち上がり、集まって来た人たちを前に話し始めました。ペトロの五旬節説教です。「ユダヤの方々…今は朝の九時ですから、この人たちは、あなた方が考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです」。人々は異言を語っている使徒たちを見て酒に酔っていると思ったのです。敬虔なユダヤ人は朝の祈りの前には何も食べません。ペトロはこのように皆を驚かしているのは霊によるもので、このことは神が預言者ヨエルを通して言われていたことだと言いました(ヨエル書三章一節~五節参照)。神は「終わりの時」に人々に御自身の霊を注がれるのです。すると彼らは予言をし、幻と夢を見ます。それから「主の日」が来るのです。それは主イエスの再臨の日で、救いの日であり裁きの日でもあります。太陽は暗く、月は血のように赤くなり、地には徴が現われます。その時、「主の名を呼び求める者は皆、救われ」ます。しかし、呼び求めない者は皆、滅ぼされるのです。

  五旬祭に約束の聖霊が使徒たちに注がれ、この世は「終わりの時」に突入しました。神は聖霊による「新しい民」を起こされたのです(Ⅱコリント五章一七節)。ユダヤ人を恐れていた使徒たちは変えられました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」のです(使徒一章八節)。今、わたしたちはこの「終わりの時」を生きているのですが、この「終わりの時」は主イエスの再臨の時まで続きます。この「主の日」こそが、全ての出来事の目標であり目的なのです。その時に生きている者も、死んだ者も主イエスの名を呼ぶことが出来るかどうかが問われます。それは主イエスについて知っているというのではなく、主イエスを知っているかどうかであって、主イエスの霊を受けているどうかです。主イエスの再臨の日にわたしたちの「滅び」と「救い」が決まるのです。
 使徒たちは主イエスと出会い、この方によってイスラエルは神の国になると信じました。しかし、主イエスは十字架に付けられてしまいました。三日目に主イエスが墓より甦ると使徒たちは再び神の国の理想を取り戻しました。その彼らに主イエスは「神の国」がどのようなものであるかを教えられ、四十日後に天に昇られました。その時、天使は使徒たちに「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と約束されました。その時、この世に主イエスが王として支配される神の国が生まれるのです。但し、その時については「あなた方の知るところではない」と言われました。しかし、あなたがたに「まもなく」聖霊が与えられると言われ、それまでエルサレムを離れてはならないと命じられました。

  使徒たちが主イエスの十字架の意味を知ったのは聖霊を受けてからでした。主イエスを十字架に付けたのは、ユダヤ人や指導者たち、またローマ総督、ポンティオ・ピラトだけでなく、「わたしはこの人を知らない」と言ったペトロや使徒たちでもあったのです。主イエスが神御自身であるなど誰が知り得たのでしょうか。それはわたしたちも同じです。主イエスはそのような人の罪を十字架の上で赦されたのです。そして、それを信じる者に神は聖霊を授け、神の民とされるのです。もはやアブラハムの子孫が神の民ではなく、主イエスを信じる信仰によって生まれた者がイスラエルの民となるのです。
 わたしたちは自分の力で福音を宣べ伝えることはできません。宣教の業は聖霊である神御自身がなされるのです。世界に福音が宣べ伝えられ、それから主イエスの再臨があり、この世に神の国が生まれるのです。すべては神御自身の計画と働きによるものであって、人類の進化や社会の改革、政治的活動によってもたらされるものではありません。そうではなく、逆に「主の日」を前に人々の愛は冷え、多くの場所で地震があり、戦争が起こるのです。それらは主イエスが再臨され神の国が生まれるための「生みの苦しみ」の始まりです。
 正しいお方は神の子である主イエスだけなのです。わたしたちに出来ることはそのお方を信じることだけですが、それすらも神の恵みによるのです。それが「救い」で全て「キリストのみ、恩恵のみ、信仰のみ」なのです。
 聖書はキリストである救い主を証します。旧約の主はキュリオスで、新約のキリストと同じです。それを知ることが聖書を読み解く鍵で、旧約の中にキリストが隠されているのです。聖書はわたしたちに「すでに起きたこと」、「今起きていること」、「これから起こること」を告げることによって今が、「終わりの時」であることを教えます。

2012年5月20日日曜日

使徒1章3-5節「聖霊による洗礼」

第145号

 
 主イエスは復活され「御自分が生きていることを、数々の証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話されました」。主イエスの言われる「神の国」とはどのような国だったのでしょうか。その国を弟子たちはどのように理解していたのでしょうか。
 主イエスは弟子たちと食事をされ、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである」と言われました。主イエスは十字架に付けられる前の夜にも弟子たちと食事をされ、同じ約束をされています(ヨハネ一四章~一六章参照)。
 神の国と聖霊とは密接な関係があります。神の国とはその霊が支配する国のことだからです。旧約では預言者、王、祭司はその職務に着く時、油を注がれました。油は見えない聖霊を証するもので、実際、預言者は神から聖霊を受け、神の言葉を民に語りました。世界でイスラエルだけが神の国と呼ばれましたが、同時に神に逆らう国でもありました。預言者を迫害し、殺してきたのがその歴史でした。神は最後に御自身の独り子を遣わしましたが、人々は十字架に付けました。
 弟子たちは主イエスこそメシアであると信じていましたが、その死によってイスラエルを神の国にする夢は砕かれました。しかし、主イエスが三日目に復活されたことによって、弟子たちに「神の国」の夢が蘇ったのです。

 わたしの母は秋田におりますが、九十二歳の誕生日に電話で話しました。二年前の大病からすっかり元気になり「何時もあなたたちのために祈っている」と言っていました。それを聞いて初めて母が危篤から奇跡的に回復した訳が分かりました。親はいつも子のことを気にかけているのです。
 アブラハムはイサクを愛しました。エジプトの仕え女ハガルとの間にもイシマエルがいましたが、イサクとは比較になりませんでした。ヤコブには十二人の子がいましたが、ヨセフを特別に可愛がりました。年取って生まれた子であり、愛するラケルの子だったからです。母マリアは主イエスをどれ程愛していたか分かりません。
 親と子は血で繋がっているので、その愛には深いものがあります。それに対し、神とわたしたちとは神の霊で繋がっているのです。「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与え」、御自身の子としてくださいました。(第一ヨハネ四章十三節)。神は愛する子たちに国を用意されましたが「だれでも水と霊とによって生まれなければ神の国に入ることはできない」のです(ヨハネ三章五節)。
 弟子たちはイスラエルが「神の国」になると信じていました。具体的には、ローマの頸木から解放され、主イエスが王となり、自分たちもまた主イエスを助けてこの国を支配するということでした。しかし、主イエスはその国に代わって、弟子たちに神の霊を授けることによって神の民をこの世に生まれさせようとしました。そして神は弟子たちを通して様々な国籍、民族から御自身の子たちを招集されようとしました。その人たちはこの世では土地を持たない民であってアブラハムの子孫という血による民族の枠を超えた、新しい民となるものでした。

明治の偉大なキリスト教思想家である内村鑑三は、自らの信仰を顧みて、自分は明治十一年(一八七八年)にキリスト教に回心し、明治十九年(一八八六年)にキリストの十字架において罪の贖いを認め、遂には大正七年(一九一八年)にはキリストの再臨を確信したと言っています。
 神とわたしたちとが親子となるという新しい関係に入ることによって、わたしたちもまた内村鑑三と同じこの信仰の道を辿ることになります。神の霊を受けるまでわたしたちは自己中心で、人生の目的は自分の希望を叶えることでした。しかし、聖霊を受けることによって自分の罪が十字架の故に赦されていること、主イエスは今も生きていること、永遠の命の確かなことを信じることが出来るようになるのです。これらのことは自分の頭では理解できないことでした(第一コリント一二章三節参照)。わたしたちは少しずつですが神中心となり、神の御心の実現こそがわたしたちの生きる目的に変えられるのです。神はそのようなわたしたちを通して世界宣教を遂行され、福音が世界に述べ伝えられた後に主イエスが再臨され、神の国が目に見える形で実現されるのです。わたしたちは今、主イエスの昇天と再臨の「間の時」を生きているのです。
 主イエスの再臨の時こそこの世の完成の時であって、この世のものが全て新しくされます。神の霊を与えられたわたしたちはその時に復活しますが、それは永遠に耐える「新しい体」を伴ったものとなるのです(第一コリント一五章四六節)。

2012年4月15日日曜日

マルコ16章1-8節「あの方はここにはおられない」

第144号

《イースター礼拝》

 主イエスが十字架に付けられたのは朝九時で、息を引き取られたのは午後三時でした。安息日が終わると、マグダラのマリアら三人の婦人たちは香油を用意しました。そして週の初めの日の朝早く、彼女たちは主イエスの遺体に香油を塗るため墓に向かいましたが、墓は大きな石で塞がれ、脇には番兵もいるはずでした。
 ところが彼らが墓に着くと石は取り除かれていました。そして墓の中には一人の若者が座っていました。聖書はその若者を天的な存在として描いています。天使は驚く婦人たちに声をかけられ、主イエスは復活してここにはおられないこと、そしてガリラヤで会えると弟子たちとペトロに告げなさいと言いました。婦人たちはこれらの出来事に震え上がり、正気を失いました。
 弟子たちにとって、主イエスが十字架に付けられたことは大きな挫折でした。「あの方こそ、イスラエルを解放してくださる」と信じていたからです(ルカ二四章二一節)。メシアである主イエスがローマ帝国からイスラエルを救い、自分たちも主イエスと共にその王国を支配するはずでした。そのためには自分の命をも捨てる覚悟でした。しかしエルサレムに入城された主イエスは神の国のために戦おうとはされず、無抵抗のまま十字架に付けられてしまいました。そして墓に入れられ三日が経ちました。それは弟子たちの望みにピリオドが打たれ、完全に過去のものとなったということでした。

主イエスは弟子たちにフィリポ・カイザリア以来、御自身の苦難と十字架、そして三日目の復活を繰り返し教えて来ました(マタイ一六章二一節)。それにも拘らず、弟子たちの内、誰一人それを心に留めてはいませんでした。彼らにとってメシアが死ぬなどということは考えられなかったのです。
 ゲッセマネでは弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げました。イスラエルを神の国にしようとする彼らにとって、選択肢は戦うか逃げるかのどちらかでした。それでもペトロは捕らえられた主イエスの後について大祭司の庭に入り、裁判の成り行きを見守ったのです。ところが、あなたもこの人の仲間だったと言われ、わたしはこの人を知らないと三度も否んでしまいました。主イエスはペトロの方を振り向いて見つめられました。ペトロは外に出て激しく泣きました。
 ペトロは主イエスに従う前、ガリラヤの漁師でした。主イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました(マタイ四章一九節)。その言葉を聞いて仕事を捨てて主イエスに従いました。しかし、その結果はペトロの裏切りで終わりとなりました。主イエスは死に、悔い改める機会は失われたのです。
 主イエスは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言われました(ルカ二三章三四節)。「彼ら」とは、自分を十字架に付けた者であって、弟子たちとペトロ、そしてわたしたちも全て含まれるのです。わたしたちは赦されるために、死んで主イエスの前で裁かれる日を待たなければならないはずでした。それまで自分の冒した罪を悔いながら生きるのです。しかし、空になった墓は、そうではないことを教えました。天使は弟子たちとペトロを復活した主イエスの下に再び招かれたからです。

  主イエスが復活されたのは、十字架の上で「彼らの罪をお赦しください」と叫ばれたその祈りが確かに天の父によって聞き届けられ、主イエス御自身がわたしたちの内にあって共に生きるためでした。復活された主イエスはペトロの裏切りを少しも咎められませんでした。御自分を愛するかと三度、尋ねられただけでした。同じことは、他の弟子たち、そしてわたしたちにも言えるのです。主イエスはわたしたちと共に罪の苦しみ、悲しみを分かち合う存在となられたのです。もはや、わたしたちの罪の責任を問うことはされないのです。わたしたちは自由な身となったのです。
 空の墓はわたしたち自身が罪から救われるために努力する必要はないこと、そしてそれに代わって神がわたしたちの救いのために歴史に介入されたことを教えます。空の墓は無を意味し、神はそこからわたしたちと共に生きる主イエスを復活されました。創世記に「初めに、神は天地を創造された」とありますが(一章一節)、ここで言う「創造」は無からの創造で、主イエスの復活があって初めてわたしたちはそのことが信じられるのです。
 弟子たちの考えた神の国はこの世のことでした。しかし、主イエスの神の国は永遠の命のことです。その御国に入るには、わたしたちが主イエスに香油を塗るといった敬虔な行いとは関係なく、神がわたしたちのためになされたことによります。それは神からの一方的な恵みとして与えられるのです。

2012年3月18日日曜日

フィリピ書2章25-30節「主に結ばれて」

第143号

 
 東日本大震災から一年が経ちました。その日、東京神学大学の卒業式に参列していましたが、突然の激しい揺れに驚き、天上の梁が落ちてくるのではないかと思いました。一〇日後、アメリカから来日したパートナーズ インターナショナルの、ボッブ・サーベッジ氏と仙台、石巻を訪ねました。彼の所属する組織に多くの寄付金が送られて来たからでした。そこでわたしたちが見たのは海岸から内陸に広がる瓦礫の原でした。
 日本で多くの外国人が動画を作り、インターネットで世界に配信しています。今回の災害でも自らの体験を語り、また義援金を送るように呼びかけています。海外からも様々な人たちが祈りや激励の言葉を送って来ています。そこには規律を守り、助け合っている被災者たちに感動し、学びたいと言う声が沢山ありました。今日、人々は国や人種という枠を超えて強く「結ばれて」いることを実感しました。

 フィリピの集会はパウロが獄にいると聞いてエパフロディトを送りました。その目的は贈り物を届けることとパウロの世話をすることでした。当時の獄の状況は厳しく、食事も質量共に貧弱でした。ただ、今日ほどには外部と隔離されていませんでした。しかし、エパフロディトはパウロの世話をすることができませんでした。重い病気にかかったからです。そのことはフィリピの人たちにも伝わり、彼らはエパフロディトの身を案じました。しかし、せっかく遣わしたのにと遺憾に思う人もいたようです。
 パウロはやっとのことで病気が回復したエパフロディトをフィリピに帰すことにしました。当時の福音宣教者の中には自らの働きの報酬として金銭や奉仕を当然の権利として受ける人たちも多くいたのです。パウロはそのような人たちとは一線を画していました。自分の利益のために福音を述べ伝えていると見做されたくなかったのです。パウロは彼をフィリピに返すのが良いと判断したのです。
 パウロはエパフロディトを「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼んでいます。兄弟とは主イエスを信じる者同士です。協力者はフィリピの人たちのように宣教者を物心ともに支える人たちです。戦友とはキリストから与えられた任務を果たすために死ぬような目に遭った人を指します。わたしたちは出来たら戦友と呼ばれる当事者ではなく、傍観者のままでいたいのではないでしょうか。しかし、傍観者のままでいるならその心はいつか冷たくなり、遂には錆びついて動かなくなります。戦友になることによって初めてパウロの喜びや苦しみのいくらかが共有でき、燃え尽きることができるのです。パウロはフィリピの人たちにエパフロディトのような人を「敬いなさい」と言います。何故なら「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」からです。

  日本の古い文化は、命より大切なものがあること、そして人の「和」と「共生」を大切なこととして教えて来ました。例えば武士は自分に誇りを持ち、仕える主人のためには命さえ惜しみませんでした。しかし、このことは戦時中の覇権主義と軍国主義に利用され、天皇のため、お国のために死ぬのが美徳とされ、多くの人の命が奪われました。戦後、民主主義の導入により人の命は何よりも大切なものと考えるようになりました。しかし、この教えもまた近代の競争原理の導入と共に自己中心的な生き方に変質し、社会に大きなひずみが生まれました。
 今回の災害でわたしたちが気がついたことは、自分の命をかけて他の人の命を救った多くの人たちがいたこと、また、人々はこのような試練な中で助けあい、分かちあい、励ましあったことでした。日本の古い文化が今も生きていてそれが社会を支えていることを知らされ、わたしたちの心を打ったのです。それは世界の人々にとっても同じでした。
 新渡戸稲造は著書「武士道」で「私は、封建制と武士道がわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだと気づいた」(ちくま新書、一四頁)と記し、日本の古い文化を旧約の律法とし、この上に新約聖書が読まれなければならない、と書いています。わたしたちキリスト者にとっては、自分の命より大切なもの、それが神であり隣人で、それによってわたしたちの和と共生があるのではないでしょうか。
 帰路についたエパフロディトの懐にはパウロからの書簡が託されていました。獄にいたパウロの愛は変わらずにフィリピの人たちに注がれていました。神はエパフロディトを憐れんで下さいました。主イエスは彼に「パウロにしたことはわたしにしたことである」と言われたのではないでしょうか。パウロとエパフロディトとはお互いの命を捧げることによって「主に結ばれて」いたのです。

2012年2月19日日曜日

フィリピ書2章1-11節「イエス・キリストは主である」

第142号

 
 フィリピの教会の人たちは、パウロの身を案じ、ローマの獄での生活を心配していました。そのためにエパフロディトをパウロのもとに遣わしました。パウロには多くの敵がいました。ユダヤ人指導者であるファリサイ派の人たち、律法学者、大祭司たちは彼の命を狙っていました。十字架につけられた主イエスは死から復活したとパウロが宣べ伝えていたからです。教会内にも彼の敵はいました。その人たちは「キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられ」、また「自分の利益を求めて、獄中のわたし(パウロ)を一層苦しめようと言う不純な動機からキリストを告げ知らせて」いたのです。
 しかしパウロにとって本当の敵は、内なる敵でした。パウロはフィリピの人たちに「あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています」と言っています。それはキリストを宣べ伝える福音のための戦いで、それに「ふさわしい生活を送りなさい」と勧めていることでもありました。大切なのは自分のことではなくキリストなのです。パウロは自分の投獄が「かえって福音の前進に役立」ったこと、そして自分がどのような目に会ったとしても「キリストが公然とあがめられるようにと切に願」っていると言います。

フィリピの人たちにとってパウロの投獄は理不尽なことであったに違いありません。なぜ、このような目に遭わなければならないのかと問い、一日も早く自由の身になるように望んでいたことでしょう。しかし、神にはその祈りは通じませんでした。わたしたちは簡単に神のなさることに善悪の判断をつけることは出来ません。
 あらゆる生きものの中で人間だけが善悪を判断します。しかし、その判断はあくまで経験と知識によるものであって、その判断が正しく出来るとは言えません。たとえ神を信じていてもそのことは言えます。モーセの十戒の五つ目の戒めは「人を殺してはならない」ですが、同時に神はモーセにカナンの地の民を滅ぼすよう、特にアマレク人に対しては殲滅するように命じています(出エジプト記一七章、申命記七章参照)。その相反する戒めをわたしたちはどのように理解し実践したらよいのでしょうか。今日においてもイスラエルはパレスチナの人たちと戦っています。しかし、それに反対して平和的な解決を求め、共存の道を探る人たちもいるのです。そのどちらも自分たちが正しいと信じているのです。
 ユダヤ人指導者たちは主イエスを十字架につけました。主イエスは御自身を神としましたが、彼らにとってそれは神への冒涜であって、死罪に当たりました。弟子たちも主イエスを一人残して逃げました。剣で戦うか、逃げるかのどちらかしか選択の余地はなかったのです。弟子たちは主イエスをメシアと告白しましたが、神御自身であるとは知りませんでした。わたしたちもまた家畜小屋で生まれ、十字架で死んだお方が神であるとは信じられません。神は主イエスを死から復活させることによって神の子であることを示されましたが、全ての人にそのことが啓示された訳ではありません。

 主イエスは低くされ、貧しい者、弱い者、病にある者の友となられました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の姿で現れ、へりくだって、死に足るまで、それも十字架の死に至るまで従順」になられました。このことによって無限の神の高さを示されたのです。
 主イエスが御自身を低くされたので天の父は「キリストを高くあげ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。
 主イエスのこの世での生涯を知ってわたしたちもまた低くされます。それはアッシリア、バビロニア、ローマに敗れたイスラエルの捕囚の民と同じにされることであって、神の御前に膝まづき、この世において寄留の民とされることです。
 パウロもかつてキリスト者を迫害していました。ステファノが石打たれる時、そこで人々の上着の番をしたのです。しかし、復活の主イエスに出会った時彼は変えられ、迫害される側に立たされました。主イエスは生きておられると宣べ伝えることによって、人々から鞭や石で打たれ、投獄されました。しかしそれによって福音が前進するのを見たのです。この苦難と喜び、それが主にある戦いでした。目に見える敵との戦いではありませんでした。そしてそれはわたしたちの戦いでもあります。イエス・キリストはわたしたちの主であって、その主のために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。